後宮の秘密
後宮にシルヴィの後宮生活は順調だった。 順調すぎるほどにめちゃくちゃ順調である。本当に寵姫の地位を目指して後宮入りしたのであれば大喜びするレベルだ。
なにせ、新入りのシルヴィのところに毎晩毎晩マヌエル王が訪れているのである。後宮の空気は、シルヴィにとってよろしくないものに変化している。
(……まったく、これじゃ困ったものだわ)
もう少し地味に過ごすつもりだったのだが、想定以上にマヌエル王はシルヴィ――ではなかった。アメリアのことが気に入ったらしい。
毎晩ここに来る度に、シルヴィはがっつり寝かせているので、ろくな話もしていないが。
その日、ジールとエドガーの借りているシルヴィとテレーズが移動した時には、エドガーとジールはテーブルの上に大量の菓子と茶を用意して待っていた。
「わあ、ピーチティー! ありがと、ジール」
「今日、市場に行ったんだよ。こっちの市場は、いろいろと面白いな」
そう言ったエドガーが棚から取り出したのは、市場で買ってきたらしいクッキーだ。おおざっぱに皿の上に盛り付ける。
その他、一口サイズのドーナツだの、カップケーキだのがテーブルを埋め尽くしている。夜中のこんな時間に食べたら太るとか言ってはいけない。
「――あ、ちょっと待っててくれ。農場に行ったら、寂しがってたから連れてきた」
話を始めようとしたところで、エドガーがひょいとキッチンを出ていく。そしてギュニオンを抱えて戻ってきた。
「もきゅ、きゅーっ!」
久しぶりに顔を合わせたギュニオンは、エドガーの腕から飛び出したかと思ったらシルヴィの肩によじ登った。
「ごめんねぇ……あなたを後宮に連れていくわけにはいかなくて」
「ふぎゅっ」
ギュニオンは、鼻の頭に皺を寄せる。シルヴィの頬をぺろりと舐め、それから肩から提げている鞄の方へと降りていった。
「こら、勝手に鞄を開けるのはやめなさい」
けれど、シルヴィの制止も聞かずギュニオンは鞄の蓋を開けた。頭を突っ込み、中から林檎を取り出す。
「まったく……」
「うみゅうっ」
どうやら、鞄を開けると林檎が出てくるというのを学習してしまったらしい。シルヴィも、鞄の中に林檎を入れているし、カーティスもギルドの職員達もそうだ。
「いいこと? 人の鞄を勝手に開けるのはだめ。今度やったら、おやつ抜きにするわよ」
「ふみゅう……」
おやつ抜きというのは、ギュニオンにはそうとうこたえるらしい。みるみるうちに、肩が落ち、尾が垂れ、しょんぼりとした表情になる。
「次はって言ったでしょ? 今日のところは許してあげる」
「みゅっ!」
シルヴィの許可を得たギュニオンは、床の上に座って両手で掴んだ林をもっしゃもっしゃと食べ始める。
「……で、そっちは何か進展があったか?」
ピーチティーをグラスに注ぎ分けながら、ジールがたずねる。シルヴィは首を横に振った。
「病気だという側妃に会う許可はもらったんだけど、まだ、薬の検査が終わっていないのよね」
毒物であるか否かはもちろんのこと、怪しい成分が含まれていないか、妃の病状の改善に適しているのかどうかみっちり検査が行われているそうだ。
「カティア嬢の魔力の痕跡も見当たらないしね……」
シルヴィは、目の前に積まれているクッキーの山から一枚取り上げた。ジンジャークッキーだ。シルヴィのレシピよりいくぶんジンジャーの風味が強い。
「あら、これおいしい――って、そうじゃなかった。どうにかしてシャンタル妃の部屋に入り込む手は考えるわよ」
「それで、こっちの情報」
ジールが、テーブルの上に紙を広げ始める。おおざっぱな字はジールのもの。几帳面な字は、エドガーのものだ。
「これ、後宮として活用されているダンジョンがダンジョンだった時代の地図な。今から三十年ほど前までは、現役のダンジョンだったみたいだな」
「へぇ」
昔ダンジョンだったというのは、聞かされていたがまさかそんな最近までダンジョンだったとは思っていなかった。
なおもジールは、ダンジョンの地図を指でたどりながら説明を続ける。
「先代の王が、後宮として使い始めたらしい。その頃、このあたりに改築工事が入ったそうだ。このあたりが、ダンジョンボスの部屋だったみたいだな」
