王家の塔
クリストファーが幽閉されている王家の塔は、城の中でも奥まった位置にあった。遠くからもよく見えるが、シルヴィ自身、ここに足を踏み入れたことはない。
塔の高さ二十階くらいはありそうで、それだけでこの塔が他の建物とは違うということをまざまざと見せつけてくるようだ。
この国には、高い建物というのは基本的に存在しない。王宮だって、一部は五階建てほどの高さがあるが、それ以外の部分は、三階建てになっている部分が大半だ。
土地はありあまっているので、上に積んで部屋数を増やす必要はないのだ。二階と一階を分けるのは、二階は宿泊客以外招き入れない、完璧にプライベートな空間にするためという面が大きい。
五、六階建てのアパート形式の建物は存在するが、そこに住まうのはあまり裕福ではない人に限られている。
そのため、王宮の奥の方にあるとはいえ、二十階ほどもありそうな高い塔は、それだけで異彩を放っていた。
「メルコリーニ公爵夫人、シルヴィアーナ嬢。今回のこと、感謝する」
久しぶりに王宮で顔を合わせたエドガーは、きちんと『王子様』をしていた。
そのことにシルヴィは安堵する。母との会話でさんざんエドガーと呼び捨てにしていたのは、記憶から抹消した。
「当然のことですわ、殿下。お気になさらず」
そう言えば、エドガーは微妙な表情になる。彼の表情筋が動いたのはごくわずかだったけれど、当惑しているのがシルヴィにはわかった。
「――兄上が、夫人と令嬢に礼をしたいそうだ――上がってもらえるか」
シルヴィは母の方を見た。この場合、どう返事をするのが正解なのだろう。
「謝礼は必要ありませんが――体調を確認させていただければ。今日のところは、応急手当だけさせていただきますね」
母は口角を上げたけれど、目は笑っていない。シルヴィの頼みで一応ここまで来てくれたが、王家を許してはいないということか。
(……クリストファー殿下の具合、そんなによくないのかしら)
エドガーの様子を見ていれば、深刻な状況であるということはありありと伝わってくる。根本的な治療については、母に任せるしかないのだが。
「……近くで見ると、ずいぶん高いんですね」
エドガーの案内で、王宮の奥に足を踏み入れる。
塔のあるあたりは、立ち入りを許されていない。シルヴィも足を踏み入れるのは初めてのことだった。
近くで見ると、遠くから見ていた時よりずっと高く感じられる。
もちろん、シルヴィは前世でいわゆる高層ビルなんかも見ていたわけで、それと比べたら低い。だが、この世界では高い建物があまりないので、異様な雰囲気を覚えずにはいられない。
「このあたりは、あまり空気がよくないだろう。中に入って、身体が重かったり、具合が悪いと感じたらすぐに言ってくれ」
「近くで見ると、異様な気配ですよね、この塔。魔力を封じているからそうなるんですか?」
エドガーと、王子と貴族令嬢という立場で話をするのは、妙な気分だった。シルヴィの知るエドガーは、こんな顔は見せない。
イグニスに喧嘩を売られ、アクアにからかわれ、ゴーレム達と畑を駆けまわって。不愉快だと思えば声を荒げるし、楽しいと思えば思いきり笑う。
ギュニオンに懐かれているのは悪い気はしないようで、手をかじられるぐらいは許容しているし、時々こっそりおやつを差し入れているのも知っている。
けれど、ここにいるエドガーは、きちんと王族としての責任を果たそうとしている。
それに安堵する反面――不安にも思うのはなぜなのだろう。
「兄上の魔力を封じるための装置が、他の人に悪影響を及ぼすことがあるそうだ。二人とも具合は?」
「私は特に。お母様は?」
シルヴィには、塔内の空気がわずかに淀んでいるのが感じ取れた。クリストファーの魔力を封じるための装置は、この塔全体を使って機能しているようだ。
(……魔力を封じるだけじゃなくて、魔族を寄せ付けないような措置も施されているみたい……王宮に施されているものより、かなり強固かも。たぶん、昔の遺跡を移築して作った……とかそんな感じかしらね)
王宮全体に魔物を寄せ付けないような措置は施されているが、魔族を寄せ付けないような措置までは施されていない。
魔族自体が、ほぼ人間の世界に姿を見せることはないし、魔族を寄せ付けないようにする結界を維持するためには、かなり大量の魔石を必要とするからだ。
母も、眉間にわずかに皺を寄せている。母も、不快とまではいかないにしてもそれなりに違和感を覚えてはいるのだろう。
「そうねぇ。できれば、三十分くらいですませたいですわね。長居したら、気分が悪くなるかもしれません」
シルヴィと母は、違和感を覚える程度ですんでいるようだが、エドガーの方はだいぶ不快なようだ。唇をぎゅっと結んで、不機嫌な顔をしている。
「殿下は具合悪いんですか?」
「具合が悪いというか……この塔から出た後は、数時間の休息が必要だ」
無理しなければいいのにとシルヴィは思ったけれど、口は閉じておいた。
(私とお母様だけを、この塔の中に行かせるわけにはいかないと思ったのよね、きっと。エドガーは、かなり不快みたいだし)
彼の表情からすれば、不快であることくらいはわかる。自分も一緒に不快な思いをしようというのは、妙に律義なところがある。
(……変なところで律義なんだから)
エドガー自身が来る必要はなくて、誰か使用人――使用人といっても、王宮の案内役は貴族である――に任せてしまってもよかった。
けれど、そうしないのはやはりエドガーの責任感の強さなのだ。
「では、なるべく早く終わらせるようにしましょう。殿下の疲労は、できるだけ少ない方がいいですものね」
足を踏み入れた塔の内部は、中央に円形の柱が立っているだけ。他には何もなかった。
(……っていうか、たぶん、あれエレベーターだわ)
この世界に、エレベーターというものは、基本的には存在しない。高い建物が存在しないから必要ないのだ。
だが、概念としてはエレベーターで間違いがないのだろう。その証拠に、柱の根元のところに、ぽかりと出入口らしき穴が開いている。
上を見上げれば、天井は普通の建物よりも高い位置にあった。
(古代の遺跡の応用ってとこかしらね。)
たぶん、この塔が建てられたのはここ百年程度のことであっても、ここで使われている技術は、失われた古代の文明のものだ。
「ゆっくり移動させるが、一気に上昇するので、気分が悪くなるかもしれない」
「大丈夫ですよ、殿下。お気になさらず」
はたして、シルヴィの予想通り、それはエレベーターであった。
最上階に着くまでにかかった時間は数分というところで、たしかに、一気に上昇したと言えるかもしれない。
「……どこかの遺跡で、こんな装置に出会ったことがあるわ。便利だとは思うんだけど……」
「家には二階までしかないでしょ、お母様」
このエレベーターを動かす動力も魔石から得られているようだ。おそらく、王宮で働いている人達が、魔力を注いでいる。
目の前には、立派な扉がある。その奥にクリストファーが幽閉されているのだろう。
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