謝罪、そして本音

「兄上がすまないことをした。かわりに謝罪する」


 走り去るクリストファーの背中を見送り、エドガーはシルヴィに向かって頭を下げた。


(……さっきだって、国王陛下のかわりに頭を下げたのに)


 エドガーも、最初はクリストファーの側にいた。だが、自分が間違っていたと知ると、こうしてためらうことなく謝罪してくれる。


「いいえ。殿下が謝ることではありません」


 王宮で対応している以上、どうしてもエドガーに対しては、敬語を使ってしまう。


「まさか、父上があんな馬鹿なことを言い出すとは思っていなかった。不愉快な思いをさせてすまなかった」

「謝ることではないと、申し上げたではありませんか」


 農場にいる時とは違う、二人の距離。その距離をもどかしいと思ってしまう。微笑もうとしているはずなのに、公爵家令嬢としての笑みさえ出てこない。


(……変なの)


 自分でも、エドガーとの距離を測りかねている。スカートを握りしめ、大きく息を吸い込んだ。


「陛下のお申し入れは、合理的なものだと思います。本来なら、喜んでお受けすべきなのでしょう――そうしない私が、わがままなのはよくわかっています」

「――シルヴィ」

「ひゃいっ!」


 ぴしりと人差し指で額をはじかれ、妙な声が出る。今のは、完全にシルヴィも油断していた。


(――っていうか、気配まったく読めなかった!)


 エドガーの気配を読めないことがあるなんて、想像したこともなかった。


「――本音を言え、本音を!」

「これが本音ですって! ついでにいうなら、わがままで何が悪いとも思ってます!」


 公爵家の娘として生まれた以上、義務を果たすのは当然のこと。

 それはもちろん頭にあるが、シルヴィの中の"日本人"が、それを拒んでいるのも本当のこと。

 どちらもシルヴィの一部なのだから、変えられるはずもない。

 弾かれた額を抑えて、涙目になる。別に、これは痛いからではなくて――他に思うところがあるからだ。

 けれど、今のエドガーの行動で二人の間にある空気が、完全に変化した。いつも、ウルディの農場で過ごしている時のものへと。


「ということは、俺が嫌いか。兄上よりはまだましだと思うんだが」


 兄よりましとは、なんともすさまじい言い草である。そして、それにシルヴィも完全に同意だった。


「んー、好きとか嫌いとか、そういうのではないのよねぇ……」


 空気が変わったせいで、"シルヴィアーナ"ではなく、"シルヴィ"としてエドガーに対峙していることに、シルヴィ自身気づいていなかった。


「今の私には、そういうことを考えるだけの余裕がないという方が正解よね。陛下の前でも言ったけれど、ようやく軛から自由になったところで、今までできなかったあれこれをやるのに忙しいの」

「それで隠居生活か」

「あの農場、悪くはないでしょう?」


 あの家に置いた家具も、カーテンも、キッチン小物の一つにいたるまで、全部自分で選んだものだ。公爵家から持ち出した家具もあるし、古道具市を丹念に捜し歩いて見つけ出したものもある。


