過去からの呼び声
王家からの要望をはねつけてから、エドガーとの関係がなんとなく変わった――気がする。気がするだけかもしれないが。
あいかわらずジールとテレーズはシルヴィの農場に泊まり込み、四人でダンジョンの探索に赴く日が続いている。畑の面倒を見るのも手伝ってくれるから、シルヴィとしてはありがたい限りだ。
(なんて言うか、居心地悪い……?)
ダンジョンの中を歩きながら、シルヴィは考え込んだ。
ダンジョンの探索を初めて、ひと月ほどが過ぎている。このダンジョンは、さほど強い魔物は出ないだろうという結論が出つつあった。そろそろ最深部に到着しそうである。
先頭をジールに任せて最後尾を歩いているシルヴィのすぐ前にいるのはエドガーだ。彼の肩の上にはギュニオンが乗っていて、こちらに向けて尾をぱたぱたとさせていた。
「こら、それは毒キノコだぞ」
前足を伸ばして、ダンジョン内に生えているキノコに触れようとしたギュニオンの頭を、エドガーがぴしりとはじく。
「キュキュッ!」
「だめだだめだ。お前、キノコは食べないだろ? それに、毒キノコだって教えたじゃないか。俺も食べないし、シルヴィも食べないぞ」
なぜ、これで会話が成立しているのかシルヴィにはよくわからない。ギュニオンは、こちらの言いたいことは理解しているようではある。
(……そんなことより)
このところ、シルヴィの気が重いのは、たぶんクリストファーとの最後の会話のせいだ。
あの時のことを思い返すと、自分でも理由はわからんがいもやもやとしてくる。
「浮かない顔をしてるわね?」
前方を歩いていたテレーズが、シルヴィのところまで下がってくる。
「そんなに情けない顔、してた?」
「ええ、まあ」
くすりとテレーズは笑った。
テレーズとしても、放置しておくわけにはいかないと思ったのだろう。シルヴィより生きている年月が長い分、こういう気の配り方は彼女の方が一枚上手だ。
「もやもやするのよね……なんて言うんだろう。自分の中の黒い感情が表に出てきそうになるって言うか。欲望の赴くままに暴れまわりたくなるというか」
「あら、そんなの誰でも持ち合わせてるものじゃない?」
「それはそうなんだけど……私が欲望の赴くままに行動したら、大変なことになるじゃない?」
ゲームのプレイヤー達にとっては、ラスボスルートのシルヴィは”人類を引退した女”だった。
自分がいつそうなってもおかしくはないという力を持ち合わせているからこそ、醜い感情が膨れ上がってくるのが怖い。
「――そんなの『信頼できる人間』がいるなら大丈夫よ。あなたには私達がいる――そうじゃない?」
けれど、シルヴィのその悩みを、テレーズはなんてことないように肩をすくめて終わりにしてしまう。
「なあ、ここ、ボス部屋じゃね?」
先頭にいたジールが足をとめたのは、巨大な扉の前だった。
ダンジョン最深部には、ボス部屋というものが存在する。このボスを倒せば、ダンジョン踏破成功というのが基本だ。倒されたボスは、その後復活するケースと復活しないケースがある。
たしかにジールが片手でこんこんと叩いている扉からはまがまがしい気配が伝わってきて、ここがダンジョンの最深部で間違いなさそうだ。
「じゃあ、注意して入りましょうか。様子を見てくるから、エドガーはここにいて。ギュニオンをお願い」
大きな扉を開いて部屋に入ったとたん、シルヴィは嫌な予感を覚えた。一歩、踏み出したところで止まってしまう。
ダンジョンの内部だというのに、一気に風が吹き荒れた。その風に乗るようにして、耳の奥に届く声。
『……どうして――が、死なないといけなかったの』
『――が死んだなんて信じられない』
涙が出そうになるほど懐かしく、そして今の人生では聞き覚えのない声。
身体ががたがたと震えてくるのを自覚する。これは、非常にマズイ。
『”私”は、まだ死にたくなかった』
『なんで、こんな訓練をしないといけないの』
『王子の婚約者になんてなりたくなかった』
『”悪役令嬢”なんて、誰が決めたの』
考えないようにしてきた不穏な言葉が、次から次へと押し寄せてくる。
「全員、下がって! 離脱! 急いで!」
そう声を上げたのは、シルヴィだった。だが、自分の声のはずなのに、妙にかすれ、そして、遠くから聞こえてくる。
