クリストファーの申し出

 翌日、シルヴィは王宮を訪れた。公爵家令嬢としてではなく、冒険者として来てくれと言われたので、動きやすい服装だ。

肩に乗ったギュニオンは、尾を左右に揺らして機嫌がいいようだ。

出迎えてくれたエドガーは、話もそこそこにシルヴィを図書室へと案内してくれた。図書室、と言ってはいるが、とても広い部屋だ。

前世の基準で計算するとサッカーくらいはプレイできそうだ。


「いつでも動けるよう、人員は配置してある。現地のジールとテレーズにも交代要員を派遣した」

「……私の考えすぎで終わればいいんだけど。いずれにしても、ボス部屋の魔物は倒さないとだものね」


大発生の起こる可能性もあるという情報が広まっているのか、王宮内はどこかざわついているようだった。


「たぶん、禁書保管庫に入るのがいいと思う。けど、そこに入れるのはごく少人数だから、俺とシルヴィの二人で調べることになる」

「ウニュ!」


 シルヴィの代わりに、ギュニオンが手を上げる。役には立たないと思うが、いてくれるだけでありがたいだろうか。

 エドガーに連れられて、王宮の記録保管庫に足を踏み入れる。図書室とは別に設けられているその部屋は、厳重に警戒されていた。

 シルヴィは、書棚を見回す。王家が保管している記録だけあって、今まで名前すら聞いたことのないような書物もあった。


(これだけの量を探すとなると、間に合うかどうか……)


 エドガーとシルヴィだけで、ここの記録を確認するのには時間が足りない。

 だが、エドガーは迷うことなくシルヴィを一つの棚に案内した。


「このあたりから探そう。魔物に関する記録がある」

「……そうね」


 手当たり次第に棚の中身に手を伸ばし、一ページ一ページめくっていく。一度に一ページしか見られないのがもどかしい。

ギュニオンは、と言えば、エドガーの予想通りしっかり空気を読んでいた。邪魔をしないと決めたらしく、書棚のうち一つに陣取り、そこで丸くなっている。


「……対処する方法がわかれば、私にも何かできるかもしれないのに」


 今のままではだめだ。今のままでは、間違いなくシルヴィは、飲み込まれてしまう。


(……あの魔物、私の心の奥まで簡単に入り込んできた)


 あんな状況、初めてだった。シルヴィは、深々とため息をついた。

とにかく、何かあってからでは遅い。急がなくては。

 

 ◇ ◇ ◇


 シルヴィは禁書保管庫につめ、片っ端から書棚を調べる。エドガーは、日々の政務とウルディで何か起こった時の事前準備の合間に顔をのぞかせる。

ギュニオンは――と言えば。書棚に丸くなって眠っているか、シルヴィの足元をちょろちょろしているか。

そんな風にして数日が過ぎたあとのことだった。


「――シルヴィ!」


 エドガーが、禁書保管庫に飛び込んできた。恐れていた事態が発生したのだという。ウルディに大発生した魔物が押し寄せつつあるのだそうだ。

民間人は全員避難し、ウルディに残っているのは冒険者や魔物に対応する手段を持った貴族達だけ。


「俺は、すぐに対処できる者を集めて、ウルディに向かう。調査の方は、頼んでいいな」

「え、ええ……大丈夫、だけど……」


 本当に? と心の奥から問いかけてくる声を外に出すことはできない。

 あの魔物、本当にエドガー達だけで大丈夫なのだろうか。だが、自分が行ったところで邪魔にしかならないのもまた事実。


「安心しろって。今、集まっている者だけでもすぐに送る。俺もそこに同行するから」

「わかった」


 再び飛び出したエドガーを見送ったシルヴィの肩にギュニオンが飛び乗る。


(私が行ってもしかたないのだけど、何があったのか気になる)


