エドガー、もやもやする

(――本当に、お人好し過ぎるだろ……!)


 自分も、シルヴィのお人好しっぷりに助けられているのでたいそうなことは言えないのだが、シルヴィは本当に人が好過ぎると思う。


 兄の頼みを受けてのこととはいえ、シルヴィが神殿に行かなかったら、カティアの不在に気づくまでまだもう少し時間がかかっただろう。


 王家に対して、かならずしもいい感情を持っているというわけでもないのに、シルヴィは王家の頼みは断らない。


(……兄上の命を救ってもらった恩もまだ返しきれていないのにな)


 シルヴィの手によって集められた材料で作られた薬を服用し、兄のクリストファーは少しずつ元気を取り戻している。


 彼が公の場に出ることは一生ないだろうけれど、それでも生きていられるのだからありがたいと思ってもらわなければ。兄のしでかしたことを考えれば、生涯幽閉でも、軽すぎるくらいだ。


 それなのに、兄の図々しい願いまでシルヴィはさらりとかなえてしまう。いつになったら、彼女に追いつけるのだろう。


 それだけではない。王家の依頼を受けて、今度は外国にまで行くというのだ。フライネ王国の後宮に乗り込む手はずまであっという間に整えていた。


 ――いつだって、シルヴィは他の人間の後始末に走り回っているのだ。


「父上、お願いがあるのですが」


 父の執務室に顔を出したら、父は書類の山にうずもれていた。


 面倒ごとの大半はシルヴィに押しつけてはいたが、国王としての義務まで完全に忘れ去ったわけではない。


「お前が頼みとは珍しいな」


「シルヴィ・リーニが、フライネ王国の後宮に調査に入ります。俺に、彼女の援護をさせてください」


 許されるはずはないのだ、本来なら。


 クリストファーがあんなことになった今、国を継ぐのはエドガーか、他国に留学中の弟か、だ。だが、今回は譲るつもりはない。


 王家から人手や金銭の援助をするだけでは足りない。シルヴィの負担を少しでも軽くするためには、エドガー自身が出なければ。


 なんていうのは、きっと自分に対する言い訳なのだろう。ただ、エドガー自身が手を出したいと思っているのだ。これ以上、シルヴィ一人の肩に荷を載せるわけにはいかないから。


「……お前は」


 一枚の書類にサインして、父はそれをすでに署名した書類の山に積み上げた。


「お前は――国を継げと言われたらどうする?」


「それが、父上のお望みなら」


 王位を継ぎたいと思ったことは一度もなかった。


 エドガーの上にはクリストファーがいたし、クリストファーを支える未来しか考えてはいなかった。それで十分だと思っていたのだ。


 だが、クリストファーはもういない。こうなってもまだ、国を継ぐのが嫌だなどと言うつもりもなかった。


「俺にどこまでできるかはわかりませんが、全力を尽くします――ただ、シルヴィアーナ嬢に負担をかけるのが前提であれば――考え直すかもしれません」


 自分でも都合のいいことを言っている自覚はある。シルヴィの側にいたら、必然的に王家に取り込むことになってしまう。


 なんらかの形でエドガーが王家を離れたところで、王家との血のつながりまでは断ち切ることができない。今のように、何かとシルヴィを巻き込むことになる。


 ――それでも。


 今までは、伸ばした手を引っ込めることはできなかった。もし、シルヴィがエドガーの気持ちを受け入れたなら――シルヴィの負担は今とまったく変わらない――どころか、増えてしまうだろう。


 それなのに、彼女の側にいたいと願ってしまうのだからたいがい自分も傲慢だ。


(……そろそろ、腹をくくらなきゃならないんだろうな)


 本当に彼女のことを思うのなら、こちらが手を引くべきなのだろう。


 シルヴィが、あの農場を離れたがらない理由が、今ならわかる気がした。


精霊達が、植物の世話をして、ゴーレム達がぽてぽてころころと畑の中を駆け回って。幼生のドラゴンは、自由気ままに行ったり来たりしている。


 たぶん、あの場所にいると自由になれるのだ。エドガー・ヴォルカラートというベルニウム王家の血も忘れて。


 テーブルの上でばたばたしていても、シルヴィは笑うだけ。時に呆れた顔をしながらも、そっと差し出されるカップの中身はその時によってコーヒーだったりココアだったり。


 シルヴィの作り上げたあの場所は、たぶん、あそこに集まっている皆にとって、聖域にも似た場所なのかもしれない。


 居心地のよさに、あの場に通うことを望んでしまったけれど――そろそろ、いつまでも、シルヴィに頼っているのではなく、独り立ちを真面目に考えなければならないようだ。


 クリストファーが王位継承権を失った今、次に王太子になるのはエドガーの可能性は高い。


 だが、その前にエドガーにはやらねばならないことがある。カティアの件にだけはケリをつけておかなければ。


「――そうか。わかった。お前の気のすむようにすればいい」


 父がそう言いだしたことに、一番驚いたのはエドガーなのかもしれなかった。


「お前にもいらない苦労をさせてしまったからな。お前がそうしたいというのであればそうすればいい――お前が失敗をしても、かばってやるくらいのことはできる」


「ありがとうございます、父上」


 エドガーは一礼して、父の前を去る。


 ジールやテレーズも、今回の件では協力することになるだろう。


 まず、エドガーがやるべきなのは、フライネ王国に、皆で集まっても不自然ではないような場所を用意することだ。


 転送陣で気楽に行き来できるのは否定しないが、一度に移動する距離は少ない方が消耗しなくてすむ。


 ひょっとしたら、シルヴィにとっては、二国間を行き来するくらいたいしたことではないのかもしれないけれど。


「――フライネ王国に住んでいる貴族と、連絡を取らないとだな」


 頭の中で、これから先自分の取るべき行動を考える。今まで謎の国だったフライネ王国に、何が待ち受けているというのだろう。


 ――そんなことより。


(シルヴィが、他の男と結婚するって方が問題だろ……!)


 たしかに、手を離すべきだと思った。だが、シルヴィが他の人と結婚するとなると、どうにもこうにも胸のあたりが苦しくなる。


 もちろん、自分がそれにとやかく言える立場でないのは理解している。彼女が身体を張ってくれていることも。


 それでも――どうしてももやもやしてしまうのだ。 これを解消するためには、せめてシルヴィと肩を並べられる存在にならなくてはならないだろう。

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