クリストファーとの再会
これ以上王宮にとどまる意味もない。さっさと帰ろうと王宮の廊下を歩いていると、後ろからばたばたと走ってくる足音がする。
その足音が誰のものか瞬時に理解したシルヴィは両親に先に帰ってもらうことにした。
「そんな長い話にはならないと思うから、馬車で待っていようか」
「たぶん、クリストファー殿下のあとはエドガー殿下が話したがるわ。あんなことがあったんだもの。お父様もお母様も先に帰って」
「やっぱり、ここで待ってる?」
「お母様、心配し過ぎ。だいたい、この王宮で私をとめられる人間がいると思う?」
両親は顔を見合わせた。
たしかに、この王宮で今待機している王宮騎士団全員を一度に相手にしたとして、誰も傷つけずに逃げるくらいのことはできる。
「エドガー殿下は、信頼できると思うかい?」
「そうね――少なくとも、クリストファー殿下よりは」
クリストファーに"信頼"を向けたことはあっただろうか。そんな感情、最初からクリストファーとの間にはなかった気がする。
両親を先に行かせ、シルヴィはその場で足音の主が到着するのを待った。ぴん、と背筋を伸ばし、これから先に備えようとする。
婚約破棄を申し渡した時の堂々とした態度はどこにいったのだろう。しばらく見ないうちに、クリストファーはげっそりとしていた。
(……たしかに、これじゃ呪いの影響が完全になくなったかどうかわからないかも)
以前は、もう少ししゃっきりしていた。シルヴィの姿を認めたとたん、彼は、眉を吊り上げた。
「――お、お前のせいで!」
シルヴィにつかみかかってくるのを、するりとかわす。
「何が、わたくしのせいなのでしょう?」
廊下の空気がぴしりと凍り付きそうなほどに冷え冷えとしたシルヴィの声。その口調に、一瞬クリストファーはひるんだようだった。
「お、お前が婚約を破棄したから、王位継承権をはく奪されるはめに陥ったんだ」
「……はい?」
あまりな言い草に目玉が落ちたかと思った。
クリストファーは、どうやら記憶を捏造することにしたらしい。
シルヴィアーナという婚約者がありながら、他の女に目がくらんだのはクリストファーだし、公衆の面前で婚約破棄を言い渡したのもクリストファーだ。そのことをきれいさっぱり忘れるとは。
「わたくしが、婚約を破棄した? 殿下、わたくしの記憶が間違いでなければ、卒業式が始まる直前、殿下の方から申し渡されたと思うのですけれども」
「お前が、あっさり破棄を受け入れたからだ! お前は、そうやって、いつも高みから俺のことを見下して!」
「見下したつもりはなかったのですけれども……」
真正面から向き合うのはばかばかしいと思った。
だから、クリストファーから遠く離れたところに身を置くことにした。
学園外で、"シルヴィ"として活動している間はたくさんの友に恵まれたし、冒険者としての活動にも誇りを持っていた。
王太子という自分の立場を忘れた婚約者から距離を置くことを見下していると言われれば、反論ができないのだ。
最初から深くかかわることを避けたという意味では、クリストファーを下に見ていたかもしれない。関りを持つだけ、無駄だと思っていたから。
「お前は、いつもそうやって……俺を馬鹿にした目で見ていた」
シルヴィアーナはクリストファーより二歳下であったが、成績ではクリストファーよりはるかに上だった。
学園に入る前に自力で学習していた面も大きいので、この差についてはクリストファーを責めるわけにもいかないのだが。
「――どうせ、今もいい気味だと思っているのだろう?」
そんなことを言われても困る。
いい気味だと思うよりも、勝手にクリストファーが自滅しただけ。
先に手を離したのが、クリストファーとシルヴィどちらなのかはわからないけれど、二人の道が交わったのは、たった一瞬。
その一瞬を、末永い縁に結ぶことができなかった原因は、どちらにあったんだろう。考えないようにしてきたけれど、クリストファーの発言に頭を殴られたような気がした。
(私は、間違っていた……?)
