「元」悪役令嬢はスローライフをエンジョイ中!

 シルヴィの朝は忙しい。以前なら一人で暮らしていたのに、今は同居人が増えたからだ。


「腹減ったー! 飯ー!」

「私もお腹空いた! コーヒー淹れるからご飯お願い!」


 ウルディでの事件が解決してから十日が過ぎているというのに、まだ、ジールとテレーズの二人はシルヴィの家に居座っている。

 いわく、シルヴィの家の子になったのだとか。

 気心の知れた仲間だし、家事も農場の仕事も手伝ってくれる。生活費もきっちり入れてくれるので問題はないのだが、料理担当は圧倒的にシルヴィなのはどういうことだ。

 台所に入ると、ジールは畑から収穫してきた野菜を裏口のところで洗っていて、テレーズはコーヒーをいれるための湯を沸かしている。

 テーブルの上には林檎が積み上げられていて、ギュニオンは一足先に朝食中だった。


「キュイツ」


 ぴんとギュニオンの尾が立ち、シルヴィに朝の挨拶をしてくれる。


「サンドイッチが食いたい!」

「わかった、わかった。ちょっと待って。テレーズ、ゆで卵出してくれる?」


 テーブルについたジールは、サンドイッチを所望してくる。


(……エドガーは、もう来ないのかな)


 キッチンでサンドイッチ用のパンをスライスしながら、シルヴィは思う。

 あれ以来、エドガーはここを訪れていない。


「ウキュウ」

「……そうね。エドガーも忙しいもんね」


 ゆで卵、ハム、チーズ、トマトとレタスに細切りにした人参。最初にエドガーに作ったのも、こんな風にたくさん野菜を挟んだサンドイッチだったな、と思いながら紙でくるむ。


「うまそう。早く早く!」

「せかさないでよ、ジール。テレーズ、私コーヒーはブラックでお願いね」

「了解!」


 結局、意識を取り戻したカティア自身は、何も覚えていないらしい――というのは、昨日、夕食を食べに来た両親が教えてくれた話だ。

クリストファーは、辺境に送られることもなくなった。目を離したら何をするかわからないと判断されたようだ。

王宮の一角にある高い塔に幽閉され、厳重に監視されるそうだ。魔術が使えないよう、彼の閉じ込められている部屋には、体内の魔力を常に一定以下の水準に保つ特別な処置が施されるそうだ。

 さらに、生涯そこから出てくることを許されない。王家の人間に与えられる処罰としては、死刑に次ぐ重い刑罰だ。


(ひょっとして、ラスボスルートに入っていたのかも)


 今となっては、確かめるすべもないが、そんな風にも思う。たしかに、エドガーのあの声がなければ、完全にラスボス化していたかもしれない。


「明日から、しばらくダンジョンの探索に入ろうと思うんだけどどうかしら。そろそろ林檎が切れそうだし」


 しばらく休養を兼ねて農場の整備にかかっていたけれど、そろそろダンジョンの探索に戻った方がいいかもしれない。なにしろ、扶養家族を抱えているのだ。


「いいんじゃないか? ギュニオンも飯は食わないとだからな」


 ジールの前に、真っ先に分厚いサンドイッチを置く。次はテレーズの分だ。

 テレーズの前に二つ目を置き、三つ目の作成に取り掛かったところで、久しぶりの声が聞こえた。


「……あれ、俺の分は?」

「エドガー、こっちに来て大丈夫なの?」


 この時間はキッチンにいると思ったのか、エドガーがふらりと顔を見せた。十日ほど姿を見かけなかっただけなのに、なんだかずいぶん懐かしい。


「危険なS級冒険者を、見張っておかないといけないからな」

「危険危険って……妙な野望なんてないって、知ってるでしょうに」


 ふん、とシルヴィは顔をそむけた。

 本当は知っている。彼が、こんな風にここに来ている場合ではないということも。


「危険がなくても、もうちょっと見ておかないとな」

「どうして?」

「俺が、見ていたいから」


 そう言って、エドガーはにっと笑った。


(……ああもう、そんな顔をするから……!)


 近頃、エドガーの顔を見ていると胸がドキッとするのだ。その気持ちが、何なのか。わかっているけれど、まだ、口にするつもりはない。

 きっと、エドガーは気づいていない。

 シルヴィが、こんな風に笑っていられるのも。

 あの時臆することなく飛び込んで行けたのも。

 エドガーになら背中を任せても大丈夫だと思ったから。


「あら、エドガー暇?」


 ちょっといい雰囲気になりかけたところで、テレーズが思いきりその空気をぶち壊した。


(絶対にわかってやっているわよね……!)


 ジールの方を見れば、テーブルに行儀悪く肘をついて、こちらをにやにやと眺めている。

 本当に、この二人は――。


「まあ、少しは時間がある」

「じゃあ、朝ごはん食べたらダンジョンに行きましょうよ。ギュニオンちゃんの、林檎もそろそろ足りなくなってきたって言ってたし」

「あ、明日からって言ってたのに!」


 だけど、こんな空気は悪くない。


「シルヴィ、俺も! 俺も欲しい!」


 勝手に椅子を引いて座ったエドガーが、ちゃっかり朝食を要求してくる。


「朝食代がわりに、これ置いていくから」

「――お肉!」


 エドガーが取り出したのは、最高級のステーキ用の肉である。しっかり四枚あるということは、ここで食べていくつもりなのだろうか。


「わかった。じゃあ、コーヒーは自分でやって」


 相手が王子であろうが、ここにいる間は特別扱いはしない。それが、ここのルールだ。


(……もうちょっと、時間がかかるかもしれないけれど)


 今はまだその時ではないけれど、でもいつか、きっと。前の人生でも、今の人生でも知らなかった感情をエドガーにきちんと伝えたいと思う日が来る。そんな気がする。

 シルヴィは、エドガーの分のサンドイッチを作るべく、新しいパンを取り出したのだった。

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