王妃からの申し出
王宮訪問から三日後のこと。
農場を訪れたエドガーの話を聞いて、シルヴィは目を見開いた。
「……は? 拉致された?」
カティアが一週間ほど前に拉致されていたということがエドガーの命じた調査で判明したそうだ。
馬鹿じゃないのと言いたいところだけれど、それをぐっと飲みこむ。カティアが神殿から拉致されたのは、王家の責任ではない。
テーブルの上にばたりと倒れこんだエドガーは、そのまま顔を上げようとしなかった。カティアの拉致がよほどこたえているらしい。
「じゃあ、この間私達が神殿に行った時に会えなかったのは……」
「すでに拉致されたあとだったというわけだ」
「まあ、そんなことじゃないかとは思ったけど……ヴェントスが部屋にはいないって言ってたし」
神殿には、悪しき魔族を寄せ付けないような措置はされているが、精霊を完璧に排除することはできない。 精霊はどこにでも存在するからだ。
それに、シルヴィ並みに精霊を扱うことのできる魔術師というのはそもそもほとんどいないし、いたところで、誰にも気づかれずに人一人を拉致するような魔術を行使するのは不可能に近い。
「そうか。精霊は部屋にいないと言っていたのか」
「ええ。こっそり神殿の外に出して、莫大な寄付金や何かと引き換えに治療していた可能性も考えていたから……特に騒がなかったんだけどね」
ということは、誰か神殿に侵入してカティアを拉致したということになる。
神殿には結界が張られているから、その結界を破るような真似をすればすぐに気づかれる。結界が破られていないということは物理的に侵入した可能性の方が高い。
神殿もそれなりに厳重に警戒されてはいるが、王宮とは違う。どこかに隙があるはずだ。
――それよりももっとありそうなのは。
「カティア嬢が自分の意思で出ていったということはないの?」
誰かが侵入するより、自分の足で歩いて出行く方が楽そうな気がする。
カティア自身が、自分の現在の立ち位置をどう把握しているかまでは知らない。
おとなしく神殿で奉仕活動に務めている分にはまだいいが、不満を覚えているという可能性も十分にある。つい先日までは、王太子の側で華やかな生活を送っていたのだから。
「――それは、ないだろうな」
エドガーがテーブルの上に倒れこんだままもごもごと言った。神殿では、カティアを逃がさないように、十分警戒していたそうだ。
「神殿の方でも、カティア嬢については罪人と言う扱いだったそうだ。そのため、彼女が気づかずに出ていくというのは難しかった」
カティアの居室は、窓は格子がはめられ、開けることはできないようになっているらしい。
夜、彼女が部屋に入った後は、扉の前には二人の神官がつめて番をする。扉はもちろん鍵をかけてあるが、ただの鍵ではなく、二つ、型の違うものを用意しているそうだ。
朝、その鍵が開けられるまでカティアは部屋の外に出ることはできない。翌朝までは出られないが、室内には一通りの設備があり、困ることはないらしい。
「たしかに彼女のやったことは、誉められたことではなかったけれど、そこまで厳重に監視していたなんてね」
「カティア嬢の足に鎖をつけて、部屋から外に出られないようにしてはどうかという話もあったらしいが、さすがにそこまではという意見に落ち着いたそうだ」
「神殿からしたら罪人かもしれないけれど、犯罪者ではないものねぇ……」
魔族に乗っ取られたカティアは、加害者であるのと同時に被害者でもある。今までの経緯を考えれば自由に外出できないのは当然だが、足に鎖をつけるのはやり過ぎだ。
(……それで、また疲れた顔をしているわけね)
シルヴィの父も手を貸してはいるはずだが、クリストファーの抜けた穴は意外と大きかったらしい。エドガーの負担を、もう少し減らす方向に行ければいいのだけれど。
「――エドガー、あまり根をつめないようにね」
「わかってる。しばらくこっちには来られないと思うが――まあ、俺は元気にやってるはずだ。柵の魔力だけ流しておく」
元気にやってるはずってどういうことだ。
(私に依頼が来ているわけじゃないものねぇ……)
困っている人間がいれば手を差し伸べたいとは思うが、王家の問題にこちらから飛び込んでいくのは遠慮しておきたい。
それでも、一言付け加えずにはいられなかった。
「ねえ、もし――」
