父、来襲




「ギュニオン、そろそろ終わりにしなさい。夕食にするわよ」

「もきゅっ!」


 シルヴィが呼びかけると、ギュニオンは身体ごとぐりんとこちらに向き直った。


「スキアリー!」

「隙ありじゃないの。もう終わりなの」


 ゴレ太が打ち込んできた火の玉を、シルヴィは軽々と片手で受け止めた。ぱっと手を振ってそれを消滅させる。


「オワリ?」

「そう、終わり。あなた達は、見回りに戻って!」

「カシコマリマシタ!」


 ゴーレム達は、一列になって畑の方へと戻っていく。シルヴィはぱたぱたと宙を飛んできたギュニオンを抱きとめた。


「ジール、ビールの続きは中に入ってからにしたら?」

「おー!」


 ジールが持ち上げたジョッキは、もう空になっている。いったい、何杯飲んだのやら。


「おーい、皿はこれでいいのか?」


 先にキッチンに入ったエドガーが、窓から身を乗り出し、こちらに向かってシチュー皿を振っている。木製のシチュー皿だ。


「それでいいわ。食後にチーズケーキを食べるから、お腹は残しておいてよね」

「もきゅきゅっ!」


 裏口からキッチンに入ったシルヴィは、ギュニオンをテーブルの上に下ろし、食料保管庫を開けて葉物野菜を取り出す。


「私、テーブルのセッティングしておくわねー」


 テレーズは引き出しを開けて、食卓に敷くランチョンマットやカトラリーを取り出した。もともと農場だったので、キッチンはかなり広い。二人が同時に動いても互いにぶつかるようなことはなかった。


「じゃあ、俺は、ワイン出しておく」

「先に飲まないでよね!」


 ジールは保管庫からワインを取り出した。並べたワイングラスは二人分だ。シルヴィとエドガーは飲まないので。

 四人分のシチュー皿を戸棚から取り出したエドガーは、続いてパンを保管庫から出す。籠に盛り付ける手際がなかなかのものなのは、ここでずっと働かされていたからだ。

 シルヴィがぱっと用意したサラダにシチュー、保管庫から取り出したサーモンのグリルで夕食だ。

 ジールとテレーズは、ワインの瓶を開けているが、シルヴィとエドガーが飲んでいるのはレモンの輪切りを浮かべた炭酸水だ。


「今日は、まあまあ大変だったわねぇ」

「でもまあ、いい経験にはなったんじゃないか?」


 昨日飲み過ぎて二日酔いになったのに、テレーズもジールもまったくこりていないようだ。


「おかげで、サリ夫人のシチューが食べられるし」

「むぎゅっ」


両手で大きな林檎を抱えたギュニオンは、丸のままの林檎をもっしゃもっしゃと齧っている。


「ギュニオンのご飯もそろそろ取りに行った方がいいかしら」


 今のところ、シルヴィのスローライフは順調だ。

 畑の作物は順調に育っているし、ご近所さんとの仲もいい。

 先日は、ご近所さんと集まって、フライドポテトパーティーも開催した。

 庭に持ち出した大鍋で、シルヴィがひたすらポテトをフライにし続け、カレー風味や青のり、トマトソースにチーズソース等、各自自分の好きな味付けをして食べるという炭水化物万歳祭りである。


