カティアの拉致された経緯
カティアの部屋に入り、シルヴィはあたりを見回した。聞かされた通り、窓には格子がはめ込まれ、逃げ出すことなどできないようになっている。
カティアは朝この部屋を出ていくと、基本的にあとは戻らない。
昼の間は神殿で過ごし、夕食前にこの部屋に戻る。この部屋で食事をしたらあとは入浴やらなにやらをすませて休むだけ。
そのためか、室内には、よけいな家具は置かれていなかった。ベッド、食卓を兼ねているであろう引き出し付きの机、椅子。それから棚が一つ。
「……わかっていても、気が滅入るわね」
壁に作りつけられているクローゼットを、ぱっと開いてみる。
中に吊り下げられていたのは、皆同じデザインの衣服だった。神官達が身に着けているのと同じデザインであり、白と茶を基調としていて、余計な飾りなどない。
それなりに上質なものではあるが、王太子から贈られたドレスに袖を通したこともあるカティアからしたら、華やかさにはかけるだろう。
「どうした? 何か見つかったか?」
シルヴィの様子に新しい発見を期待したのか、机を調べていたエドガーがこちらを振り返った。
「いえ、どうもしないわ。ただ……カティア嬢にとっては耐えがたい環境だったかもね。私なら、さっさと脱走するかも」
ぱたりとクローゼットの扉を閉じ、シルヴィは室内を見回した。娯楽の類は一切置かれていない。花の一輪が飾られているわけでもない。本当に寝るためだけの部屋だ。
エドガーが開いた机の引き出しをのぞいてみると、便箋と封筒が入っていたが、それもまた使われた気配はなかった。
(……こんなところにいたら、気が滅入るわね)
朝早くこの部屋から連れ出され、一日回復魔術を必要としている人達の相手をし、あとはこの部屋に戻るだけ。
時間をつぶすためのものが一切置かれていない。神殿は、カティアを締め付け過ぎではないだろうか。
「このレターセット使われた形跡がないんだけど……家族に手紙を書くとかしなかったのかしら。友人とか」
カティアの家族は存命だ。彼女の交友範囲は把握していないが、友人だって――たぶんいたはずだ。ここに来てから誰とも連絡を取っていなかったのだろうか。
「手紙はすべて、神殿の方で中を確認し、問題がないと判断したときのみ相手に送ることになっている。だが、今のところ彼女が手紙を書いたことはないと報告を受けている」
「そう……」
別に、カティアに同情しているわけでもないし、彼女を解放すべきだなんて思ってもいない。
ただ、あまりにも寂しい、と思っただけ。彼女にだって、家族はいるだろうに、家族との手紙のやり取りさえもないなんて。
「イグニス、アクア、テッラ、ヴェントス――何か、異常はないか見てきてくれる?」
「神殿の中で、精霊を呼び出すのか」
女神に敬意を払うためという理由で、神殿の中で精霊を呼び出すことは禁じられている。
「精霊は、ここの結界には阻まれないもの。それに、私が気づかないことを、精霊達なら気づくかもしれない」
精霊達は、シルヴィの言葉にしたがって散っていく。シルヴィは精霊達を見送り、それから今度は壁の方に向き直った。
壁を丹念に調べるが、異常はない。この部屋を外敵から守っている結界も、異常はなさそうだ。
『シルヴィ、ここ、嫌な感じがする』
「水回り?」
『そう。見る?』
ふわりとシルヴィのところまで飛んできたのは、水の精霊アクアだ。薄いひらひらとした水色のワンピースを着た彼女は、シルヴィの肩の上に着地した。
「エドガー、浴室に何かあるみたいよ」
アクアに引っ張られるようにして、浴室へと向かう。浴室の扉を開くと、肩に乗ったアクアがぶるりと身を震わせた。
『ほら、気持ち悪い』
カティアの部屋の奥にあったのは、浴室、トイレ等がひとつにまとまった場所だった。浴室は狭く、身体を洗うのがやっとのことだ。
(……最低限の身だしなみを整えられればいいって感じね)
シルヴィは、浴室の中を確認しようとする。そして、そこで足を止めてしまった。
「どうした、シルヴィ」
「いえ、エドガーはそこから動かないで」
シルヴィは、もう一度当たりを見回す。そして、エドガーの前でぴたりと浴室の扉を閉めてしまった。
「ああ、なるほど……ここに、細工した痕跡があるわね……神殿の結界にうまく穴があけられているみたい」
神殿に張られている結界はたとえるなら、薄い膜だ。神殿全体を覆っているが、そこに巧妙に穴があけられている。気づかれる可能性は低いだろう。
おまけに、浴室の扉にも細工が施されていた。中で魔術を行使しても、浴室の外には伝わりにくい。
神官達が気づかなかったのは、神官の学ぶ魔術とは根本的に体系が違うからだと思われる。
『主、窓が外れるぞ』
窓から顔をのぞかせたのはテッラだ。シルヴィは、窓に近づいてみた。
