過去にはとらわれたくないのに

「私は、あの魔物に呑み込まれると思った。呑み込まれたなら、魔物の好きなように操られたでしょうね」

「そんな危険な魔物、ここ何百年も出ていないぞ! いや、もし、シルヴィが呑み込まれたなら――」


 ギルドマスターが顔色を変えた。彼には、今の発言で充分通じたようだ。


「わかるでしょ? 私が最大の敵になってしまうということが」


 もし、シルヴィが魔物に飲み込まれたら。

シルヴィだけでも人間としては規格外の魔力を持っているというのに、そこに強大な魔物の力が加わることになる。

 このあたりの冒険者達では太刀打ちできないだろう。いや、対抗できる人間がいるかどうか。

シルヴィが血相を変えて脱出を図った理由が、ようやく全員に理解されたようだった。

室内の空気がますます重いものとなる。


(まさか、こんなところでのラスボス化を心配しないといけないなんてね……)


 自嘲の笑みが浮かんだ。

 ラスボスルートでは、”シルヴィアーナ”はたしか自らが呼び出した魔物の力を得ていたような気がする。 自分はラスボス化なんてしないと思っていただけに、シルヴィの方も動揺している。


(だから、前世のことは頭から追い払おうとしてたんだけどな……)


 膝の上にいるギュニオンを撫でながら、考え込む。


「魔物がシルヴィに狙いを定めた理由は? それがわからないと対処のしようもない。シルヴィ、心当たりは?」


 ギルドマスターに問われて考え込む。

 偶然であれ人為的であれ、魔物が人間を取り込むという例は過去にいくつかある。

 魔物が人間を取り込む際、魔物の求める条件を満たさねばならない。

一定以上の魔力を持っている、特定の精霊を操ることができる、特定の属性を持っている者等その条件は様々なのだそうだ。


「たいていの条件はシルヴィに当てはまりそうだな」


 エドガーがため息をつく。

 この場にいる中で、一番魔力を持ち合わせているのはシルヴィだし、精霊についても四大精霊全てと契約を結んでいる。属性は人間ならば一つは持っているものだし、当てはまらない条件を探す方が早いかもしれない。


「たぶん、"メルコリーニ家のシルヴィアーナ"よ。私自身を条件としたんだわ」

「本当に?」

「ええ……なんて言えばいいのかしら。他の誰でもなく、私に狙いを定めてる気がしたの。魔力を持っているからだとか、精霊と契約を結んでいるとか……そういう条件ではないと思う」


 信じられないと言いたそうなテレーズに向かって首を振り、シルヴィは両手で自分を抱きしめるようにした。

 あの魔物は確実にシルヴィの過去を突き付けてきた。シルヴィアーナが狙いで間違いない。


「とにかく、あの魔物が危険だということはわかってもらえる? 少なくとも、この近辺にいる中で、一番腕の立つであろう私が、あの魔物には太刀打ちできない」

「それで封じたのか」

「それも問題よ。おそらく――あの魔物は、大発生の原因にもなりうると思う。そのくらいの力は持っていそうだった。私が、怖かったからというだけじゃなくてね」


 時折、ダンジョン内に収まりきらなくなった魔物が、外にあふれ出てくることがある。そうなると、人がたくさん集まるところに向かってくるのだ。


「封印はどのくらいもつ?」

「わからない。ああいう事態に対処するのは初めてだもの。一週間……もてばいいと思う。封印魔術の得意な人を集めた方がよさそうよ。私は本職じゃないから」


 大発生を引き起こすことのできる魔物に正面から対峙する機会などほとんどなかった。

もし、対峙する機会があったとしても、シルヴィが正面からぶつかればすむだろうと思っていた。


(私の中の黒い感情を押し殺しながら、封印したんだもの。完璧になっている自信はない)


 ダンジョンの中にいた冒険者達は全員外に連れ出したけれど、彼らだけでは大発生には対応しきれないだろう。


(まさか、こんなに無力に感じる日が来るなんてね)


