王家からの依頼
シルヴィのところに、都の冒険者ギルドから依頼が入ったのは、貴族カフェがオープンしてすぐのことだった。
貴族に呼ばれたのでマナーを学びたいという冒険者の他、装備品を新調したいという冒険者、新しいダンジョンに入るのでアミュレットが欲しいという冒険者等、様々な人間が押しかけてきて、ウルディという場所にあるにしては、繁盛していると思う。
ついでに、講習を終えた者にはウルディの冒険者ギルドに顔を出すようにと言っておいたおかげで、ウルディの宿に泊まる者も多いらしく、町は少しずつ以前の賑わいを取り戻していた。
そんな中訪れた、王家からの依頼である。シルヴィはむぅっとうなってしまった。今は王家の依頼より、オープンしたばかりの店に専念していたい。
「クリストファー殿下の具合って、そんなに悪いの?」
「もともと、さほど多くなかった魔力を無理やり底上げしていた状態だそうだ。それで、あちこち身体にガタが来ているらしい」
問われたエドガーの方は、憂鬱そうな表情だ。シルヴィにこんな依頼をすべきではないということを、彼は一番よく知っているはずだ。
(……たぶん、クリストファー殿下の様子を観察してほしいってことなんだろうけど)
シルヴィ自身の目で、直接クリストファーの様子を確認してもらいたいのだろう。あの魔物と直接向き合ったシルヴィならば、今クリストファーの治療に当たっている医者や神官では見落としてしまったことに気付くかもしれないから。
「なんで、私に直接言わなかったのかしら」
「――言えるわけないだろ」
エドガーはぱたりとキッチンのテーブルの上に倒れこむ。
彼の後頭部を、ぺしぺしとギュニオンが前足で叩いた。慰めているのかおちょくっているのか、ちょっとわからない。
「なんで?」
「なんでって、お前な!」
がばりとエドガーが身を起こしたので、勢い余ったギュニオンがテーブルから転げ落ちそうになる。
「おっと、悪い悪い」
ギュニオンを器用に抱き留めたエドガーは、テーブルの上にギュニオンを戻した。
「ムギュッ、ムギュギュッ!」
「悪かったって言ってるだろ」
手を伸ばして、ギュニオンの顎の下をくすぐりながら、エドガーは言う。
「兄上の過去にしでかしたこと、王家がシルヴィに強いてきたことを思えば、直接依頼はできないだろ」
王家から命令があれば、シルヴィは従わざるを得ない。それは、王家がシルヴィに対して影響力を持っているからというわけではなく、シルヴィとメルコリーニ家が国を治める者には逆らわないと決めているからだ。それが、どれだけ理不尽な命令であったとしても、だ。
おそらく、その選択が王家をつけ上がらせたのだろう。おかげで、学園に通っている間も、王家のためにダンジョンに入ることを要求し続けた。
自分の力をよく知っているシルヴィとメルコリーニ家が、自重してきたからこそ成立する関係だということを王も先王も理解していなかった。
「だから、冒険者ギルド経由で? まあ、指名の依頼でも、ギルド経由ならこっちが断ろうと思えば断れるものね。王家からの命令は基本的には断れないけど」
基本的に、とつけたのは当然シルヴィが断ろうと思えば断れるからである。
とはいえ、わざわざギルドを経由したのは、シルヴィに依頼を受けるか受けないかの選択肢を与えるためということもまたわかっていた。
「エドガーがそうしてくれたんでしょ、ありがとう」
「――俺は、別に」
居心地悪そうに、エドガーは視線をそらした。
何かとシルヴィを頼りにしている王家の人達は、命令さえすればシルヴィが動くと思っているのだから、エドガーとしてはそうせざるを得なかったのだろう。
「わかった。受ける」
「……断っても、いいんだぞ」
一瞬の間。その間に彼が何を考えたのかまではシルヴィにはわからなかった。
――けれど。
(……なんとなく、エドガーのこういう顔は見たくないのよね)
自分の力不足を痛感しているような、そんな顔をエドガーは時々見せる。
今、彼の肩にのしかかっている重荷は相当のものだろう。昔から王家の一員として育ち、その立場にある以上逃れられない義務もしっかり果たしてきた。
だが、王太子が事件を起こすという前代未聞の事件。その後始末に、今でも忙しく動き回っていることもまた知っていた。
これ以上、エドガーの肩に荷物を載せてはいけないような気がしたのだ。
「そんなのギルド経由で依頼してきたんだからわかってるわよ。私が、私の意思で受けるって決めたんだから大丈夫」
「――すまない」
また、謝られてしまう。これ以上の謝罪は必要ないのに。
「いいわよ。私の意思に任せてくれたでしょ? そして、私は、自分の意思で受けるって決めたから安心して」
「こちらこそ、感謝する」
右手をがじがじとギュニオンに齧られながら、エドガーは笑った。
(……エドガーとなら、王家との関係も変えていけると思うのよね)
その判断が正しいかどうかは、シルヴィにはわからない。
ただ、エドガーがこうして間に入ってくれるのであれば、王家から一方的に命じられる関係とは違う関係を築けるのではないかと思った。
「……それにしても、ギュニオン。あなたエドガーの手を食べるつもりなの?」
「いててててっ」
がぶりと勢いを増して、ギュニオンが歯を立てる。悲鳴を上げたエドガーだったけれど、ギュニオンを振り払おうとはしなかった。
「ぎゅーっ、ぎゅーっ」
「林檎しか食べないんだから、エドガーの手を齧るのはやめなさい」
シルヴィに首根っこを掴まれ、持ち上げられてギュニオンは短い手足を振り回す。まったく、困ったものだとシルヴィは思った。
「それで、クリストファー殿下に届けるのは、ポテトマンドラゴラを使ったポーションでいいの?」
「ああ。それから、他にいくつか材料はあるが、それはこちらで用意する」
「――お母様にも、様子を見てもらう?」
シルヴィの言葉に、エドガーは驚いたように目を瞬かせた。そこまで驚かなくてもいいだろうに。
自分の胸の前に抱え込んだギュニオンの頭を撫でながら、シルヴィはなんてことないように言い放つ。
「うちのお母様、回復魔術の使い手としてはかなりのものなのは知ってるでしょ。神殿にいる神官よりもお母様の方が上だし」
「だが、メルコリーニ家には……」
まあ、クリストファーがシルヴィにしたことを考えれば、王家からメルコリーニ家に対して、クリストファーの様子を見に行ってくれとは言えないだろう。
両親と比較するとシルヴィはまだ甘い。そのシルヴィの甘さをわかっているからこそ、ギルド経由で依頼をしてきたのだ。
「私が言えば、行ってくれるかもでしょ。断られる可能性も高いけど、言うだけならただだもの」
「……何から何まですまない」
「慰謝料の上乗せ分に追加しておくから、気にしないで」
「――わかった」
クリストファーから婚約破棄をくらった件についての慰謝料は、現在ちゃくちゃくと支払われているところである。
エドガーが肉体労働で上乗せ分を支払ってくれているのだが、支払いが終わるまではまだ時間がかかりそうだ。
シルヴィがそこにさらに上乗せをしようとしているのは――たぶん、今の関係を崩すのが怖いからかもしれない。
こうやってエドガーが会いに来て、一緒に仕事をして、馬鹿話をして終わる。そんな関係が一番気楽なのだ。そこから先については、まだ考えたくない。
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