エドガーとジールも忙しい

 シルヴィがテレーズと一緒に飛んだのは、エドガーとジールが隠れ家として借り上げた家であった。まったく引退できていないが、シルヴィは、冒険者を引退して農場を始めている。同じように、第二の人生をここで送ろうという触れ込みで無事に家を借りることができたらしい。

 キッチンの中央にいきなり現れた二人に驚くことなく、エドガーとジールは手を上げて歓迎のそぶりを見せる。

 お金の力に物を言わせたのか、キッチンには魔石コンロが設置されていた。魔石コンロの上に置かれた薬缶が、ちょうど沸騰を始めたところだった。


「無事にもぐりこめたんだな」

「あなたが、ここにいることの方が驚きよね、エドガー」


国内の動きを探る必要があるというわけで、ジールがこの国に来るのは想定内だったのだが、まさかエドガーまで来ているとは思わなかった。


「父上の許可はちゃんと取ったぞ。仕事に穴を開けないという条件付きで」

「……無理はしないでよね」


 そうは言ったものの、たぶんエドガーは無理をしてしまうのだろう。無理はさせないようにとジールに言っておこうと決める。ジールならば、そのあたりはシルヴィが言わなくてもちゃんとやってくれるだろうけれど。


「――で、二人の関係は?」


 エドガーが王子様とは思えない手際のよさでお茶を用意するのを眺めながら、シルヴィはテーブルにつく。


「兄弟」

「似てない―!」


 シルヴィが問うと、ジールはあっさり返してきた。

 ジールとエドガーの顔立ちは、まるきり似ていない。兄弟で通すにはちょっと無理がありすぎるので、思わず笑ってしまった。


「しょうがないだろ。他にうまい言い訳が見つからなかったんだから」


 シルヴィに笑われたのが、ジールは面白くなかったらしい。そっぽを向いて、ふくれっ面になっている。


「マヌエル王に何かされなかったか?」


 エドガーの方は、深刻な表情だった。


「何かって?」

「だって、ものすごく女癖が悪いだろ」


 そんなことを言われても。

軽く手を握られたり、肩を抱かれたり、腰に手が回ってきたりしたが、妃として後宮入りしたのだからその程度は我慢するしかない。

 けれど、エドガーの前でそれをわざわざ口にする気にはなれなくて、シルヴィは視線をそらす。


「おい、まさか何かされ――」

「別に何もないわよ。手を握られたくらいで」

「テレーズ!」


 血相を変えたエドガーがテーブルに両手をついて立ち上がり、そんな彼の目の前でテレーズが手をひらひらと振る。


「エドガーだって、王宮に来た女性の手を取ることくらいはするでしょ。特にシルヴィの場合、妃として入っているわけだし」

「……本当にそれだけか?」

「……そんな感じ。とりあえず、寝室に転がしてきたわ。今頃、いい夢見てると思うわよ」


 シルヴィが、マヌエル王にかけた魔術は、普通の人間ならばまず使えない代物であった。

 クリストファーの一件で、王宮の図書室を隅々まで調べることができた。

その時見つけた失われた魔術を復活させたものだ。復活ついでに、シルヴィオリジナルになるように手を加えてある。

術をかけられた者は、深い眠りに落ちるのだが、その眠りの中で自分の欲望に忠実な夢を見ることができる。一度眠ってしまえばめったなことでは目を覚ますことはない。

 行使するためには非常に大量の魔力を必要とするため、今の時代では、魔力がありあまっているシルヴィにしか使えない。

 失われた理由にはもう一点、効き目が出るまでに時間がかかるという理由もあった。マッサージを始めたのは、話を聞くための時間が必要だったということと、魔術を行使しているのをマヌエル王に気づかれないようにするという理由があったのである。

