ダンジョンからの脱出
「……女神エイディーネの名において、この扉を封印する!」
封印の言葉を唱え、扉に魔力を流し込む。扉に赤いリボンのようなものが何本も張り付き、誰も開くことができないように封じた。
扉に両手をつけたまま、シルヴィは肩で息をついた。
「シルヴィ、何に怯えてるんだよ。S級冒険者だろ?」
ジールのからかうような声音に、かっとなって振り返る。
「S級冒険者だろうがなんだろうが、自分がかなわない相手だと思ったら怯えるわよ!」
「……かなわない?」
エドガーが真顔になり、シルヴィはこくりとうなずく。エドガーの肩の上に乗っていたギュニオンが、シルヴィの頭の上に移動してきた。
ペタンペタンと尾で頬を叩いてくるのは、勇気づけているつもりなのかもしれない。それを見ていたエドガーが顔をしかめる。
「シルヴィが恐怖というくらいなんだから、相当なんだろうな」
「さっきからそう言ってるでしょう。A級冒険者がジールとテレーズの他に何人かいたほうがいいと思う。あと魔物に関係する情報も集めないと。ボス部屋は封じたけれど、ダンジョン自体も封印した方がよさそう。誰か入ってきたら困るから」
ダンジョンのボスというものは、ほとんどダンジョンから出てこないが、ダンジョンから出てくることもある。その時には、多数の魔物がダンジョンの外にあふれるため、その現象のことは大発生と呼ばれている。
「じゃあ、中にいる冒険者達に連絡して回ろう。外からも封じた方がいい――シルヴィは、外で待って――」
「いえ、私に任せて。全員、一か所に集めて、順番に外に転送するわ」
エドガーの気づかいは嬉しかったが、先にダンジョンの中にいる冒険者達を全員外に出した方がいい。
「テッラ、ダンジョンの中にいる冒険者達を探して。場所を教えて」
『承った』
茶色のローブを身にまとった、中年の男性が、シルヴィの前で一礼して姿を消す。
「アクア、怪我人がいたら応急処置を」
『任せて!』
水色のふわりとした衣服の少女が、ひらひらと手を振ってからテッラのあとを追うように消えた。
「ヴェントス、冒険者達をこの場所まで運んで」
『かしこまりました』
シルヴィの指定した地図の一点にうなずいた緑の衣の女性が、ふわりと宙に舞い上がる。
「イグニス、戦闘中の冒険者がいたら、敵をせん滅。冒険者は巻き込まないように厳重注意」
『マイレディ、喜んで』
赤い甲冑を身に着けた青年が、喜び勇んで飛んでいく。
「この場所って?」
地図の上、シルヴィの指さした場所にエドガーは目を向ける。
「ここなら、万が一のことがあっても入り口だけ守ればいいでしょ。テレーズとジールは、入り口を守って。エドガーは、第一陣と一緒に地上に戻って、そのままギルドに報告。王宮も動かしてくれると助かるわ」
「――わかった。ギュニオンも預かっておく」
シルヴィの言葉に、何やら反論しかけたエドガーだったけれど、すぐに口を閉じた。
たぶん、万が一の時にはエドガーだけ真っ先に逃げろと言われた時のことを思い出したのだろう。
ここで自分も残るだとか、一緒に戦うだとか言われても対応に困るので、彼がわかってくれているのは話が早くてありがたい。
シルヴィが選んだのは、少し開けた場所だった。そこにつながる道は二本。左右に分かれたそれぞれの出入り口をジールとテレーズが守っている。
指定した場所で待っていると、そのうち「うわああ」という声と共に、冒険者達が運ばれてきた。若い女性にお姫様だっこされているフル装備の人間というのはなかなか見ることができない光景だ。
「どういうことだよ、これは!」
運ばれてきた冒険者がわめく。
「ちょっと、ここのダンジョン、マズイ状況だってシルヴィが言うのよ。ダンジョン内にいる人間は全員退避してもらうことにしたから」
「いい感じに魔物と戦っているところだったんだけどなぁ……」
冒険者達はぼやくが、テレーズの言葉におとなしくなる。
シルヴィが退避と判断した以上、とどまっていてもろくなことにはならないと判断したようだ。テレーズの言葉に反論することもなく、その場に留まることを選択してくれる。
二組目、三組目と冒険者達が運ばれてくる間に、シルヴィはダンジョンの床に転送陣を書いていた。
(……嫌だな)
ものすごく、嫌な予感がする。
部屋の中に入った途端、押し寄せてきた邪悪な感情。
シルヴィ自身でさえも、制御しきれないと思った。
それなのに、シルヴィ以外の人間は誰も何も感じなかったのだという。
(……それは、私だから?)