もし、シルヴィの力が必要なら。
手を貸すくらいはしてもいい。自分から飛び込むことはしなくても、エドガーが必要だというのなら。
けれど、エドガーは首を横に振って断った。シルヴィの手を借りたくないというより、シルヴィの手を煩わせてはいけないという気持ちの表れなのだろう。
「無理にとは言わないけれど、私の手はいつだって空いているんだからね? ……あなたのためになら」
今、エドガーに向ける感情を説明するのは難しい。恋愛感情に限りなく近いだろうけれど、まだ、そこまで踏み込めない。
「……ありがとう」
そして、口角を上げて笑みを作ったエドガーは、シルヴィの考えをきちんと理解している。
今のところ、シルヴィにできることはない。エドガーの意思を無視してまで踏み込むつもりはないのだ。
◇ ◇ ◇
エドガーの方から頼むまで深く関わるのはやめておこうと思っていたけれど、シルヴィの予想より早く事態は動いた。
「シルヴィ、すまない――!」
目の前で、エドガーが深々と頭を下げている。顔を上げてと言いたいところだけれど、果たしてそれで彼が顔を上げるかどうか。
「これ以上、シルヴィのスローライフの邪魔はするなと言ったんだが、とめきれなかった」
「……いいわよ。引退したとは言っても、何かあれば駆り出されるのは想定していたもの」
カティアの不在は、王家と神殿の間だけではなく、王家からの依頼により冒険者ギルドの知るところとなったそうだ。
冒険者ギルド自体、政治的な権力を持っているというわけではないのだが、王家の意向は無視できない。
「で、私のところに依頼が来たわけね……」
最初、王家はシルヴィに直接依頼を出そうとしたらしい。そこには、エドガーの「これ以上シルヴィに迷惑をかけるな」という意向が大きく働いている。
クリストファーの件でシルヴィを指名した直後であるし、二度も三度もシルヴィの手を煩わせるなと国王を叱りつけたそうだ。
そんなわけで、王都の冒険者ギルドに話が行ったのだが引き受ける者はいなかった。そこで、全国の冒険者ギルドに話が回り、あちこちぐるぐる回された挙句シルヴィのところに到着したのである。
もちろん、エドガーはそんなことはシルヴィの前では口にしない。会議の場に居合わせた父が、こっそり教えてくれたのである。
『エドガー殿下は頑張っているねぇ』とにやにやしていたのは父のいい性格が出ているが、深く追及するのはやめておいた。
父としてはエドガーがシルヴィに近づくのは面白くないらしいのだが、頑張る若者の姿を見るのは楽しいらしい。
「ギルドを経由してきたってことは、断ってもいいってことよねぇ」
冒険者達がことごとく依頼をスルーしたものだから、最終的にシルヴィに回ってきたそうだ。
一般市民はカティアの回復魔術をありがたがっているけれど、冒険者ギルドにとっては、魔族に乗っ取られたカティアはなんだか不気味な存在だということなのだろう。
「断ってかまわない――と俺は思っている。だが、母上から伝言だ」
「何かしら?」
「もし、引き受けてくれるのであれば、シルヴィの店の従業員に母上直々に教育をしてくれるそうだ。それと、もちろん、報酬は弾ませてもらう――当然だが、慰謝料とは別だぞ」
シルヴィは考え込んだ。
(エドガーの負担を軽減するために、協力するのは別にかまわないんだけど……)
ここでシルヴィが話を蹴ったら、最終的には両親とか、両親と同世代の元冒険者とか、他国の冒険者に話がいくことになるのだろう。
両親はともかくとして、すでに引退している人達に話が行くのは申し訳ないし、他国の冒険者に依頼するなんて言語道断だ。
シルヴィのところに話が来たのが最後と言うことは、それだけエドガーが頑張ってくれたということなのだろう。
王太子の婚約者だった時代、エドガーの母である王妃からは、王太子妃にふさわしい言動を叩きこまれたものだ。
貴族カフェの従業員に、王妃直々の教育を与えられたとしたら――これは、また一つ売りになる。
「いいわ。その話、乗った」
「……本当にいいのか?」
「まあ、あれを野放しにしておくのも後味悪いしね」
それ以上に、王妃からの提案が魅力的だったのは否定できない。やるからには、本格派を目指したいのだ。
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