「ダンジョンが枯れた理由って、解明されているの? いつ魔物が徘徊するかわからない場所に、お妃様達を集めたりしないわよね?」
テレーズの言いたいことが、シルヴィにはよくわかった。
少なくとも、マヌエル王は後宮に集まっている妃達のことを大切に思っている。ダンジョンが狩れたとしても、いつまた復活するかどうかは基本的には読めない。
「……魔物を扱うことができるやつがいるとかじゃないか? ほら、前にも言ったろ? 非合法の賭博場なんかで、魔物同士を戦わせるギャンブルが行われていることもある。そういうところには、魔物を扱うことのできる人間がいるものだろう?」
エドガーが考えながら口にする。
ウルディの悪徳商人の屋敷に乗り込んだ時、エドガーがそんなことを言っていた。
「でも、魔物を扱うのは難しいわよ? それに完全に制御できるわけでもないし……シルヴィも無理よね?」
「脅して追い払うくらいならできるけど……」
シルヴィがダンジョンに入る時、魔物が近づいてこないように脅しをかけることがある。それは"威圧"のスキルで威圧しているだけのこと。やってみたことはないが、細かに命令を聞かせることはできないと思う。
そう考えれば、元ダンジョンだった場所を改造して使うというのはかなりの危険行為だ。
「じゃあ、魔物が復活しないという確信を持ってるとかかなぁ……エドガー、お前、ワディムとかいうゴーレム使いについて調べたんだろ、その話してやれよ」
ジールに話をふられ、エドガーはテーブルの紙をシルヴィの方に滑らせた。そこにはびっしりと細かな字で調べたことが書かれている。
「ワディムは、前国王の時代から仕えていたそうだな。二十年ほど前から、後宮の守りについている。それから、彼の師匠はこの国では有名なゴーレム使いで――」
エドガーの説明によれば、ワディムの家は代々ゴーレム使いを得意とする魔術師の家系だったらしい。彼のゴーレムが、シルヴィのものと比べて洗練されているのは代々受け継がれてきた技術によるものだったようだ。
「ワディムに頼んで、ゴーレムの作り方について勉強させてもらおうかしらね……」
シルヴィは真顔で考え込んだ。シルヴィのゴーレムの外見はあまりにも素朴過ぎる。雑さが可愛いといえば可愛いが、ゴーレムづくりが下手なのを宣伝して回っているようで気恥ずかしい。
「あとはやっぱりシャンタル妃よね……なかなか挨拶の機会ももらえないんだけど。思いきって、もうちょっと精霊達に動いてもらおうかなぁ」
テーブルに頬杖をついてシルヴィは考え込んだ。
「毎晩、マヌエル王の相手をするのも面倒なのよねぇ……」
「は? 毎晩? 相手? お前、何やってるんだよ」
ぼそりとつぶやくと、エドガーが目を見開いた。
「何って、毎晩素敵な夢を見させてあげてるわよ。どんな夢かは知らないけど」
「ものすごーく刺激的なんでしょうねぇ。他の妃をほっといて、毎晩シルヴィのところに来るくらいだもの」
けたけたとテレーズは笑っている。間違いなく、彼女はこの状況を楽しんでいる。シルヴィはしかめっ面になった。
「――刺激的って!」
エドガーが真っ赤になる。目を見開いたり赤くなったり、忙しい。
「どんな夢だか、知らない方が平和でいられる気がするわ……」
人の欲望を忠実に夢として見せているのである。知らない方が心の平和を保てるというものだ。
気を取り直して、シルヴィは立ちあがる。
「エドガー、ありがとう。助かったわ。ジールもね」
ワディムと話をする機会を作るのもいいかもしれない。代々ゴーレムづくりに携わってきたというのなら、ワディムから得られることはいろいろありそうだ。
エドガーがぱたりと黙り込む。どうやらお疲れ気味らしい。
(……エドガー、無理してなきゃいいんだけど)
エドガーが手を貸してくれるのはありがたいけれど、王宮とここを行ったり来たりの生活では、いつも以上に大変なんじゃないだろうか。
「……大丈夫?」
結局、そう言うことしかできなかったけれど、エドガーは手を上げただけだった。
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