琥珀の間
少し離れたところから、シルヴィ達の様子をうかがっていた案内役の侍女が、再びこちらに合流してくる。
中庭の外周に沿って、ぐるりと建物が取り囲んでいた。
建物の一階部分は、外廊下になっているようだ。美しい彫刻の施された柱が、天井を支えている。廊下の床はタイルが張られていて、そこにはモザイク模様が描かれていた。
「……エリーシア第一側妃様とは、どんな方なのでしょう?」
「素晴らしい方よ。あなたも、エリーシア様には、逆らわないように」
ふむ、と先を行く侍女には表情が見えていないのをいいことに、シルヴィは考え込んだ。この侍女とエリーシアは、繋がっているらしい。
(他にたいした情報もないし……)
しかたがないので、侍女からもう少し話を引き出そうとした。
「わたくしは、この国の貴族の方にはうといのです。どちらのお家の方なのでしょう?」
この国の後宮については、他国には情報があまり流れてこない。正妃以外は、他国との交流の場に出てくることもないからだ。正妃以外は名前を知られるケースもほとんどない。
国内の有力貴族の娘が後宮入りしたという程度の情報はあっても、後宮に入った後、どのような立場なのか、寵愛されているのか否か、そういった噂は外には出てこない。
諜報活動を行えば知ることもできただろうが、今までそこにそれほど労力を割く必要もなかったのだ。
「エリーシア様は、陛下の母方のいとこにあたられる方です。ザイシャ公爵家のご令嬢ですのよ」
「そうなんですね」
つまり、他の妃達より、マヌエル王と近い位置にあるということか。
(ザイシャ公爵家か……たしかに、娘が後宮入りしたっていう話はあったわね)
ザイシャ公爵家は、フライネ王国の中でも有力な貴族だったはずだ。実家の権力が背景にあるならば、エリーシア妃が後宮内で有力な地位についているのもわかる。
(マヌエル王との仲もよさそうだったしなー)
先ほど二人が話している様子を見てみたけれど、いとこという血縁関係があるからか、マヌエル王はエリーシア妃に気を許しているように見えた。
今のところは、思っていたようなドロドロ具合ではない。ある程度の秩序は、保たれているようでちょっと拍子抜けしてしまうくらいだ。
そんなことを考えながら外廊下を歩いていくと、ひとつの扉の前で侍女は足を止めた。
「エリーシア様についていけば、問題はありませんわ。さて、”琥珀の間”はここでございます」
「ありがとう」
侍女に案内されて通された琥珀の間は、シルヴィの好みからするといくぶん広すぎた。
前世が一般庶民な日本人だったからか、ある程度狭い方が落ち着く。
やはりここも涼しさを重視しているのか、床にはタイルが敷き詰められている。そこに置かれているのは籐の椅子や籐のテーブルだ。
他にも座り心地のよさそうなソファや足を休ませるオットマン、本棚などが置かれていて、のんびり時間を過ごすのによさそうな雰囲気だった。
(……っと、まずは室内を調べなきゃ)
室内の様子がつつぬけになるような魔術はかられていないらしい。ということは、テレーズと二人きりの時にはいくぶん気を抜いてもよさそうだ。
「テレーズ、中の様子が外に伝わる気配はなさそう。まずは、何があるのか確認したいんだけどいい?」
「わかった。では、私は続きの間を確認してくるわね」
壁には隣室に続くと思われる扉が三つ並んでいる。テレーズは、そのうちの一つに姿を消した。テレーズが出てくるのを待たず、シルヴィは室内を調べ始めた。
(……これってハープよね。ハープが演奏できるなんて話したかしら)
窓辺にどどんと置かれているのは、大きなハープだ。優雅な雰囲気ではあるが、こんなところに置いてどうしようというのだろう。
楽器のたしなみも一応ある。ピアノ、バイオリン、フルート等――シルヴィ個人としてはそこまで重要視していなかったので、演奏技術はそこそこだが、貴族令嬢として恥ずかしくない程度にはたしなんでいる。
ハープもまあ弾けなくはないが……なぜ、ここに置かれているのかはあまり深く考えない方がよさそうだ。
