エイディーネ神殿にて
薬を飲まされたクリストファーは、落ち着きを取り戻したようだった。姿勢を正し、シルヴィの方に向き直る。
「――メルコリーニ公爵夫人、シルヴィアーナ嬢……なぜ、俺を――いや、私を助けたのだ?」
「それは、殿下がまだ責任を果たしていないからですわ。殿下が起こした事件。後始末がまだ残っておりますもの」
クリストファーの問いに答えたのは母だった。シルヴィは、母の言葉にかぶせるようにして付け足した。
「そうそう。責任は果たしていただかねば困ります――なぜ、カティア嬢が魔族に操られたのかの解明もまだです。同じような事件の再発を防ぐためにも、殿下の証言は必要です」
「責任を果たしていないって……散々な言われようだな」
クリストファーは、前髪に手をやり、無意識のうちにそれを手で調えていた。懐かしい光景だな、とシルヴィは思う。
卒業式のあの日、シルヴィに婚約破棄を叩きつけたクリストファーは、乱れてもいない髪を整えていた。
――あの時は。
クリストファーの横にはカティアがいて、シルヴィは一人クリストファーと向かい合っていた。今は、シルヴィの横にエドガーがいて、母もいて。
こちらが三人に対し、一人なのはクリストファーだ。
じっと彼を見ていたら、いたたまれなくなったように視線が泳いだ。だが、すぐに思い直したようにクリストファーは口を開いた。
「――シルヴィアーナ嬢。ひとつ、頼まれてはもらえないだろうか」
エドガーではなく、シルヴィに頼みがあるという。クリストファーの真意がわからず、シルヴィは眉間に皺を寄せた。
「カティアがどうしているか、調べてもらえないか。私より魔族の影響が大きいはずだ。もし、彼女にも同じような影響が出ているのであれば――」
「かしこまりました」
最後まで言わせず、シルヴィはクリストファーの頼みを受け入れた。いずれにしても、近いうちにカティアの様子は見に行こうと思っていたのだ。
「シルヴィ、兄上の頼みを聞く必要はないんだぞ」
「いえ、そうしなければならないと思いますので」
「――感謝する」
あまり似ていないと思うことも多いのに、今のクリストファーはエドガーとそっくりに見えた。
シルヴィに向かい、深々と頭を下げる。
「しばらくの間、クリストファー殿下の幽閉場所は変えた方がいいかもしれません」
再びエレベーターを使って、一階まで降りる間に母がそう進言する。エドガーは渋い顔になった。
クリストファーは、この塔からは出してはならない。そう決めたのは王家だ。それを破ることに、抵抗があるのだろう。
「この塔にかけられている魔術、利用はできても、解明できているわけではありませんよね?」
「……そうだ」
母の前で嘘をついても始まらない。エドガーは、素直に認めた。だが、実際問題としてクリストファーをこの塔から連れ出すのは難しいだろう。
「殿下の身体に悪影響を及ぼしている可能性があります。ですから、もう少し体調が回復するまで、場所を変えた方がいいでしょう」
「お母様、その件については、お父様と陛下と話をした方がいいんじゃないかしら。宰相閣下とのお話も必要になるでしょうし」
「ええ、そうね。では、殿下。私はこれで失礼します。シルヴィ、あなたは先にお帰りなさい。クリストファー殿下に頼まれたこともあるでしょう?」
塔を出るなり、母は急ぎ足に行ってしまった。
「シルヴィ、兄上の頼みを聞いてよかったのか?」
「なんで?」
母がいなくなったからなのか、気の重い任務を終えたからなのか、エドガーは農場に来ている時の様子を取り戻していた。表情が、柔らかくなっている。
「わざわざ神殿にカティア嬢の様子を見に行くと言っただろう」
「ああ……それね。ちょっと私も気になることがあって。エイディーネ神殿にいる聖女の噂が、ウルディにまで届いているのよ」
「それは、届くだろう。カティア嬢は、神殿にとっては大切な聖女だ」
「……そうなんだけど。神殿が、カティア嬢を搾取しているのではないかと思って」
カティアが神殿に入れられたのは、魔族から守るという意味と、罪の償いと二重の意味がある。魔族に乗っ取られ、国を傾けた責任のいったんはカティアにもあるからだ。
むろん、カティアとしては、身分のある男性に見初められたというだけのことでしかなかったのだろうけれど、それに振り回される側としては、困るのだ。
「搾取ってことはないだろう」
「でも、ウルディってど田舎よ? あなたもよく知っているでしょうけど」
シルヴィがウルディに腰を落ち着ける気になったのは、国境近くの小さな町だったからという理由がある。そこでなら、必要以上に目立たないと思ったのだ。
「まあ、都会ではないな」
「そんなウルディにまで届くくらいよ? 十人以上一気に直したとか、死人がばたばた生き返るとか……お母様を越える噂にもなってるんだもの」
たしかに蘇生魔術は存在するが、噂になっているようになんでも生き返らせることができるというわけではなく、限界というものがある。
死後、一定時間を過ぎてしまえば無理だし、病で肉体が限界を迎えて死に至った場合も無理だ。肉体が残っていない場合も無理。どの程度残っていれば可能なのかシルヴィは知らないが。
ポーションや回復魔術ですべての怪我や病が回復するわけでもない。それはかつて”聖女”と呼ばれたシルヴィの母にも無理な芸当だ。
だが、ウルディに届いた噂では、カティアは死後三日たった死体を生き返らせただの、かつての聖女を超えただのとすさまじい噂になっている。
「噂は噂に過ぎないのかもしれないけれど……噂になるなら、それなりのことはしてるんじゃないかと思って。よっぽど搾取されているんじゃないかって心配にもなるわ」
「俺も一緒に行く」
エドガーの決断は早かった。
シルヴィの言葉を百パーセント信じたわけでもないだろうが、神殿にいるカティアの様子は確認しておいた方がいいという気になったらしい。
「……あなたが一緒に来てくれた方が話が早いと思うわ」
エイディーネ神殿も、王族が一緒に来ているのなら無碍に追い返すこともできないだろう。けれど、シルヴィのその予想は、大きく外れることとなった。
「大変申し訳ないのですが、カティアはただいま休んでおります」
「休んでいる……?」
「今朝は多数の病人が、神殿に来ておりまして……」
魔術を使いすぎた時には、魔力回復ポーションもあるがひたすら身体を休めるのが一番手っ取り早い。魔力回復ポーションの乱用は、身体に影響を及ぼす可能性があるからだ。
「そうですか。では、また改めて参ります」
公爵令嬢としての笑みを顔に張り付けたシルヴィは立ち上がった。
「殿下、また改めてうかがいましょう」
「ああ、そうだな。神官殿、手間をかけた」
こちらもまた、王子として鷹揚な態度のエドガーが、シルヴィに手を貸してくれる。
(……回復魔術を使いすぎて倒れているなんて……やっぱり搾取されているのかしら)
シルヴィは、そっと風の精霊ヴェントスを呼んだ。
「カティアの様子を見てきてくれる?」
『かしこまりました、ご主人様』
するりと風の精霊は姿を消す。ヴェントスがどんな情報を持ってくるのか。それによって、これからの動きが変わりそうだ。
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