真実

「エドガー!」


 まずい。すぐに蘇生の術をかければ間に合うだろうか。だが、母はこの場にはいない。

エドガーに駆け寄ろうとすると、一瞬にしてシルヴィの目の前にカティアが移動してくる。


「意外と使えなかったわよね、彼」


 エドガーを指さし、くすりと笑う。

 どこから現れたのだろう。

 カティアは回復魔術の使い手ではあるけれど、今回は召集されず、エイディーネの神殿にいるはずだ。

 背筋がぞくぞくする。たしかに姿形はカティアのものなのに、まとう雰囲気が違う。


(変なの。カティアの気配はあるのに、そこにもうひとつ、違うものが重なっている)


「……あなた、カティア嬢じゃないわね? いえ、カティア嬢にとりついた”何か”なのかしら」

「あら、ばれた? いえ、私はあなたの言う”カティア嬢”ではあるのだけれど。ちょっと身体を借りているだけ。あなた達が言う魔物の一種と言っていいかしら――けれど、昔の人間はこう呼んだわね」


 魔族、とカティアの唇が動く。


「昔、ちょっと封じられてしまってね。封印が解かれた時、人間にしては魔力が高くて、使えそうなのがいたから、ちょっと身体を借りることにしたの」


 まったく悪びれた様子なく、”カティア”は語った。


(――何やってるのよ、クリストファー殿下!)


 シルヴィは、心の中でクリストファーをののしった。

 カティアを鍛えるために、ダンジョンに入ってうっかり封印解いた挙句、カティアを乗っ取らせてしまうなんて。

 単に呪われただけじゃなくて、魔族――それも精神体しかない魔族――なんて、これ以上厄介な相手はいない。魔族と魔物の間に明確な区分はないが、人と同じかそれ以上の知能を持ち、意思の疎通が図れるものは魔族と呼ばれ、魔物と区別されている。

ドラゴンが魔物と区別されているのと同じようなものと言えばいいか。


「でも、もっとおいしそうな身体があるから、乗り換えようと思ったのよね。魔力も豊富だし……だから、魔物に取り込ませて、そのあと魔物ごと私が取り込もうと思ったんだけど……あのバカ、使えないったらありゃしない」


 クリストファーのことをののしったカティアの指が、まっすぐにシルヴィを指さした。


「わ、私!?」

「だって、あなたの感情、とってもおいしそうなんだもの――ねえ、”悪役令嬢”さん?」


 その言葉に、シルヴィは眉間に皺を寄せる。その言葉を知っている人間は、この世界にはいないはずだ。


「ああ、そんな顔をしないで。あなたの心の中を読み取っただけだから。いろいろと面白い知識を持っていそうだし、記憶と一緒にその知識もいただくわね」


 気がついた時には、カティア――そう呼んでいいのだろうか――が目の前に迫っている。右手を掴まれ、動けなくなる。

 彼女の動きが全く見えなくて、シルヴィは息を呑んだ。

 パンッ、と大きな音がしたかと思ったら、急に周囲の音が聞こえなくなる。

 いや、”彼女”はシルヴィよりも速かった。動きが見えなかったのだから。

 周囲から闇が迫ってくる。呑み込まれる。

 目の前にあるカティアの顔だけがやけに大きくシルヴィの目には映る。まるで何かにからめとられてしまったかのように身体が動かない。


「なぜ、クリストファー殿下だったの」

「ちょうどよかったのよ。彼の心の中は真っ黒だったから操りやすかったのよね。王宮を内部から乗っ取れば、もっとおいしい獲物に出会えると思ったのよ。あなたが、こんなにおいしそうだなんて、最近まで気づかなかったのよね」