「続きの間は全部侍女の控室みたい。きっと、王の寵愛が深くなると、付き添う侍女の数も増えるのでしょうね」
「寵愛を深くされても困るわ。二階も見てみましょうか」
壁際には、まばゆく輝く金の手すりのつけられた、瀟洒な螺旋階段がある。その階段をテレーズと一緒に上っていくと、その先が寝室だった。
「なるほど。人を通す部屋と、寝室は完璧に分けられるのね」
螺旋階段を登り切ったところには、扉が一枚だけ。その扉を開くと、広々とした寝室だった。
「やー、このベッドで何人寝られるのかしら」
部屋の中央に置かれているベッドはやけに広い。五人か六人くらいは並んで寝られそうだ。
それから、周囲を囲う壁は、ほぼすべてがクローゼットになっているらしい。今は扉が開け放たれていて、中が空っぽなのが見て取れた。
部屋の片隅には、シルヴィが預けた荷物が置かれている。
「テレーズ、とりあえず中身は出しておきましょうか」
「そうね。長居するつもりもないけれど」
シルヴィはさっさと引き上げるつもりだが、後宮入りした女性が、荷物を広げていないというのも妙に思われかねない。
「――荷ほどきのできるゴーレムを用意してもらえばよかったわ」
「何言ってるの。複雑な命令はこなせないんだから無理よ」
「ゴーレム達に収穫させているくせに」
よほどの術者が扱わない限り、ゴーレムは、単純な仕事しかできない。カーティスがポテトマンドラゴラを収穫するのにゴーレムを使わなかったのには、そのためだ。
収穫にゴーレムを使っているシルヴィの農場がおかしいのである。
次から次へとシルヴィはドレスを引っ張り出し、テレーズがそれを手際よくクローゼットにかけていく。あらかじめドレスには魔術がかけられていて、皺ひとつできていなかった。
寝間着に靴にアクセサリー。メルコリーニ家の勢力を見せつけるように、豪奢な品が次々と並べられていく。その品々を見て、シルヴィはしみじみと言った。
「やー、私って、実はお金持ちの家の娘だったのね……」
「何言ってるのよ。全部自分で稼いだくせに」
「ドレスは違うわよ?」
ドレスの料金は、父が王家から分捕ってきた。
王家のメルコリーニ家に対する借金は、どんどん膨れ上がっている気もするが、王家の依頼で来ているのだからこの程度はあきらめてほしい。
一応、ドレスについては王家に戻すつもりでいる。
アクセサリーは大半が、魔石で作られたものだ。もっとも、単にダンジョンから取ってきた宝石というだけのことであって、特に魔術などはこめていない。
石のサイズは大きく、専門の職人に依頼した繊細な細工が台座に施されているために非常に高価な品ではある。宝石部分はシルヴィが自力調達したので、見た目よりずっと安く作ることができた。
「――さて、これからどうしようかしらね」
「今日のところは休憩して――いいと思うんだけど、明日にする?」
「とりあえず、今日のうちにある程度後宮内の位置関係は知りたいわよね。カティアがいるとして、どこにいるのかも知りたいし」
「……じゃあ、とりあえず挨拶に回ってみる?」
ここに来るまでの間、中庭で何人かの妃達が思い思いに時間を過ごしているのを見た。あそこに加われば、それなりに噂話も聞けるだろう。
その前に、後宮で一番偉い人に会いに行こうか。
「やっぱり最初は、正妃に挨拶すべきよね」
鏡の前で、崩れた髪を直しながらシルヴィは言った。
「でしょうね。実際に一番権力を持っているのが誰かはわからないけれど、正妃をないがしろにするわけにはいかないもの」
とりあえず、この後宮でどう振る舞うのがいいか、一番偉そうな人に聞きに行くことにしようか。
「では、まず正妃様にご挨拶を。あとのことは、挨拶をしてから決めましょ。マヌエル王が来るのは夜だし」
歓迎してはもらえないだろうが、新参者なのでまずは正妃に挨拶はしておくべきだろう。
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