慰謝料の増額、お願いします


「まずは入学式当日だ。編入早々カティアを池に突き落としただろう。たまたま俺がその場にいたから、池から引き上げることができた」

「その日は、起床したのち、在校生代表として入学式に参加。入学式が終わったあとは、ダンジョンに潜っておりましたわ。その日の記録です。お持ちくださいませ」


 収納魔法のかけられた鞄の中からシルヴィアーナが取り出したのは、該当する日付の記された時水晶。記録係の侍従が、恭しくそれを受け取る。


「そ、その日だけじゃないぞ。それから、学園祭の日」

「わたくし、その日は実行委員として忙しく活動しておりましたわ。その日の記録です。お持ちくださいませ」


 また、侍従の手にシルヴィアーナの時水晶が手渡される。

 どこで何をしたのかなんて、聞く必要はない。なにせ、シルヴィアーナの日々の活動は、すべて時水晶に記録されているのだから。


「それから、新年を祝う宴――」

「その時は、王妃様のお側で一日過ごしておりました。王太子妃になる準備をしておりましたの。はい、どうぞ」


 またもや時水晶が侍従の手にわたる。

 それからいくつもの日付をクリストファーはあげたけれど、すべてシルヴィアーナは身の証をたてることができた。


「まさか、本当にすべて記録しているとはな」


 むしろ、この場をもうけた国王の方が少々あきれた表情だ。

 クリストファーのすぐ側にいて、兄が前に出すぎる度に引き戻しているエドガーの方も渋い顔。


「……これでは、兄上の弁護のしようもない……」


 とつぶやいたのは、武士の情けでシルヴィはきかなかったことにしておいた。シルヴィは武士ではないし、この世界に武士はいないが。

王妃はおろおろとしてしまっていて、口を挟むことはできないようだ。まさか、自分の息子がここまで愚かだとは思っていなかったのだろう。


「学園にいる間は、何があるかわかりませんでした。自分の身を守るのは、普通のことですわ」


 本来の目的は、カティアの件でクリストファーからなじられた時、今やったように自分のアリバイを証明するため。

だが、それだけでは、シルヴィがそこまで用心していた理由にはならない。そこで、王家に対する建前の理由を口にする。


「メルコリーニ家と、王家のきずなが強くなるのを面白くないと思う者はたくさんおります。わたくしが、学園で過ちをおかせば、メルコリーニ家だけではなく、王家に迷惑をかけることになりかねません」


 その点については嘘ではなかった。

シルヴィの不始末は、メルコリーニ家の不始末であり、王家を糾弾する理由ともなる。

クリストファーとカティアの件について、王家が今まで動かなかったのは、


「ですから、わたくし自身の行いにおいては、常に記録しておりました。誰にもことがない?ように、と」


 さすがに、王家の面々もこれには何も言えなかった。

国王夫妻とて、クリストファーとカティアの仲についてまったく知らなかったということはないはずだ。それをとがめなかったのは、あんな形でクリストファーが婚約破棄をたたきつけるほど愚かではないと信じていたからだろう。

王妃はシルヴィを可愛がってくれていたから、ひょっとしたら、シルヴィならあんな状況でもクリストファーを受けいれると思っていたのかもしれない。


「わたくしの行動には、はずべきところはございません。それは、証明できたと思いますが?」


 結局、その発言で言葉を失ってしまったクリストファーは、シルヴィを言い負かすことができなかった。

 カティアの言葉を信じていても、日時と場所を確実に記した証拠を持ち出すことができなかったからだ。


「そういうことですから、婚約は破談にいたしましょう。陛下。私も娘を馬鹿にされて、笑って許せるほど心が広くありませんの」


 白いレースの扇を握った母の声は冷え冷えとしている。比喩ではなく、室内の温度が急激に低下した。


(……お母様、殺気が出てる……!)