 この世界に生まれて、記憶を取り戻して以降、自分を無力なんて感じたことは一度もなかった。

それなのに、たった一度、自分のかなわない魔物がいたというだけで、こんなにも無力に思える。

 もし、シルヴィの意識が魔物に呑み込まれるようなことがあれば、シルヴィは冒険者達の前に最大最悪の敵として立ちはだかることになる。

 下手をしたら、この国そのものをつぶしてしまうかもしれない。

 自分の弱さとは、完全に決別したつもりだった。過去の自分は、消し去ったと思っていた。

 それなのに、あんな魔物の能力に飲み込まれそうになっているなんて。


(対抗策だって、あるはずなんだけど)


 昔から、こういった事例はなかったわけではない。過去の記録に、何か残されている可能性は高い。


「それで、これからどうする?」

「私は、後方支援に回る。本来なら先頭に立つべきなんでしょうけれど、私が出るわけにはいかないのはわかってもらえると思う」

「シルヴィが出られないのは痛いなぁ……」


 先ほどからギルドマスターはずっと渋い顔なので、申し訳なくなる。ウルディに引っ越してきたばかりの頃、何かあれば声をかけてくれと言ったのはシルヴィなのに。


「俺とテレーズは、ダンジョン近くに泊まり込むことにする。見張りは必要だろう」


 そうジールが申し出てくれた。


「そうね。それから、エドガーは」

「城に戻る。貴族が出られるように、父上に頼もう。メルコリーニ公爵夫妻は、今回は出てもらわない方がいいだろうな」


 シルヴィの言葉を遮るように、エドガーが口を開く。


「……でも」

「メルコリーニ家の血という条件で魔物が動くのだとしたら、公爵夫妻には出てもらわない方がいいだろう。シルヴィ個人に限定していない可能性も考慮しないとな」


 先ほどのシルヴィの発言は、エドガーにはそう受け止められたか。だが、彼の言うことも間違ってはいない。

シルヴィに反応したからという理由で、両親が対象外だと決めるわけにはいかないのだ。


「レンデル伯爵にも援助を頼もう。彼の息子は、学園を優秀な成績で卒業している。ギルドマスター、レンデル伯爵に協力を仰いでくれ。それと、ローレーン男爵。あそこは娘が学園の卒業生だ。優秀な回復魔術の使い手だ――グレイ伯爵も来てくれると思うが、彼は後方支援に回してくれ。病み上がりだからな」


 この近辺に暮らしている貴族の名がすらすらとエドガーの口から出てくる。シルヴィ自身も把握していない情報まで出てきたものだから驚いた。


「シルヴィ。なんでもいいんだが、”ナンデモハイール”を一つ貸してもらえないか。ついでに飯も入れておいてくれ」

「ご飯が本命じゃないの? これ、そのまま持って行ってくれたらいいわよ。私はギルドの資料室をあたってみる。私と魔物をどう結び付けたのか、過去の魔術師の記録をあたってみればわかるかも」


 シルヴィの鞄がジールの手に渡される。中には、作り置きした料理が大量に入っているから、取り出せば温かい食事をすることができる。


「シルヴィ、後方支援のついでに明日から城につめてくれないか」


 エドガーの言葉に、シルヴィは首を傾げた。


「私、ギルドの資料室を調べるって言ったわよね?」

「過去の事例を調査するなら、王宮の図書室が一番だ。あと、何かあった時に、城からウルディに人員を送り込めるようにしておきたい」

 エドガーの言うこともわかるが、王宮の図書室は許可を取った者以外立ち入り禁止だ。そう返すと、エドガーの権限で許可を出してくれるという。


「でも、ギュニオンもいるし」

「連れてくればいい。ちゃんと空気を読むだろ、こいつは。シルヴィから離れるつもりはなさそうだ。悪さをしないように言い聞かせておけばいい」


 ギュニオンにまで入室の許可が出るとは思ってもいなかったが、エドガーの提案に乗ることにした。

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