「あの場所では、私の後ろにメルコリーニ家があることを誰も気にしない。私自身の能力だけで、私を見てもらえる」


 いつか、そう遠くない未来に義務を果たすことにはなるだろう。

 両親がくれたのは長い休暇だ。それもわかってるからこそ、あの場所にとどまる時間を少しでもいい思い出に変えたいのだ。


「私は、あなたのことは嫌いじゃない。今、少し後悔しているところでもあるの」


 後悔――という言葉に、エドガーは怪訝な顔になる。

 彼が口を開こうとするのを、シルヴィは手で押しとどめた。


「学園にいる間、もっとあなたのことを知ればよかったと後悔してる。そうしたら、私の学園生活は、もっと有意義なものになったでしょうね」


 学園に籍を置きながらも、そこから外れたところで行動することを望んだのは、シルヴィ自身。

 そして、それは王家にとっても都合のいいものであった。

 王太子の婚約者である以上、異性とかかわりを持つわけにはいかないからだ。

 冒険者である"シルヴィ"に名指しで依頼を出せば、前国王の健康を守ることだってできる。


「――俺も後悔している。もっと早く知っていたら、わざわざウルディまで追いかけなくてすんだのにな」


 どちらからともなく差し出したのは右手。これから先、二人の関係がどう変化していくのかはわからないけれど。


「父上には俺から話をしておく。自力で口説くので、しばらく時間をくれ、と」

「そ、それは困るわ!」


 エドガーに口説かれるのは困る。

 叫んだシルヴィは、自分の頬が熱くなっているのには気づかないふりをした。


「そうでも言わなきゃ、気が変わったんじゃないかとしょっちゅうお前を王宮に呼び出すだろうからな」

「それも困る――ここにくるのものすごく面倒なのに」


 都に戻るだけならまだいいけれど、王宮に上がるとなれば、入浴をすませ、ドレスを着付け、化粧をして髪を結い――と、"令嬢らしい装い"を求められる。


「冒険者としての服装で来てよければ、まだ楽なんだけど」

「次はそうするように言っておく」

「やだ、冗談よ、冗談」


 真顔でエドガーが言うので、慌てて手をばたばたとさせてしまう。


「引き留めて、悪かった」

「ううん、それはいいの――それにしても、クリストファー殿下も大変よね。これから、どうなるの?」

「領地を与えられて、王宮からは出ることになる。自分の領地で過ごすことになるが――こちらに戻ってくることはないだろう」

「牢屋に入るのかと思ってた」

「さすがにそれは――王太子は病弱なために、地位を返上ということで表向きはすませることになる」

「いろいろやらかしてましたって国民に伝えるわけにもいかないってことね」


 婚約破棄をしたり、本来王太子妃として認められない地位の女性に恋をしたり。その程度ならば若気の至りですんだかもしれない。

 けれど、法的にマズい薬に手を出していたり、本来民に還元すべき金銭を、恋した女性に貢いでいたとなれば話は別だ。こんなのを国のトップに置くべきではない。


「カティア嬢は?」

「彼女は、エイディーネ神殿に入ることになった。彼女の魔術については、神殿も認めるところだ。罪を償ったら、実家に帰ることになるだろう」

「……そう」


 カティアがやったことと言えば、"シルヴィアーナ"を陥れようとしたことだけ。それ以外のことはしていないのであれば、数年神殿で修行というのは、妥当な落としどころだろう。


「――俺は、シルヴィが来てくれたら嬉しいと思っている」

「……なっ」


 正面から、そんなことを言われて、かぁっと顔が熱くなる。

 王太子の婚約者として、異性と距離を置いてきた分、意外と免疫がないのだ。


「……返事は今すぐにとは言わない」

「あ、当たり前でしょう……!」


 今すぐに、と言うことはいずれ欲しいということだ。それはわかっているけれど、この場で振り払うこともできなかった。

 彼に、恋愛感情があるのかと問われると、まだ首をかしげてしまうけれど。


(……そう言えば、そっち方面の感情は私発達していないかも)


 前世でも今の生でも。事情は違えど、恋愛からは身を遠ざけてきた。答えなんて、見つかるはずもないけれど。


「――だから、時間をくださいと言ってるでしょう。私にだって、考えないといけないことが山ほどあるんですからね!」


 今は、帰りたいと思う。自分が、自分のためだけに作り上げたあの場所に。


「明日も行く。お前を見張らないといけないからな」

「王家に対して悪意があるわけじゃないって知ってるでしょうに」

「悪い虫がつかないように、に決まってるだろ」

「――そういうのはなしっ!」


 免疫がないので、本当に対応に困ってしまう。

 笑い声をあげたエドガーは、シルヴィの肩をひとつ叩くと行ってしまった。

 一人取り残されたシルヴィは、「だから困ると言ってるのに……」とだけつぶやいた。

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