今、この場に居合わせる人達とシルヴィの間には明確な違いがある。それは、前世の記憶を持っているか否かというところだ。それが何か関係しているのだろうか。
「……とりあえず、全員冒険者ギルドに転送するから」
シルヴィが一度に転送できる上限ぎりぎりの人数まで集まったところで、一度冒険者ギルドに跳ぶ。
ギルドマスターへの報告はエドガーに任せ、シルヴィはダンジョンへと戻る。
シルヴィが往復したのは、十回近い回数になっただろうか。
さすがに、これだけの人数を一度に転送するというのはしたことがなかった。だが、魔力が途中で切れることはなく、転送を終えたあとはギルドマスターの部屋に通される。
「ご苦労だったな、シルヴィ。話は、エドガーから聞いた」
シルヴィとテレーズ、エドガーとジールという組み合わせで向かい合ったソファに腰を下ろす。一人がけのソファに座ったギルドマスターは、長い足を組んでシルヴィに目を向けた。
「シルヴィは危険だって主張するんだが、俺には危険な相手とは思えなかったんだよ」
「私も。シルヴィが逃げろというから、それには従ったけれど」
ジールとテレーズは、シルヴィには感じ取られたことを感じ取れなかったらしい。
「……エドガーは? エドガーは何も感じなかった?」
「俺は、そういうのはよくわからないからな。それに、ボス部屋の外にいたし――シルヴィを引っ張り出した一瞬だけじゃ何もわからなかった」
「キュキュッ!」
エドガーの方に目をやるも、エドガーもシルヴィの助けにはならないようだ。ギュニオンもエドガーと同じ意見らしい。シルヴィは、膝の上で丸くなっているギュニオンの背に手を滑らせた。
「じゃあ、やっぱり私だけ攻撃してきたんだわ」
「シルヴィが?」
「そんな顔しないで、ギルドマスター。私だって、怖いという感情くらい持ち合わせているもの」
あの魔物は、見た瞬間、シルヴィの中で嫌な感情を呼び起こした。いや、心の中の弱いところを突かれたというべきか。
(……心の中に、あんな感情があるなんて)
考えないようにしてきた。目をそらしてきた。
なぜ、自分は悪役令嬢として生まれ変わったのだろう。
どうして、日本での人生を終えなければならなかったのだろう。
「あの魔物は、危険――心の中の弱いところを的確についてくる。心の中に侵入されそうになった」
ギルドマスターの表情が厳しくなった。シルヴィが心の中に侵入されるなんて、めったなことにはない。
「あの魔物の目を見た瞬間――思い出したくない記憶が、一斉に頭の中に溢れてきたの。それと同時に、そんな状況に追い込まれたことに対しての怒りが込み上げてきた」
とっくの昔に手放したと思っていた前世の記憶。
自分の名を呼ぶ姉の声。
前世で作っていた服や小物。
二人でリノベーションしていた祖母の家。
死によって、それらすべてを奪われたことも。
とっくの昔に手放したと思っていた前世の記憶だ。
初めて会った時のクリストファー。
必死に王太子妃としての教育を受けた幼い頃。
前世の記憶がよみがえって、必死に悪の道には進むまいとあがいた記憶。
クリストファーから言い渡された婚約破棄。
前世の記憶に今の記憶が重なって、じわじわと込み上げてくる黒い感情。
(なぜ、私ばかりがこんな気持ちにならなければならないの?)
王家にさんざん利用され、それでも黒い感情は持たないようにしてきた。それなのに、あの魔物は、シルヴィの中の過去の記憶と黒い感情を呼び起こしてしまう。
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