フライネ王国の後宮
神官長に、カティアが魔術を使える人間に拉致されたらしいと報告すると、彼は驚いたような顔になった。
「神殿の中では外部の者は魔術を使えないはずなのですが……」
たとえば、治療を受けにきたと装った魔術師が、中で思いきり魔術を放てば、神殿を内部から破壊することが可能だ。
そんなことになっては困るから、神殿の中はエイディーネの寄神官として正式に登録されている人間以外魔術が使えないようになっているそうだ。
「……でも、浴室の床に転送陣が残っていましたわ。それに、浴室の扉には、エイディーネの結界を無効にし、浴室内で何が起こっていたのか察知されないようにする魔術の痕跡もありました」
口にはしなかったけれど、シルヴィにも不可能ではない。
まあ、シルヴィの場合神殿ごとつぶしてしまった方が早いしやる必要もないのでやらないが。
「神官長、調査は王家で引き継ぐことにする。カティア嬢の不在については、体調不良で療養中ということでもうしばらく隠しておけるだろう。カティア嬢の治療を受けに来た人の対応にあたるため、回復魔術の使い手を、こちらで手配する」
「かしこまりました」
エドガーの言葉に黙り込んでしまった神官長に別れを告げ、メルコリーニ邸に戻る。両親は今日は留守だったので、シルヴィは遠慮なくぽいぽいとドレスを脱ぎ捨てた。
(やっぱり、この服装の方が気楽よねぇ……)
白いシャツにスカート。いつも農場で過ごしている時のスタイルに着替えて、エドガーを通した客間に戻る。
「それで、これからどう動く? 俺は、回復魔術の使い手を神殿に向かわせるのと、王宮付きの魔術師に転送陣について調べさせようと思う」
シルヴィが描いた転送陣を、エドガーはノートに書き写していた。転送陣の書き方には、それぞれの癖というものがあるから、そこから転送陣を描いた人間を見つけることができるかもしれない。
「そうね、ジールとテレーズがもうすぐこっちに来るから、二人の話も聞きたいわね。調査については、お父様とお母様にもお願いしてみましょう――あとうちの親戚にも何人か、動けそうな人がいるし……他の貴族にはまだ広めない方がいいでしょうね」
「メルコリーニ家には、また負担をかけることになってしまうな」
「あら、そんなの。問題ないわ。こういう時のために、我が家は存在しているのだから」
元をたどればメルコリーニ家の血筋は王家に行きつく。
冒険者になりたいという理由で王家を出奔した元王族がメルコリーニ家を興したのだ。そのため、身体能力魔力共に常人離れしているメルコリーニ家は、何かと駆り出されるが、その点について不満はない。
神殿に預けた人間が拉致されたとなれば大問題だ。こういう時こそ、メルコリーニ家が動くべきだろう。
王宮ではなくここで待ち合わせになったのは、ジールとテレーズが王宮にあがるのは面倒だと言い出したからだ。
シルヴィとしても、正装に身を包んで王宮まで行くのは面倒だったので、屋敷で待ち合わせることにしたのである。
「おー、行ってきたぞ」
「こっちは、たいした情報はなかったわ。驚いたことに、カティア嬢の評判は悪くはなかったのよね」
ジールとテレーズは、都でどんな動きがあったのかを探りに行ってくれていた。彼らの話によれば、カティアの評判は、けして悪くはなかったという。
一点だけ苦情が出たのは、動かせない病人の治療はできないために、神殿までどうにかして来るようにと言われたことくらいだそうだ。
「カティア嬢は、神殿から出てはいけないことになっていたものね」
カティアが安全に守られえて――実際にはさほど安全ではなかったにしても――いたのは、神殿の結界があったからだ。
表ざたにはしていないけれど、カティアが罪人であるのもまた事実。カティアの治療を受けたければ、神殿まで来いと言うのは当たり前のことであった。
シルヴィの方も、神殿で調べてきた情報を、二人の前に提示する。