 ひそかにシルヴィが首をすくめたのは、誰にも気づかれていないはずだ。超一流冒険者だった母は、正直に言えばシルヴィにとっても恐れるべき相手だ。

戦闘力だけを見ればシルヴィの方が明らかに上なのだが、それとは別方向の強さがあり、敵に回したくない。


「妻の言う通りですな。これが次代の国王だと思うと情けない。実に情けない。我々も忠誠を誓う相手は選びたいものですな」


 なんなら、王家をのっとってもいいのだよと暗示しながら、両親が国王夫妻に脅しをかける。

 結局、クリストファーが望んでいたのとは違う形であったけれど、二人の婚約は破談となった。

 やれやれ終わった――と一同がほっとしたのを見たところで、シルヴィは追加の爆弾を投下することにした。


「――慰謝料を、ちょうだいしたく思います。衆人環視の中で辱められたんですもの。殿下には、金銭で償うことを要求させていただきます。王家が責任をもって償ってくださいますわよね?」


 辱められたなどとはまったく思っていないが、そのくらいはもらってもいいだろう。

 にっこりとしたシルヴィとは対照的に、王家の面々は肩を落とした。


「……ふざけるなっ!」


 不意に大声を上げたのはクリストファーだ。彼の右手には、巨大な火の玉――ファイヤーボール――の魔術が浮かんでいる。

シルヴィは目を瞬かせた。


「あら、殿下。そんなに大きなファイヤーボール作ることができたんですね」


 クリストファーは、聖エイディーネ学園の卒業生としては凡庸だ。だから、彼がこんなに巨大なファイヤーボールを作ることができるとは思っていなかった。

 卒業したあと、カティアといちゃいちゃするのに忙しいのかと思っていたら、それなりに真面目に鍛錬を続けていたらしい。


(私が気づいてなかっただけで、王太子としての心構えはちゃんとできていたのねぇ……)


 今のクリストファーの様子を見て、そこは素直に感心した。


「じ、時間がかかるだけだ!」


 つまり魔力を練り上げ、ファイヤーボールを作り上げるのに時間がかかるらしい。先ほどから黙っていると思ったら、ひそかに魔力を練っていたようだ。

それに気づいて慌てたのは、王とエドガーだ。


「クリストファー! 何をするんだ!」

「兄上、やめろ!」


 あまりの事態についてくることができなくなったのだろう。シルヴィの視界の片隅に、王妃がくらりと床に倒れこみそうになるのが見えた。

素早く飛び出した母が、すかさず王妃の身体を支えている。母、グッジョブである。


「……うるさい! 俺は、お前が――」


 たぶん、続く言葉は大嫌いとかそんな類の言葉だろう。

エドガーが飛び出すも、クリストファーが腕を振るう方が早かった。

渾身の魔力で練り上げられた巨大な火の玉がメルコリーニ家に襲い掛かり――と、思われた瞬間前に出たシルヴィは、その火の玉を片手で受け止めた。


「……これ、どうしましょう?」


 シルヴィの手の中で、火の玉がくるくると回る。ついでに軽く、手の上で弾ませてみた。

その様子を見たエドガーは目を丸くした。


「……熱くないのか」

「ええ、まあ」


 エドガーの問いに、軽く肩をすくめて答える。

手には魔力を張り巡らせてあるから、クリストファーの放ったファイヤーボールを受け止めたところで熱くはない。


「……そんなものはお捨てなさいな。持って帰るわけにもいかないでしょう」


 王妃を抱えた母が、シルヴィを見る。シルヴィが父の方に視線をやったら、「好きにしなさい」と目で訴えてきた。


「わかったわ、お母様。捨てる――そぉぉぉれぇぇぇいっ!」


軽く上に放り上げた火の玉を、シルヴィはバレーボールのサーブの要領で思いきり打ち込んだ。

ひゅんっと音を立ててはじき飛ばされた玉は、すさまじい勢いでクリストファーの頬をかすめていく。


「うぉうっ!」


 思わずクリストファーが声を上げた次の瞬間、火の玉は勢いよく壁にめり込み、そこで激しい炎を上げた。


「ウォーターランス!」


 シルヴィの右手から放たれた水の槍が、燃え広がろうとする炎を一瞬にして消滅させる。ふっと息をつき、シルヴィは扇を口元に当てた。


「慰謝料の増額、お願いいたしますわね?」


 にっこりとすると、国王陛下は力のない声で「わかった」と返したのだった。

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