浴室の窓にも格子がはめ込まれているが、軽く押すと外側に枠ごと外れてしまった。窓を開けてしまえば、シルヴィが外に出られるくらいの大きさはある。
「ねえ、エドガー。ここから連れ出されたんじゃないかしら」
浴室の扉を開けて、シルヴィはエドガーを招く。近寄ってきたエドガーは、窓が開いているのに気付いたようだった。
「ここ、格子が外れたのか」
「ええ。浴室の扉には、中で魔術が行使されても外には伝わらないように細工がされていたみたい」
「そうか」
「ん、でも……ここから連れ出されたんじゃないかと思うんだけど……カティア嬢を無理やり連れだすのはちょっと無理そうよねぇ……」
浴室の窓は、さほど大きくはない。人間一人が通るのにぎりぎりの大きさではないだろうか。シルヴィは窓の外に頭を出し、そこから出ようとしてみた。
「――私一人なら出られそうだけど。ねえ、エドガー」
「ん?」
「私を担いでここから出られるかやってみて?」
「担ぐって、どうやってだ?」
「こう肩に担いで」
シルヴィは、肩の上に荷物を担ぐ姿勢をしてみせた。エドガーをちょいちょいと手招きすれば、戸惑った様子で彼は近づいてくる。
「担ぐってどうすれば」
「うりゃ!」
自分からエドガーに飛びつき、腰を頂点として彼の肩にぶらんとぶら下がる。
「わ、わ、わ! お前落ち着け! 降りろ! というか、当たって――」
「当たってるって何が?」
エドガーに問いかけてから気がついた。エドガーに密着しているし、シルヴィは出るべきところは出て、引っ込むべきところは引っ込んでいるスタイルの持ち主である。
「……悪かったわ」
ぴょんと床に飛び降りてから、エドガーの顔を見上げれば真っ赤になっている。
「飛びつく前に気づけ! お前を担いで出ろって無理だぞ――!」
なにせ今日は公爵家の令嬢モードである。コルセットで腰を締め上げ、パニエで膨らませたスカートだ。かさばることこの上ない。
「というか、絶対に出られないだろ、その恰好じゃ――スカートのあたりでつかえそうだ」
「もし、私がドレスを着ていなかったとしたら?」
「無理だと思う。カティア嬢が、自ら進んで出たとしたらいけそうだが」
「あ、そう」
窓から身を乗り出して、シルヴィは出ようとしてみた。上半身は無事に出せた。下半身もドレスがなければなんとかなりそうだ。だが、人ひとり担いで出るにはいささか狭い。
「うーん。カティア嬢を縛っておいて、先に荷物みたいに外に下ろす……とか、かしら。でも、そんなことをしたら目立つわよねぇ、きっと」
シルヴィは窓の外に目をやる。
カティアを拉致した人物は、たぶんここから入った。
そして、中で魔術を行使してもわからないように、神殿の結界に働きかける。
戻ってきたカティアが入浴しようとしたところで、カティアの抵抗を奪い――たぶん、ここで魔術を使ったのだろう。
そして、カティアを担いで窓から出――そこで、シルヴィはぴたりと動きを止めた。
「いえ、ここで窓から出る必要はないのよね。だって、この床に転送陣を描けばいいだけの話だもの」
シルヴィならばそうする。転送陣を描いて、一気に飛んでしまえばあとを追われることはない。
「エドガー、ちょっとそこどいて!」
浴室の床に立っているエドガーを払うようにして、シルヴィは床にかがみこんだ。
「……ある。たしかにあるわ。転送陣の痕跡――ああ、でもどこに飛んだのかまではわからない……」
「俺にもわかるように説明してもらえるか。何も見えない」
「ああ、そうよね――ええと、ここに転送陣の痕跡があるの。使用した後消えるように設定されていたみたい」
転送陣には、大きく分けて二種類ある。
冒険者ギルドに用意されている転送陣のように、事前に描かれ、場所を設定されていて、誰かが魔力を流し込めば起動できるもの。
そしてもうひとつは、一度限りのものだ。たいていの場合は、使い捨てられた転送陣が残るものだが、今回は消えるように設定されていたようだ。わざわざ消えるように設定する分魔力を多く消耗するため、普通はそこまではやらない。
エドガーに見えていないのは、魔力の痕跡を追うのがシルヴィほど得意ではないからだ。
シルヴィはペンを取り出し、エドガーの目にも見えるように浴室の床に転送陣の模様をなぞって書いた。
「カティア嬢を拉致した人物は、ここに転送陣を描いて、脱出したのよ。たぶん、この描き方はフライネ王国で修業した人だと思うんだけど ……どこに飛んだかまでは追えそうもないわね」
だが、ここまで来て一つだけわかったことがある。カティアは、転送陣を扱うことのできる人間に拉致されたのだろう。
ということは、かなり高い魔力を持つ人間ということになる。
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