「たぶん、フライネ王国で学んだか、フライネ王国出身者の魔術だと思うのよね――転送陣の書き方が、あちらのものだったから。ちゃんと調べたら、どの魔術師の系統かわかると思うんだけど、それはエドガーの方が対応してくれるって」
そう話しながら、シルヴィは社交界で耳にしたカティアの噂を思い出す。
庶民の間とは違い、貴族の間でのカティアの評判は、よろしくないものだった。
下級貴族の分際で、王太子と恋仲になったあげく、もともとの婚約者を追い払うような真似をしたのだから、受け入れられなくて当然だ。
その元婚約者と言うのはシルヴィであり、婚約破棄されたのはむしろラッキーであったのだけれど。
カティアの悪評と言うのは、神殿で、回復魔術を使った奉仕活動を行うくらいでは貴族達の間では消せなかったらしい。
「フライネ王国から、カティア嬢をよこしてほしいという話があったわよな、たしか?」
「……あ、そっか。私もその話は陛下から聞いてた」
エドガーに言われるまで忘れていた。
以前、王宮に上がった時。国王から直々に聞かされた。
フライネ王国の後宮で暮らしている妃の病気治療のために、カティアをよこしてもらえないか、という話があったということを。
「でも、回復魔術の使い手ならお母様でもよかった気がするのよねぇ……お母様なら、国外にだって出られるわけだし」
「……でも、シルヴィ。一つ、大きな違いがあるわよ?」
シルヴィの目の前で、テレーズが指を振る。シルヴィは、顔をしかめた。
「回復魔術師としての能力の違い? でも、お母様が治療してある程度落ち着いたところでエイディーネ神殿まで来てもらってもよかったんじゃない? お母様が治療できなくて、カティア嬢なら治療できるという状況があるとも思えないけれど」
「いいえ、メルコリーニ公爵夫人は、人妻だってことよ」
テレーズは、しれっとして言う。
エドガーが喉の奥で妙な音を立てるのが聞こえたけれど、シルヴィはそれは聞こえなかったふりをした。
「そう言えば、聞いたことがあるな。フライネ国王はめちゃくちゃ女癖が悪くて、美女を集めてるってな――美人を侍らせて羨ましいよなぁ」
心底羨ましそうにジールが言う。テレーズが容赦なくジールの後頭部をひっぱたいた。いててと頭を抱えたジールにちらりと目をやったエドガーは、ふっと息を吐き出した。
「女癖が悪いって言うより、あの国には後宮制度があるんだよ。王は複数の妃を持つことができて、妃たちは城の奥に集まって暮らすんだ」
「本当、羨ましいよなー。国内外から美女を集めて、独り占めだぜ? エドガーもそう思うだろ?」
「は? ちょ、何言って」
顔を赤くしたエドガーが、目の前であわあわと手を振る。ジールがにやにやとしているのが、なんだか腹立たしい。
「ジール、あなたは黙っていて」
もう一度、テレーズがぴしゃりとジールの頭を叩いた。
「それなら、お母様は不適格ねぇ……人妻だもの」
それはともかくとして、そうなるとフライネ王国の奥に潜り込む方法を考えなくてはならない。
「シルヴィがちょっと行って、見てきたらすむ話なんじゃないか? 今までさんざん、潜り込んできたんだろ?」
「だめに決まってるだろ! そ、そんな女癖の悪い男のところなんか!」
なぜか、エドガーが動揺し、ジールの肩を掴んで揺さぶり始めた。今日のジールはさんざんである。口は禍の元と言ってしまえばそれまでであるが。
「それができたら楽でいいんだけど、フライネ王国の後宮って、魔術的に厳重に警戒されているのよ。私が潜り込んだとして、見つかる可能性も高いのよねぇ……」
「シルヴィでもか?」
ジールをぽいっと放り出し、エドガーがくるりとこちらに向き直る。
「ええ。フライネ王国の魔術は、古代王国の流れを汲んでいるから、私が知っているものとはちょっと系統が違うのよ。ドライデンの屋敷みたいに、入って大騒ぎして出てくればいいってわけでもないし」
シルヴィにしても、見つからずに出てこられる自信はない。密かに入り込んで気づかれずに出てくるためにはどうしたらいいだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます