とりあえずこの薬を飲んでおけ
王位継承権をはく奪され、幽閉されているとはいえ、クリストファーは一応王子だ。彼の身の回りのことについては、きちんと配慮されていた。
王宮にあったクリストファーの私室ほどではないだろうが、部屋はかなりの広さがあり、置かれている家具も、上質のものであった。
(……たしかに、具合が悪そうね)
クリストファーは一応身なりを改めソファに座ってシルヴィ達を待っていたけれど、顔色が悪い。あまりにも血の気がなくて、真っ白に見えたほどだ。
「――メルコリーニ公爵夫人。それに――シルヴィアーナ嬢、か」
シルヴィは視線をそらした。なんとなく、今のクリストファーの様子は見たくない気がした。だが、すぐに視線を戻す。
ソファにぐったりと身を預けたまま、クリストファーはわずかに口角を上げて笑みらしきものを浮かべた。
「女性に対する礼儀がなっていないが、座ったままなのは許してもらおう。身体が重いんだ」
ソファに座ったまま、そう言うクリストファーの姿を見て、「戻ったんだな」と実感した。
カティアと出会う以前の彼に。過ちを犯す以前の彼に。
昔のクリストファーは、王族としてきちんと果たすべき責務を果たしていた。シルヴィに対しても、婚約者に対する最低限の礼儀は守ってくれた。
今の彼は、魔族の悪影響から抜け出て、一人の王族としてあるべき姿を取り戻したように見える。
戻ったところで、彼のしでかしたことが帳消しになるわけでもないし、ここから出られるわけでもない。彼が失ったものは、あまりにも多かった。
「……失礼しますね」
母がクリストファーの側に寄る。
目をのぞき込んだり、腕を取って、クリストファーの魔力の流れを確認したりしているのを、シルヴィは立ったまま眺めていた。
両親との特訓の元、ありとあらゆる能力を身につけてはきたが、得意なことと不得意なことがあるのは否定できない。治療は苦手だ。
(……お母様の診断によって、治療は変わるでしょうしね)
クリストファーのような症例は珍しいため、母の知識と経験に期待するしかない。
(あの魔族の影響は……完全に抜けていると思うんだけど……)
シルヴィに求められているのは、今、クリストファーに魔族の影響が残っているかどうかを確認することだ。
立ったまま、シルヴィはクリストファーの魔力を観察する。そこにあるのは、クリストファーの魔力だけ。魔族の影響は残されていない。
「……無理をしたつけですわね、これは」
母は、クリストファーの魔力の流れを確認すると、そう言い放った。
「このまま治療しなければ、命にかかわるのは間違いありませんわね。薬の調合は、王宮のお医者様に伝えておきます」
「――治療は不要だ」
そう言ったクリストファーに、シルヴィはかちんと来た。
(そうだった、こういうところがだめだと思ってたのよ!)