「どうした?」
扉の向こう側からこちらを覗き込んでいるエドガーの声も、耳に入らなかった。
「いいから、早く――!」
そう言ったくせに、自分は動くことができない。正面にいる敵がやけに大きく見える。
『学園に通っても楽しくなかった』
『S級冒険者になんてならなくてもよかった』
シルヴィの周囲を吹き荒れる風は、今まで蓋をしてみないようにしてきた感情を激しく揺さぶってくる。
『さんざん人を利用して――それで、望まない婚姻を押しつけようとするの?』
『”悪役令嬢”なんだから、それらしく行動すればいいじゃない』
そうやって、シルヴィを誘惑しようとする声は誰のものなのだろう。
「――違う」
シルヴィはつぶやいた。違う、そんな風には思っていない。
「違う、私は――悪役なんかじゃ……」
自分の気持ちを殺すのには慣れている。
クリストファーが愚かな行動をしても、ないがしろにされても。微笑みひとつで周囲をごまかすことができた。
『本当に? それでいい? ”私”ならもっと上手にあなたの力を使えるけど』
聞きたくないのに、その声にふらふらと引き寄せられる気がした。
「グワァッ! ワゥッ!」
今まで聞いたことがないほど激しく、ギュニオンが吠える声がしたかと思ったら、シルヴィの周囲を吹き荒れていた風が、静かになる。
その静けさの中、続いて耳に飛び込んできたのはエドガーの声だった。
「脱出しろって言ったのはお前だろっ!」
けれど、風がやむのと同時に、エドガーがシルヴィの腕を引っ張った。引きずるようにして扉の外にシルヴィを連れて飛び出す。
「扉!」
風がやんだ瞬間、半分奪われかけていたシルヴィの意識も戻ってきた。
エドガーの鋭い声に、ジールとエドガーが扉に飛びつき、その扉を再び閉ざす。扉に背中を預けるようにして、ずるずるとシルヴィは沈み込んだ。
心臓が、早鐘を打っている。嫌な汗が、背中を滴り落ちる。
「どうした? 顔色が悪い。それにお前らしくないだろ。なぜ、動かなかった?」
エドガーが、顔を覗き込んでくる。
こちらを見ている彼の目には、シルヴィを案じる色が浮かんでいる。
「……だめ。あれはだめ!」
懸命に訴えているつもりなのに、小さな声。頭がくらくらしていて、上手に考えをまとめることができない。
冷たくなっている手に、テレーズの手が重ねられた。
「そんなに強そうな敵じゃなかったのに」
「……違う」
テレーズの手を払い、首を横に振る。
強そうには見えない? どこが? 皆には、シルヴィには見えたものが見えていなかったというのだろうか。
心臓のある位置をぎゅっと押さえ、シルヴィは震える声で続けた。
「……あれは、私じゃ勝てない」
シルヴィの宣言に、一同顔を見合わせた。シルヴィの口から、こんな発言が出たのは初めてだったからだ。
「たいした相手じゃないだろ?」
「そうそう。ここは等級つけるなら、せいぜい中級者向けのダンジョンだろ?」
ジールは肩をすくめ、エドガーは首をかしげる。
「だめだってば!」
二人の声に割り込むようにして叫んだ。ようやく、周囲の景色がまともに見えるようになってきた。つい今しがたまでは、目の前の魔物しか見えていなかったから。
「皆は、感じなかったの?」
「感じなかったって、何が……?」
ようやくドキドキとしていた心臓が落ち着きを取り戻し始める。不安そうに、膝の上に乗ってきて、頬を舐めたギュニオンをぎゅっと抱きしめた。
「皆が気づかなかったというのなら――私の勘違いかもしれない。でも、あれは、ダメ。私じゃ勝てない」
往々にして、こういう勘は冒険者を助けてくれるものだ。
立ち上がったシルヴィは、扉に両手を当てた。
「――とにかく、この扉は封印しておく。誰にも開けられないように。そして、内側からも開けられないように」
「ダンジョンのボスは、外には出ないものだろう? なんで、そんなことをするんだ?」
「エドガー……例外もあるわよ。絶対ってことはないんだから」
ダンジョンを封印するのは初めてだったけれど、応急処置程度ならどうにかなるだろう。まだ震える足に懸命に力をこめ、シルヴィは扉に両手を当てた。
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