最後の戦い

 魔物は、テッラが補修したばかりの塀をやすやすと壊し、悠々と中に入り込んできた。まるで小山だ。足で地面を踏みしめる度に、地響きが起こる。

その姿は、なんと表現したらいいのかわからない。

 しいて言えば、ドラゴンだろうか。四本の足は、象の足のように太い。蛇のような長い尾。鳥のような翼。そして、尖った嘴を持った顔。


「――うちのギュニオンの方が可愛いわね!」

「そこでその親馬鹿発言が出てくるのはどうかしてると思うけどな!」


 余裕の発言をしたシルヴィに、エドガーが突っ込んだ。

 魔物が咆哮を上げると、魔物の周囲にゴブリン、オーク、ホーンラビットといったダンジョンではおなじみの魔物が新たに出現する。


「シルヴィアーナ嬢、俺が魔物の動きをとめる! 待ってくれ!」

「お任せします、殿下!」 

 クリストファーの手から放たれた巨大な火の玉が、魔物めがけて突き進む。狙い通り魔物にあたり、火柱となって燃え上がった。


「やったぞ!」


 炎の中で、魔物がじたばたとしているのが見える。クリストファーは、勝ち誇った声を上げた。

 けれど、炎が消えた時、魔物は何事もなかったかのようにその場に立っていた。


「――こっちよ!」


 シルヴィの存在に気付いたとたん、魔物は勢いよく尾を跳ね上げる。

何もできず シルヴィはその場に立ち尽くした。


「はは、動けないか? S級冒険者といえど、その程度だよな! ここで、俺が真の能力を見せてやろう――魔物よ、おとなしく俺に従え!」


 クリストファーが右手を高く突き上げる。けれど、魔物に彼の声は届いていないようだ。

 まっすぐに、シルヴィめがけ突っ込んでくる。


「無理ですよ、殿下」


 シルヴィはそっと言った。


(……そう。殿下だったの)


 今、ようやく気がついた。あの禁書に触れたのはクリストファーだ。彼自身の魔力はたいしたことはないけれど、彼の右手首にはめられた腕輪。あれは、他の誰かの魔力を中継している。

 魔物は最初からクリストファーの支配下にあったわけではないのだ。


「――殿下は下がっていてください」


 大きく呼吸して、シルヴィは胸元に手をやった。


「私は、負けない――大丈夫」


 なぜ、自分がこの世界に生まれたのかなんて、考えたってしかたない。

 今になって、ようやくそれに気づいた。

 こういう時、誰かを守るため力をつけてきた。もう、後悔はしたくない。


「なぜだ、なぜ、倒れない! 俺の術がきいていないだと?」


 クリストファーがうろたえた声を上げた。


「消えろ! 消えろと命じているんだ!」

「無駄ですよ、殿下。あの魔物は、殿下の支配下にはないので――やれやれ、娘の予想があたってしまったようだね。この場にいても邪魔でしょう。引き上げますよ」


 言葉遣いは丁寧だが、父はクリストファーに相当の呆れているようだ。

 無造作にクリストファーのみぞおちに拳を叩き込み、意識を失わせたかと思ったら、ひょいと肩の上に担ぎ上げた。


「シルヴィ、ギルド前の広場に殿下を置いたら戻ってくるよ」

「大丈夫、お父様。こっちは任せて」


 シルヴィは、目の前にいる魔物から目を離さずそう返した。

 とたん、押し寄せてくる悪意の塊。

 シルヴィの心の奥から、一番弱くて醜いところを引きずり出し、呑み込み、全てを支配しようとするような。


「――私を、支配できると思う?」


 相手がシルヴィの魔力を判別し、襲いかかってくるというのなら――その魔力の判別がつかなくなればいい。

 シルヴィは、ローブのフードを深くかぶった。そうすると、頭の先から足の先まですぽりとローブに包まれる。


「――我が全ての魔力を封じる!」


 とたん、いつもは軽く感じられる自分の身体がとてつもなく重く感じられる。

 長くはもたない。


「エドガー、背後頼んだ! 精霊達ももう精霊界に戻ってるから彼らはあてにしないで!」

「任せろ!」


 エドガーの方を見なくてもわかる。彼なら間違いなく背中を任せても大丈夫だ。

 魔力を封じてしまったので、召喚していた精霊達も姿を消している。負傷者達の救援もなんとかなったはずだ。


(……この剣、こんなに重かったかな)