 意を決したシルヴィは、エドガーのあとを追うことにした。場所が会議室であるのは間違いない。

 礼儀を忘れて、扉をノックすることもせず飛び込んだシルヴィの耳に、クリストファーの宣言が届く。


「父上、私に行かせてください」

「……しかしなあ」


 入ったところで立ち止まったシルヴィは、室内を見回した。クリストファー、エドガーという王家の人間だけではなく、シルヴィの両親もここにいる。


「恐れながら……クリストファー殿下は、お出にならない方がよろしいのでは?」

「メルコリーニ公爵、なぜそのようなことを? 大発生の折には、王族貴族は、先頭に立つものとされているだろう」


 父の言葉に、クリストファーが反論する。


「ですが、殿下は――」


 と、さすがの父もここで言葉につまったようだ。

メルコリーニ家に対して王家が敵意を向けてきているのであれば、いくらでも乱暴なことを言えるのだが、今のクリストファーはそうではないのだ。


「そうだな――そなたは、王太子の地位をはく奪された身。そなたを行かせるわけにはいかない。それに、そなたの腕では――」

「父上の言いたいことはわかります。私の能力が足りないとおっしゃりたいのでしょう」


 一応、人前であるということをクリストファーは考慮しているようだ。今までとは違う落ち着き払った様子を見せている。まるで、昔の彼に戻ったようだ。


「私の愚かな行いのせいで、多数の人に迷惑をかけたことも理解しています。私のせいで、父上に恥をかかせてしまったことも。ですから、王位継承権はく奪の上、辺境に行かねばならないことも、当然のことと思ってます。ですから……その前に、少しでも罪を贖わせてください」


 クリストファーは右手を高く上げる。その手にあったのは、彼が糾弾の場でシルヴィに叩きつけようとした巨大な火の玉だった。

あの時よりも、短い時間で作り出すことができるようになったようだ。その玉を発動させることなく、手のひらの上で消したクリストファーは、静かに微笑んだ。


「……学園を出てからも研鑽をつんできました。死者は少ないにこしたことはない。手伝わせてください」

「――兄上」


 クリストファーの言葉に、エドガーが感心したような声を漏らした。


(……本当に? クリストファー殿下は、本当にそう思っているの?)


 意気込んでこの場に来たものの、シルヴィに言えることはなさそうだ。扉のところに立ち尽くしたまま、事態を見守ることしかできない。

クリストファーが、王宮を去る前にいくらかでも罪を贖いたいというのならそれをとめることなんてできるはずもない。

――それなのに、どうしてこんなにも不安な気持ちになるのだろう。


「……お前がそこまで言うのなら、行ってくるがよい」

「父上に、感謝します」


 胸に手をあて、クリストファーは頭を下げ、それからメルコリーニ公爵夫妻の方に振り返る。


「エドガーから報告を受けたが、魔物はメルコリーニ家の血に反応しているという説もある。公爵夫妻は王宮にとどまり、集まった者達の補佐に専念してほしい」

「かしこまりました」


 母は平民出身の一般の冒険者だ。

もし、魔物がメルコリーニ家の血に反応しているのだとしたら、母は対象外となるはずだ。

だが、母の血に反応している可能性も否定はできないため、クリストファーの指示はそれなりに適切なものといえた。


「クリストファー殿下の護衛が必要です。殿下と一緒に行ってくださる方は?」


 母の言葉に、ばらばらと手が上がる。


「では、すぐに出発する。シルヴィアーナ嬢」

「は、はいっ!」


 静かに微笑むクリストファーに、シルヴィは一瞬圧倒された。返事につまるが、すぐに気を取り直す。


「ウルディの冒険者ギルドに転送陣で移動する。転送をあなたに頼みたい。前線に向かう者の魔力は温存しておきたいから、あなたが適任だろう」

「……かしこまりました」

「兄上、俺も行く」


 エドガーが、先に行くことを申し出る。

 自分の部屋に武器や防具を取りに戻るというエドガーのあとをシルヴィは追いかけた。


「――エドガー! ちょっと待って!」

「どうした?」

「嫌な予感がするのよ。だって、クリストファー殿下が自分から前線に行きたがるなんて、おかしいと思わない?」


 少なくともシルヴィの知っているクリストファーは、そうだった。

カティアと知り合ってから、以前より熱心に訓練するようになったとは思うが、辺境送りが確定した今になって、あんなことを言い出すなんて。

罪滅ぼしがしたいとも言っていたけれど、それだけではない気がしてならない。


「シルヴィもそう思うか?」


 てっきり、エドガーは何も気づいていないものだと思っていた。

クリストファーのあの自信はどこから来るのか、シルヴィにはわからない。


「だが、罪を償いたいという兄上の気持ちも本当のことなのだろう。だとしたら、俺には止めることはできない。兄上の護衛も必要だしな」

「……そう?」

「シルヴィは、ウルディには戻らず、冒険者達の転送が終わったら、王家の記録の調査を続けてくれ。対処法がわかれば、シルヴィがこっちに合流できるかもしれないだろ」


 たしかに、シルヴィが対応できないのは重大な損失だ。状況がつかめれば、両親も前線に赴くことができるかもしれない。


「……わかった」


 いずれにしても、今は、シルヴィは前線には行けないのだ。できるだけのことはしておいた方がいい。

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