あとのことは両親に任せ、ウルディに引っ込んだのは間違いだったのだろうか。
「いい気味とは思っておりませんわ、殿下。ただ――もし、時を巻き戻せるとしたなら」
ゆったりとした口調。震えないよう、細心の注意を払いながら唇を動かす。
「最初に出会った時に、殿下にこう告げたでしょう。『生涯、あなたの支えになります。そうなれるように、努力いたします。それがどんな形であったとしても』と」
たしかにクリストファーは凡庸と言えば凡庸だ。
それは、エドガーと身近に接するようになってしみじみと感じた。エドガーの方が、圧倒的に魔力も多いし、剣術の腕も上だ。エドガー個人の資質はクリストファーより高い。
だが、凡庸であれ、支える者達の意見をくみ上げることができるならば、君主としては合格だ。なにも、国王一人で国を治めているのではないのだから。
そして、以前のクリストファーなら、そうするだけの度量を持ち合わせていた。だからこそ、父も母もシルヴィ自身も――王家に対する敬意の念までは失わなかったのだ。
(……投げ出したのはきっと私も同じ。クリストファー殿下だけではなく)
幾度目かの苦い後悔が込み上げてくる。
ストーリーに沿えば、いつか捨てられるのは確実だからとクリストファーの気持ちを掴む努力はしなかった。
婚約者としての誠実な態度を崩さず、王太子妃候補として恥ずべき行動はとらなかった。
そのかわり、シルヴィが努力してきたのは、捨てられても困らないように努力することだけ。
――ひょっとしたら、クリストファーを支える未来もあったかもしれないのだ。
それは何も、婚約者、王太子妃、王妃と変化していく立場だけには限らない。メルコリーニ公爵家の人間として、家臣としての立場から支えることもできただろう。
「……それを、殿下にお伝えしなかったのは、わたくしの落ち度かもしれません。あなたが――よき王族であろうとする限り、わたくしとメルコリーニ家の忠誠は、あなたに捧げられておりました」
もし、カティアと出会う前のクリストファーにそう告げていたならば。
――愛とか恋とか、そういった感情を持ったことは一度もなかったけれど、彼と手を取る未来もあったかもしれない。
「シルヴィが謝る必要はない!」
場所を移すべきだったかもしれない。
割り込んでくるエドガーの声に、思わず額に手を当てた。
王宮の廊下なんて、誰が通るかわからない場所。そこで話し込んでいれば、見られて当然だ。
「……愛称で呼ぶか」
エドガーに、クリストファーは歪んだ笑みを向けた。
(……これはマズイ!)
不意にそんな予感に襲われる。背筋がぞくりとして、うなじの毛が逆立ったような気がした。
「――クリストファー殿下」
だが、シルヴィの言葉は、耳に入っていないらしい。
「父上も、エドガーに王位を継がせると言っていたしな。どうせ、学園にいる間から繋がっていたのだろう。俺と違って、接点はある」
違う、と声に出したかったのに出てこない。"シルヴィアーナ"からすべてを取り上げたのは王家の方なのに。
王太子の婚約者であり、公爵家の娘であり、冒険者であり、学生でもある。いくつもの違った側面を持ったシルヴィの立場は、学園の生徒と深くかかわる機会をシルヴィから奪っていた。
「兄上、それはシルヴィに謝るべきだ。彼女は、俺を含むクラスメートとは、ほとんど話もしなかった。そもそも学園にほとんどいなかったしな。彼女も言っていただろう」
「ふん、どうだか」
「彼女は自室で就寝している時以外、すべて自分の行動を記録していたんだぞ? それも、俺"達"が言いがかりをつけた時に身の証をたてるためのものだろう」
エドガーの言葉に、クリストファーは黙り込んでしまった。そして、ぎろりとシルヴィをにらみつける。
「それもお前の入れ知恵じゃないとどうして言える?」
「俺に、そんなことをするメリットがあるのか?」
「もういい。お前に何を話しても無駄だ」
そう吐き捨てたクリストファーは踵を返し、勢いよく去っていた。
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