 普段、どれだけ魔力に頼っていたかを改めて思い知らされた。でも、大丈夫だ。


「シルヴィー! 私も手を貸すから大丈夫!」

「俺もあてにしてくれていいぞ!」


 テレーズとジールの声も聞こえてくる。

 シルヴィは一人ではないのだから。


「攪乱はこっちに任せとけ!」

「シルヴィでないと、だめなんだから頑張ってよね!」


 巨大なボス魔物の周囲をうろつく魔物達は、ジールやテレーズ、エドガーが的確に屠っていく。

 なぜ、この世界に生まれたのかとか。どうして、シルヴィアーナ・メルコリーニとして生まれたのかとか。

 そんなことはどうでもいい。

今は、ただ、目の前の危機を乗り越えることだけを考えればいい。

 頭を持ち上げた魔物が、口から炎を吐き出す。それを大きく飛ぶことで避け、素早く背後へと回り込んだ。

 巨大な尾の上を一気に走り抜け、首の後ろまで到達する。


「――魔物は、ダンジョンに帰れぇっ!」


 人間で言うならうなじあたりに、一気に剣を突き立てた。根元まで埋め込まれた剣は、魔物の肉に阻まれて動かなくなる。

 魔物が頭を払い、シルヴィは地面に転がり落ちた。受け身を取って立ち上がり、取り出したのは、もう一本の剣。


「まだまだっ!」


 もう、同じ手は使えない。普段なら、魔力を乗せて切れば、足の一本や二本楽に切り落とせるのに。


「すぐに、次の波が来るぞ!」


 シルヴィと冒険者達によってせん滅された次の魔物が押し寄せてくる。


「うりゃあ!」


 魔物の足に切りつけたら、また、剣が抜けなくなった。その剣は惜しげもなく手放し、次の剣を取り出す。


「なんでそんなに剣が出てくるんだよ!」

「ダンジョンで拾ってきたやつ!」


 こんな状況でもエドガーの突込みは的確だ。

 一本、また一本と攻撃する度に、魔物の動きは弱くなっていった。冒険者達が総出で切りかかる。


「魔術を使える人は、剣を狙って! その方が体の内部に直接威力が伝わるから!」

「了解!」


 動きが弱くなってきたところで、集まっている冒険者達が追撃をする。

 最後に魔物の首を切り落としたのは、エドガーだった。


「……やれやれ。もうちょっと戦闘が長引いたら、本当にまずかったわね――」


 シルヴィは、先ほど羽織った虹色のローブを脱ぎ捨てた。とたん、身体が軽くなったような気がする。


「なんだよ、それ」

「これ? ミスリルを織り込んだ特殊な布。このローブを着ている間は、私の魔力は封じ込められるのよ。それで、他の人の魔力をこのローブにまとわせれば、私の魔力じゃなくて違う魔力として魔物には捉らえられるってわけ」

「そんな都合よく他の人間の魔力を用意できたな」

「うちの農場にあるじゃない。裏に針金を縫い付けてあるのよ。おかげで、重くなってしまったわ」

「――って、俺の魔力か!」


 エドガーは目を見開いた。

 農場の周囲をぐるりと囲うことができるほどの量があったから、不足することはなかったが重くなるのは避けられない。


「――お前な、そういう手があるなら早く言え!」

「知らなかったんだからしかたないでしょ!」


 王宮の禁書保管庫にあった禁呪のうちのひとつ。

自らの魔力を封じるということは、命にもかかわる。他者の命を奪うことにもつながりかねないから、禁じられて当然だ。


「こういうこともあるんじゃないかと思って、エドガーに魔力を流してもらってよかったわ!」

「お前、今の全然違うだろ、想定してないだろ!」


 大量にエドガーの魔力を込めたミスリルが農場にあったのは、たしかに偶然だ。だが、使えるものは全部使う!

 ちょうどいいところにあったのだし、それはそれ、これはこれだ。


「――あら、残念」


 不意に聞こえてきた声。その声にシルヴィは背筋がぞくりとするのを覚えた。

 ここに、彼女がいるはずはないのに。


「とりあえず殿下、死んでくださる?」


 にっこり笑ったカティアの右手から、強い光が発せられる。その光はまっすぐにエドガーの胸を貫いた。

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