もう少し時間がかかるようであれば、マヌエル王をぶんなぐってでも逃げる算段をしなければならないところだった。

シルヴィの農場にいる時のように、四人でキッチンのテーブルを囲む。いつもと同じ配置で座るだけで、一気にこの場の空気が軽くなった。


「……そっちはどうだ?」

「まだ、カティア嬢は見つけ出せてないの。でも、病気だという妃と会う許可は取り付けた。あとは、後宮内をヴェントスに探ってもらおうと思ってる」


 後宮内には、他の精霊魔術師が呼び出した風の精霊がいる。その中に紛れさせて、シルヴィの精霊を呼ぼうというわけだ。

普通の精霊魔術師が精霊を行使することができるのは、術者の視界の範囲内プラスアルファというところだ。

だが、シルヴィは違う。シルヴィの視界の及ばないところまで精霊を飛ばすことができるし、精霊達もシルヴィにとって最上の結果になるように自分で判断して動いてくれる。

下手にマヌエル王から話を引き出そうとするより、精霊に頼んだ方が早いかもしれない。


「そうね、その方がいいかも。うかつに動くと危険な雰囲気がするもの」

「……どういう理由だ?」


 テレーズの言葉に、エドガーが厳しい顔になる。


「後宮にいる女性って、マヌエル王の護衛も兼ねているらしいのよ。ゴーレム使いの魔術師もいるしね」


ただ、シルヴィとゴーレムがやりあったあの場所にいた妃達。彼女達が全員一度にかかってきたとしても、返り討ちにする自信はある。


「マヌエル王自身が、けっこうな使い手みたいだから、護衛というのは建前かもしれないけど。単に新入りをいびりたかっただけかも」

「……新入りいびりって、お前何かされたのか?」


 椅子におとなしく座っていたエドガーが、再びがばっと勢いよく立ち上がった。シルヴィは、エドガーをなだめるように手を振る。


「何もされてないわよ」

「あれは、むしろ相手の方が気の毒だったのではないかしら」


 くすくすと笑いながら、テレーズは中庭での出来事を語った。なぜかゴレ太が勝手に飛び出してきたこと、シルヴィの想定外の動きをしたことも語る。


「全然ひそめてないな! 潜入捜査ってそんな派手にやるものだったか?」


 エドガーは、嘆息交じりに天井を見上げた。シルヴィはむくれた。妃達が新入りいびりなんてしなかったら、あんなことにはならなかった。シルヴィには責任がないと思う。


「お前なー、だから、お前は潜入には向かないって、前から言ってるんだ」


ジールの方は渋い顔になった。ジールだっておおざっぱすぎて潜入捜査には向いていないのに、ここぞとばかりに上から目線になるのはやめてほしい。


「だって、やっちゃったものはしかたないでしょ?」


 ワディムには悪いことをしたとは思うが、シルヴィ一人の責任にはしてほしくない。エリーシア妃が、ワディムをけしかけたのが悪かったのだ。

まあ――ちょっと、ほんのちょっぴりやり過ぎたかなと思わないわけでもないけれど。


「それでね、エドガーとジールに頼みがあるんだけど」

「なんだ?」

「この国の後宮は、元ダンジョンだったでしょう。ダンジョンだった時代の記録が見たいの。冒険者ギルドで入手できないかしら」

「……わかった。探してみよう」


 ダンジョンはしばしば形を変えるが、昔の記録から、どんな変化をするのかある程度予測ができるのではないかという可能性もあるし、他に類似のダンジョンができた時に対策を練るための資料として必要とされている。そのため、昔のダンジョンについての記録は保存されていることが多い。

 シャンタル妃のところで、カティアに繋がる情報を見つけ出すことができなかったら、後宮全体の様子を探る必要が出てくる。今の後宮の地図は無理でも、ダンジョンだった頃の地図なら入手できると思う。


「今日のところは、これで戻るわ。また、明日――は無理かな。明後日にでもこちらに来るわね。その時までによろしく」


 たしか、明日は後宮中の女性を集めての食事会があるはずだ。

とりあえず、ベッドはマヌエル王に明け渡すとして、シルヴィはテレーズの隣の部屋で寝ることにしよう。明日に備えてしっかり寝ておかなくては。

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