正妃との対面
シルヴィの身の回りを世話をするのはテレーズ――実際には自分でできるが――ということになっている。その他の用については、後宮内で働いている使用人達が引き受けてくれる。
テレーズが、使用人達の控えの間に行って正妃への先ぶれを依頼する。正妃からの返事が来るのを待つ間に、身なりを整えた。
この後宮では各部屋に宝石や貴石の名が与えられているらしい。正妃の部屋は、サファイアの間であった。
正妃は、二十代前半のとても美しい女性だった。赤みがかった茶色の髪を緩やかに波打たせながら、肩から胸の前へと垂らしている。
ターコイズブルーのドレスは、風を通しやすいようにか締め付けないデザインのもの。袖口に飾られたレースは、繊細で美しい品だ。
ドレス自体は緩やかな仕立てなのだが、彼女のスタイルのよさはよくわかる。出るべきところは出ていて、引っ込むべきところは引っ込んでいる。
スタイルのよさを際立たせるように、ゆったりと籐のカウチに身を預けた彼女は、目の前に立っているシルヴィを見上げて口元を歪めた。
「あら、あなたが新しい……ふぅん、メルコリーニ家もずいぶんと苦しいのかしら? 好きに振る舞っていると聞いたけれど。ベルニウム王家にたてついたこともあるようね?」
正妃は、メルコリーニ家に興味を持っているようだ。その割に、メルコリーニ家が王家にたてついたなどという間違った情報を入手しているが。
王家を乗っ取る程度のことはたやすくできるだろうが、今のところそうするつもりはない。父も、権力を乱用したりはしていないはずだ、たぶん。
「そんなことはございません、正妃様」
あくまでも気弱なふりを装いながら、シルヴィは心の中で毒づいた。
(……美人ぞろいだけど、女性の趣味バラバラ過ぎない?)
先ほどの顔の造作だけ見ればはかなげ美人なのに、やたらに上から目線だったエリーシア第一側妃。
そして、今、目の前にいる女性美が具現したとしか言いようのないグラマラスボディな正妃。 カティアがこの後宮に囚われているとして、カティアは可愛らしいタイプである。
いくらなんでも女性の趣味がばらばらすぎやしないか。マヌエル王の女性の趣味をシルヴィがどうこうできるはずもないのだが。
「苦しい、とはどういうことでしょう? 養父は、陛下と縁を繋ぎたいと……そう思っただけですわ」
こちらは、こんなにさげすまれた目で見られる覚えはない。だが、心の中で思っていることは、飲み込むことに成功した。
(……落ち着きなさい。潜入は苦手とか言ってる場合じゃないでしょ)
王家の依頼で来ていることは、この国の人達には知られてはならない。顔を上げ、片手を胸に当てて呼吸を整えようとしているふりをした。
「正妃様にまずはご挨拶を――と思いまして。末永く、よろしくお願いいたします」
「末永く、ね……あなた、まさか本当にそう思っているの? 陛下の寵愛は、一人に向かっているの。他の者が入り込む余地はないわ」
そう言って、正妃はシルヴィの前で足を組み替えた。スカートからちらりとのぞく足は、実に形がよい。
シルヴィに自分のスタイルのよさを見せつけているのかもしれないとこの時思い至った。
本来のシルヴィも正妃と似た方向性でスタイルがよいのだが、今は締め付けてほっそり見えるようにしている。
(……新しい妃に、寵愛を持っていかれたらたまったものじゃないって感じかなー)
冷静に、そんな風に分析する。正妃とマヌエル王の仲がどんなものなのかは、探っておく必要があるだろう。
「メルコリーニ家は、これからは国外にも目を向けていくべきだと考えております。一国の中で得られるものなんて、少ないですもの……特に、我が国は……いえ、失礼いたしました」
「クリストファー殿下が、ご病気なのですってね。我が国からも、お見舞いの品を送らせてもらったわ」
「まあ、正妃様。きっとクリストファー殿下もお喜びになったことでしょう」