王族として、最低限の礼儀は尽くすべきだと思っていたけれど、そういえばクリストファーにはこういうところがあった。
それが、彼の欠点だった。自分が嫌だと思ったことからは、逃げがちなところ。 今は、自分の犯した過ちから目をそらそうとしている。
カティアに惹かれていったのも、自分の弱さから逃げたせい。自分より優秀なシルヴィと向き合うことを放棄した。
その結果、クリストファーが大切にしていたすべてを失うこととなった。
(……この人は、まだこういうところが残っている)
かちんときてしまったのは、シルヴィの短気なところ。
「お母様、ちょっと後ろ向いててくださる?」
と言ったのは、体裁を整えるためのものだった。
これから先、シルヴィが何をしようが母が味方になってくれるのはわかっているが、一応見ていなかったという体裁は整えておいた方がいい。
母は、シルヴィの言葉に従って、くるりと後ろを向いた。
「――エドガー」
「ん?」
シルヴィが、いつも農場で顔を合わせている時の調子を取り戻したものだから、エドガーもうっかりつられたらしい。王子としての仮面が、勢いよく転げ落ちている。
「あの人を押さえて」
「お、おう……?」
シルヴィが顎をしゃくると、よくわからないという表情のまま、エドガーはクリストファーを羽交い絞めにした。
「エドガー、待て、何をする!」
シルヴィが胸元に手を突っ込むと、エドガーもクリストファーもぎょっとした顔になった。
「こら、どこに手をつっこ――」
エドガーのたしなめるような言葉が終わる前に、シルヴィはガラスの小瓶を取り出した。町中の薬局でしばしば見られるポーションの容器だ。
「だって、ドレスって収納する場所ないのよ?」
一番手っ取り早いのは、胸元に“ナンデモハイール”を仕込んでおくことだ。
どこで何があるかわからないから、シルヴィのドレスはすべて胸元に仕掛けがしてある。
シルヴィの取り出した瓶は、見た目は非常に不気味だった。毒々しい紫色の液体が、ぶくぶくと泡立っている。
そう言ったシルヴィは、シュポンッと音を立てて、容器の栓を抜く。
「な、何を飲ませるつもりだ――放せっ!」
シルヴィは瓶を右手ににっこりとして見せた。悪女っぽく見えるといいなぁと思いながら、小首をかしげる。
「あら、殿下はさっさとお亡くなりになりたいのでしょ? 母の治療を拒むくらいですもの。でしたら、今すぐさっさと引導を渡して差し上げます」
「ちょ――、ま、待て。話せばわか――」
最後まで、クリストファーに言わせるつもりなどなかった。一歩でクリストファーとついでに彼を羽交い絞めにしているエドガーのすぐ側まで近づくと、シルヴィは小瓶の中身をクリストファーの口内に流し込んだ。
「ま――マズイっ!」
ごほごほとクリストファーがせき込むのを見て、エドガーが慌てて背中をさすってやる。
「何を飲ませた。俺を殺すつもりか!」
今の今まで悲劇の主人公。いつ死んでもいいのだというそぶりを見せていたくせに、クリストファーは、シルヴィに向かってまくしたてた。
「あらやだ、殿下。それ、ポテトマンドラゴラから抽出した精力剤ですよ? 聞いた話によると、元気になりすぎて、夜も眠れなくなるそうですけれども」
悪びれずシルヴィは首をかしげた。
クリストファーが今晩眠れなくても、シルヴィには関係ない。
「――そんなものを、飲ませてどうする!」
立ち上がったクリストファーは、声を上げた。
「魔力の流れを整える効果もあるので――だって、先ほどまでは立ち上がるのもやっとだったのに、今は違うでしょう?」
レースの扇を取り出し、クリストファーの前で広げる。その陰に表情を隠すようにして、シルヴィは目元だけで微笑んでみせた。
「……たしかに」
「ものすごくまずいし、ものすごくまずいし、ものすごくまずいので、一般には流通していないんですけれども」
ポテトマンドラゴラ自体はいい味なのだが、なぜか抽出するとすさまじいことになる。そんなわけで、ポーションの材料に使う時には、ほんの少しだけ入れるのだ。
だが、今シルヴィがクリストファーに飲ませたのは、ポテトマンドラゴラの成分が大半を占めるもの。
あとは、香りづけにミントだの飲みやすくするために砂糖や蜂蜜だのとポーション職人の涙ぐましい努力のあとがうかがえるが、まずいものはまずい。ぶくぶく泡立っているのもどうにもならなかった。
「でも、私にどなる元気くらいは出てよかったです。あのままお亡くなりになったら、後味が悪いので」
「……すまない」
シルヴィの言葉に、クリストファーは頭を下げた。
「いえ、いいんですよ。殿下が亡くなると、困る人がたくさんいますから」
くるりと向き直った母は、クリストファーの様子を観察しながら、何かメモを取っている。薬の調合を決めているのだろう。
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