王宮の夜は困惑のうちに更けて

 メルコリーニ公爵家の人達を王宮まで呼び出したその日の夜、エドガーは父と二人、書斎で話し込んでいた。クリストファーは、この場にはいない。

クリストファー自身は、王太子の地位をはく奪されたことに不満を覚えている。


「――父上、ああいうのは困る。彼女に対しても、メルコリーニ家に対しても失礼だ」

「だがな、お前の縁談を決めるまで時間をかけたのは、クリストファーが結婚できなくなった時のことを想定していたというのもあるんだぞ」

「わかっていますよ、そのくらい」


 軽く肩をすくめれば、対照的に父の肩はがくりと落ちた。

 王太子妃として、メルコリーニ家の娘以上の候補者はいない。王家以上の力を持つ一家を王家に取り込むのに、縁談は最良の手であった。

 もし、クリストファーが結婚する前に命を落とすようなことがあれば、"シルヴィアーナ"をエドガーの婚約者にする可能性もあった。

 だから、エドガーの縁談を探しながらも、本格的に話を動かすことはなかったのである。エドガーの婚約が正式に整うのは、クリストファーとシルヴィが結婚した後のことになるだろう。

それを踏まえれば、クリストファーの王位継承権をはく奪したのち、エドガーとシルヴィの縁談を結ばないかという父の申し出は想定の範囲内であった。

 だが、クリストファーのしたことを考えれば、シルヴィに対してあんな提案をするのは失礼だとしか言いようがない。


(先に、父上に釘を刺さなかったのは失敗したな……)


 今、父と話をしながら、エドガーは後悔していた。先に話をしておけば、シルヴィに不愉快な思いをさせずにすんだのに。


「ならば、メルコリーニ家とは今後どうしていくつもりだ?」

「兄上の件と、おじい様の件で、彼女の王家に対する信頼はがたがたに落ちていますよ。公爵夫妻ももちろんですが」


 先ほど公爵から締め上げられたので、父もわかっているのだろう。だが、それでもあきらめきれないらしい。往生際が悪いというかなんというか。


「そこまで無理を強いたつもりはないんだがなぁ……」


 なんて、腕を組んで首をひねっている。

 王太子妃の婚約者と学生と冒険者。

 一人三役やらせておいて、無理を強いたつもりはないとはなにごとだ。普通の人間なら、とっくに投げ出していてもおかしくはない。

エドガー自身も、シルヴィが学園にいない間冒険者として活動しているのは気づけなかったから、同罪だし、クリストファーがシルヴィを糾弾していた時には、兄に同調していたのだから、父のことをとやかく言う資格はないのだけれど。


「――ああ見えて」


 エドガーはそこで言葉を切る。


(ああ見えて、シルヴィは……まだ、自重しようとしている。その気になれば、王家をつぶすことだってできたのに)


 メルコリーニ公爵家の力をもってすれば、嫌なことは嫌と突っぱねてもいいのだ。

メルコリーニ家の力で無理ならば、シルヴィ自身のS級冒険者の力を持ってすればいい。

 だが、彼女がそうせず、王家の無茶苦茶な要望を受け入れ続けたのは。


「案外、人がいいんですよ、シルヴィは。頼まれれば嫌とは言えない。自分が嫌だと思ったとしても、それを飲み込んでしまう。おじい様の頼みを断らなかったのも、前国王であるおじい様に長生きしてほしいからでしょう」


 彼女の甘さに、王家が付け込んできたのは否定できない。

 シルヴィの農場に通うようになってからは、学園で見ていた彼女とも、社交の場で見ていた彼女とも違う面が見えてきた。

 頼られれば、「しかたないなぁ」と言いながら、すかさず手を差し伸べてしまう甘さ。

体よく押しつけられたドラゴンも、手元に置いて面倒を見る細やかさ。

テレーズやジールと言った友人達を相手にしている時には、大口を開けて笑うこともあるし、敵とみなした相手に対しては容赦しない。

 贋作職人のギランや、商人のドライデンを相手にしていた時にはとんでもない行動もしていたが、彼女の決めた”一線”だけは超えないようにしている。


「義理は通さねばならない」というのが信条らしいが、義理を果たす以上のことまでやってのけてしまう。

 それをやってのけるだけの能力が彼女にはあるというのが、なおさら話をややこしくさせるのだ。


「父上達は、王家の命令にシルヴィは逆らえないと思っているが、実態は逆でしょう。S級冒険者ならば、どこの国に行っても引く手あまただ。俺達が、メルコリーニ家の好意にぶら下がっているんですよ」


 メルコリーニ公爵家はともかく、シルヴィ本人は王家の命令に逆らえないということはない。 ――今まで、彼女が王家の命令に背かなかったのは。

それが彼女の中の守らねばならない一線だから。


「王家に対する最低限の敬意をメルコリーニ家が失っていないからこそ、彼女はおじい様の頼みを断らなかった」


 大根を掘りに行くなんて、本来なら貴族令嬢のすべきことではないのに。

 ギュニオンのためのリンゴを採りにいったついでに、祖父の分の大根までしっかり確保してくれた。

 その気になれば、いつだって王家の軛を断ち切ることができたくせに、クリストファーが愚かなふるまいをするまで、自らその軛にとらわれ続けてくれた。

 エドガーがウルディにあるシルヴィの家を訪れた時も、失礼な言動だったのに、なんだかんだ言って受け入れた。

城にいる時だけ仕事をするのでは、体力が持たないだろうと自分の家の一室をエドガーに貸してくれた。

 それがシルヴィという人間の甘さと言えば甘さだし、シルヴィの懐の広さと言えば懐の広さ。

監視の必要がないとわかっていても、彼女のいるところに通い続けたのは――。

たぶん、あの場所では肩の力を抜くことができたからだろう。同じ部屋で別々のことをしていても、気まずくならない。


「頭ではわかるって言ってましたよ。王家とメルコリーニ家の関係を考えたら、父上の申し出通りにするのが一番いいと。そうしないのは、自分のわがままだともね」

「――わがまま、か」


 その言葉に、思いがけず父が強く反応する。


「俺達が彼女に強いてきたことを考えれば、現状でも十分だと思うんですよ、俺は」


 いいように利用し続けたことを、彼女はどう思っているんだろう。軛という言葉で片付けたけれど、それだけではすまない重みがあった。


「それに、俺も最初は悪い印象しかなかったので――"そうするのが王家にとってもっとも望ましい"というだけでは、これ以上彼女を縛りたくありませんよ」

「お前がそこまで言うとはな。たしかに、無理を強いてきたかもしれない」


 "シルヴィアーナ"が、王家に対しあそこまではっきりと物申したのは初めてだった。だからこそ、父も深く恥じ入ったのだと思う。


「わかった。お前の好きなようにやってみろ。急ぐ話でもないしな」

「ありがとうございます、父上」


 父の書斎を退室し、自室へと戻りながら考える。

 先ほどは勢いで口説く――なんて言ってしまったけれど。今はまず、シルヴィの"よき友"になるほうが先なのだ。


(……俺は、シルヴィの側にいたいと思っている)


 今は、それをシルヴィに告げるべき時ではない。シルヴィの信頼できる相手にならなければ、本格的に動くことなんてできるはずもない。


(それにはまず、王宮の改革も必要だよなぁ……)


 シルヴィ一人に負担をかけ続ける体制から、違う形へと。

シルヴィと肩を並べようなんて思っていない。ただ、もしもの時には――背中を守れるくらいにはなりたいと思った。


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