 たぶん、それは、カティアが魔物に取りつかれて以降、シルヴィとのかかわりが極端に減ったからだろう。

 クリストファーとの破局の時が近づいたのだろうとそう思ったから、余計なことはしないようにしていた。


「あなたも。長い間理不尽な状態にいたのでしょ。このあたりで、私にその身体を譲って楽になったらどうかしら」


 ささやきかけてくる声は、確実にシルヴィをむしばもうとしていた。


 ――けれど。


「――シルヴィ・リーニ! お前何やってるんだよ!」


 闇を切り裂いて、シルヴィの耳に飛び込んできたのはエドガーの声。肩にかけられた力に、不意に周囲の闇が消え去る。


「魔族相手にぼうっとしてるだなんて、お前らしくない!」


 エドガーが払った剣を、”カティア”は大きく飛び退ることで避けた。

 ほら、大丈夫だ。エドガーの声がシルヴィを現実に引き戻してくれる。

 まるで重しを乗せられたかのようだった身体も、今は自由に動く。


「テッラ! 彼女を拘束して! アクア、水壁で囲って!」


 逃がしてはならない。

 ローブにはミスリルが練りこまれているから、あのローブを使えば、精神体だけの魔物も引き留めることができるかもしれない。

 地面から生えた岩が、カティアの下半身をしっかりと拘束する。その周囲を、水の壁が取り囲んだ。

 ローブを引っ張り出し、カティアの頭からかぶせようとする――が、相手の方が一枚上手だった。


「シルヴィ、そこどけ!」


 背後から聞こえてきた声に、とっさに右に跳ぶ。

 シルヴィの影から飛び出した剣が、カティアの胸に突き立てられる。

 大きく目を見開いたカティアは、一瞬硬直し、そのままくたりと倒れこみそうになる。慌ててシルヴィはカティアを抱き留めた。


「――ちょ、どういうこと!」

「精神体の魔物だけを貫く攻撃だと。メルコリーニ公爵夫人が作ってくれた」


 母の持つ魔術の一つに、特殊な剣を作り出すというものがあるらしい。

だが、問題はそこではない。


「あなた死んだわよね? お母様に助けてもらったにしても、すぐには動けないわよね? 蘇生魔術使ってもすぐには動けないって知ってるわよ!」


 エドガーにくってかかると、彼は気まずそうに視線をそらした。


「あ、いや……それな。これのおかげらしい」


 首から引っ張り出したのは、以前シルヴィが渡した身代わりの効果を持つアミュレットだった。

たしかに彼は、あのあと買い取ってくれた。請求書を王宮に回したが、すっかり忘れていた。


(……はらはらさせないでほしいわよ……!)


 言いたいことは山のようにあるはずなのに、何一つ出てこない。


「なあ、あの魔族は消えたのかな」

「あなたの攻撃で消えたみたいね。カティア嬢の中にはいないみたいだし……」


 気配を探ろうとするものの、先ほどまでカティアの中にいた魔物の気配は感じ取れない。

 念のためにローブでカティアをくるみこみ、側にいた冒険者に託す。


「――お疲れ」

「お疲れ、シルヴィ」


 なにはともあれ、魔物を退けたのだ。

 カティアにとりついていた精神体だけの魔族については、これから調査をしなければならないが、少なくともウルディは救われた。

 戦いが終わり、ようやく自分に投げられた剣をまじまじと見たエドガーが裏返った声を上げた。


「お前、これ! 神剣と言ってもいいレベルの名剣じゃないか!」

「……使わないからあげる」

「あげるって、本来これ、簡単に渡していいものじゃないだろ!」


 シルヴィがエドガーに放り投げたのは、どこかのダンジョンに入った時、入手した品だった。

 調べてみたら、なかなかの名剣だったのだが、使うことはないので、収納しっぱなしだったのである。

 ちなみに、先ほどどんどん魔物に突き立てた剣の中にも同じような剣はたくさんあった。攻撃魔術を撃ち込まれたから、修理は必要になるだろう。

 とりあえず全部回収して、バッグの中に放り込んである。


「だって、普段あなたが使ってるのによく似てたから使いやすいかなと思って」

「使いやすかったけどな! 気楽に神剣ばらまくな! まあ、俺の剣はボロボロだから、しばらく借りておく!」

「あげるって言ってるのに」

「そういうわけにもいかないだろ」


 何はともあれひと段落、ということでいいのだろうか。エドガーがいてくれたからこそ、こうしていられるのだということを改めて痛感する。


「ねえ、エドガー」


 彼の名を呼びかけ、けれどシルヴィはそこで口を閉じてしまった。


(……なんか、そういうのって違う気がするのよね)


 エドガーの方を向いて、シルヴィは肩をすくめた。そんな空気をぶち壊したのはジールだった。


「シルヴィ――頼むって! 俺にも剣をくれてもいいだろ? あ、盾でもいいぞ、盾でも」

「そんなお金がどこにあるのよ、ジール。あなた、稼いだら稼いだだけ使っちゃうじゃない」

「出世払いで!」


 ジールがシルヴィの方に差し出した手を、テレーズがぴしゃりと叩く。こちらの二人も、大きな怪我はなさそうだ。


「――とりあえず、王宮に戻りましょうか。ギュニオンを王妃様に預けっぱなしだしね」

「俺にも! 一本! 一本でいいから!」


 ジールの声だけがあとに残される。それは、平和を取り戻した象徴のようにもシルヴィには聞こえた。

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