 ジールとテレーズの二人で、樽一つ分のビールを空にしてしまったから、追加のビールを買いに行くのだけはちょっとめんどうだったけれど。

シルヴィの思い描いたスローライフを満喫中であり、このまま一生ここで暮らしてもいいんじゃないかという気がしてくる。

 ――それが無理であることは、シルヴィ自身が一番よくわかっていたけれど。

 なんて、その予想が現実のものとなったのは意外と早かった。


「シルヴィ、すまないね。明日、王宮に行ってくれないか」

「ぇー」


 シルヴィは露骨に嫌な顔になった。四人が食事をしているテーブルの横に、いきなり父が出現したのだ。


「お父様、いらっしゃるならせめて玄関からにしてほしかったわ」


 というか、転送陣でいきなりテーブルの側に出てくるのは心臓に悪いのでやめてほしい。

 母もしばしば農場に押しかけてくるけれど、庭に転移して、玄関のドアを開けるというワンクッションを挟んでくれる分気が楽だ。


「……父上がまた何か?」


 ちょうどシルヴィの作ったサーモンのグリルにフォークを突き立てたところだったエドガーは、その姿勢のまま父の方に目をやった。


「殿下! いい御身分ですな! ここで娘の手料理を堪能するとは!」


 エドガーをじろりと見て、父はふんと鼻を鳴らした。

王家からエドガーとシルヴィの間に結婚話を持ちかけ、こちらは勢いよくお断りしたという経緯もあり、父のエドガーに対する心証は必ずしもいいものとは言えない。


「――それは、まあ……今日は、ここで研修をさせてもらっていたので」


 父ににらまれて、エドガーは首をすくめた。父は現役の冒険者の大半より強く、まともにやりあったらエドガーに勝ち目はない。


「もきゅっ、ふきゅっ」


 もっしゃもっしゃと林檎を齧っていたギュニオンが、父に向かって前足を上げる。そのまま首をこてんと傾げた。

 間違いなく、自分の愛らしさをわかってやっている。実にあざとい。


「やー、ギュニオン。君大きくなったねぇ……」


 久しぶりに会った孫にかけるような甘ったるい声で、父はギュニオンを抱き上げる。ぺろりと頬を舐められて、父はますます目じりを下げた。


(……やるわねギュニオン!)


 シルヴィとギュニオンの目が合った。ギュニオンは得意げにわずかに頭をそらして見せる。

 一瞬にして、父の脳裏からエドガーが勝手にここで夕食を食べていた件については消滅したようだった。


「むきゅきゅっ」

「やー、君は可愛いねぇ……本当に可愛い……!」


 ギルドの職員達もそうだし、町の人もそうだ。皆、ギュニオンを見ると、目じりが下がって、蕩けそうな顔になる。

 ”魅了”の魔術でも使っているのではないかと疑ったこともあるけれど、今のところその気配はない。ころころとした小動物は、可愛く見えるというあの法則が発動中なのだろうか。


「それでお父様、王宮に行ってどうするの? ここで夕食食べる? シチューは、サリ夫人からの差し入れで私の作ったものじゃないけど――それとも、デザートだけ食べる? サリ夫人のチーズケーキよ」


 素早く立ち上がったシルヴィは、食器棚の方に向かいながらたずねた。

 立ち上がったついでに、魔石コンロの方に移動して、薬缶を火にかける。父は紅茶派なのだ。


「チーズケーキだけ頂こうかね。サリ夫人のチーズケーキは最高だからね」


 以前、サリ夫人のチーズケーキは父にも振る舞ったことがあったから、父も味を知っている。


「――たぶん、兄上の件とカティアの件の報告だと思う。お前、当事者だろ?」

「ほー、人の家の娘をお前呼ばわりねぇ……」


 シルヴィの置いたチーズケーキの皿を囲うようにしながら、父はエドガーをじろりとにらみつけた。


「いや、公爵。ここでのシルヴィはシルヴィだからな? 公爵家の娘であることを表に出さないのは、シルヴィ本人に希望だからな?」

「お父様、その物騒なものはしまってちょうだい。ご飯食べてるんだから」


 父が、シルヴィ作の”ナンデモハイール”から、剣を取り出そうとしたのに気付き、シルヴィは父の手をぴしゃりとやった。


「ちっ」

「今、ちって言ったよな、公爵っ! ――って、ジールとテレーズはどこに行ったんだよ!」


 まさか、父が本気で剣を取り出すとは思っていなかったのだろうが、エドガーはここでようやくジールとテレーズの二人が姿を消しているのに気付いたようだった。

 実は二人とも、父がこの場に現れたのに気付いたとたん、一言も発することなく静かに速やかに気配を完全に殺してテーブルを離れていたのである。

 これがA級冒険者と一般人の違いである。


「二人とも、こちらに戻ってきなさい。取って食おうというわけじゃないんだから」


 キッチンの扉のところから、こわごわと中の様子をうかがっているジールとテレーズに向かい、父がひらひらと手を振る。


「失礼します……」

「公爵に切られるかと思った……」


 おそるおそる戻ってきたジールとテレーズは、父の様子をうかがいながら、そろそろと元の席に着く。


「別に、クリストファー殿下についても、カティア嬢についても、私……あまり興味ないのよねぇ……」


 あまりな発言といえば、あまりな発言なのだろうが、実際、シルヴィは二人の現状にはさほど興味がない。

 魔族の呪いを受けてクリストファーを魅了したカティアも、自分の立場を忘れて、王族としてやってはならない行動をとったクリストファーも、今ではそれぞれ報いを受けている。王宮がきちんとやるべきことをやればそれでいいと思っている。


「そういうわけにもいかないだろう。あの二人を野放しにしておくのはいろいろとまずいからな」


 と、父は真面目な顔になったけれど、すでに父の皿は空っぽになっていた。


「そういうわけだから、明日、こちらに寄ってもらえるかね」

「しかたないわね、お父様」


 シルヴィは、肩をすくめた。これもまた、公爵家の娘としての義務だ。ここで好きにやらせてもらっていたとしても、義務は忘れてはいけない。


「シルヴィ、すまないがお代わりをもらえるかね?」


 父は、シルヴィの前に空になった皿を突き出す。結局、ホールケーキの半分は、父の胃の中に収まったのだった。

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