クリストファーは、病にかかったために王太子としての地位を退いたというのが世間に公表されている内容だ。
回復魔術では、すべての病を治せるわけではない。身体の回復力を極限まで高めるのが回復魔術だからだ。
難しい病になればなるほど、回復魔術にできることは少なく、クリストファーが王太子としての権利を失ったのも、重病なのだろうということで認識されていた。
「あなたは、殿下にはお目にかかったことがないのかしら」
「わたくしは……田舎に住んでおりましたから。なかなか王都に出ることはなかったのです」
本物のアメリアも、都を訪れたのは三度。シルヴィの家に滞在し、王宮の舞踏会や、貴族のパーティーなどに出席したけれど、その場で王子達と顔を合わせることはなかったと記憶している。
「そう。それならば、忘れないように。ここではあなたは新参者よ。序列はきちんと守りなさい」
「はい、正妃様」
これで挨拶は終わりなのかと思っていたら、不意に正妃は話題を変える。
「そうそう。そなたも、エイディーネ学園の卒業生なのかしら?」
「はい。昨年、卒業いたしました」
「卒業しても、縁談が調わないというのはどういうわけ?」
メルコリーニ家についての情報は誤っていたが、正妃は学園の情報には詳しいようだ。学園の卒業生は、冒険者とならず家に戻る場合は、大半が卒業前に結婚が決まる。
冒険者になる場合、結婚相手が決まらないのは家を離れて平民になる可能性があるということと、本人の意思が多いに尊重されるからという二つの理由がある。本来、冒険者というのはいつ命を落としてもおかしくはない危険な仕事であり、そのため、結婚しない者も多いのだ。
「メルコリーニ家の娘として嫁ぐためです。本家には、シルヴィアーナ様がおられます」
シルヴィは、肩が震えるのをおさえることができなかった。自分のことを気の毒がっているのって冷静に考えるとおかしい。笑ってしまいそうになるのを、口元にハンカチをあてて、懸命におさえる。
正妃の方からは、シルヴィが涙をこらえているように見えればいいが、どうだろう。
「もし、シルヴィアーナ様に何かあって、嫁げなくなった時――わたくしが、メルコリーニ家を……その、支えるように、と」
なんて言ってはいるが、両親はそんな縁談で娘達の人生を縛ろうなんてしていない。
たしかにメルコリーニ家は名門ではあるが、そこまでして権力を保つ必要はないというのが父の考えだ。
だが、それは貴族の考え方としては異端。政略結婚の駒は多い方がいいという考えになるのもごく自然なことだし、それで正妃は納得したようだ。
「そんな事情で、シルヴィアーナ様が結婚なさるまで、私の縁談は話を進めないでいたのです。……実際、今年の卒業式で、シルヴィアーナ様は大変深い心の傷を負うことになりました」
あの時、心に傷を負ったのはシルヴィではなくクリストファーのような気もするが、詳細についてはここで語らなくてもいいだろう。
「まあ……あなたも大変なのね」
シルヴィの期待した通り、ハンカチを口元にあててうつむく仕草は、正妃の目には涙をこらえているように見えたようだった。
シルヴィに向ける正妃の声が、とたん、同情的なものへと変わる。
「――私は、あなたの味方になるわ。どうか、気を落とさないでね」
「ありがとうございます、正妃様」
「だから、教えておくけれど……エリーシア第一側妃には注意なさい。彼女は、実家の権力を盾に、この後宮を乗っ取ろうとしているの」
なるほど、とシルヴィは思った。やはり正妃とエリーシア第一側妃は、何かと対立する立場にあるようだ。
さて、ここに病気だという妃が、どのように関わってくるのか。もし、カティアがここにいるのなら、彼女のところなのだろうけれど……。
そのあたりもきちんと見定めなければと思いながら、シルヴィは正妃の前から退室した。
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