今度こそ、スローライフスタート!
翌日。
シルヴィは公爵家ではなく、自分の農場にいた。昨夜は夕食をすませたあと、こちらに戻ってきたのである。
元婚約者の処遇は、のちほど沙汰があるだろう。
「んー、何にしようかなー」
保管庫から取り出したのは、バター、ベーコン、チーズに卵。昨日、食材を買いに行く暇はなかったので、実家の厨房からわけてもらってきたものだ。
昨日の王宮での騒ぎなど忘れたかのように、鼻歌交じりに葉物野菜を水洗いして、サラダを作り始める。
続いて卵を割り、コンロのスイッチを入れ――魔石を使っているのでスイッチを入れれば一発で火がつく――フライパンを温め始める。
その横ではやかんを火にかけて、お茶をいれる準備も始めた。
フライパンを温めている間に、ベーコンとチーズを小さく切る。
割りほぐした卵は塩と胡椒で味を調え、フライパンでバターを溶かす。
ベーコンを入れて炒め、バターとベーコンの食欲をそそる香りが立ってきたところで卵を投入。数度かき回してチーズを追加。フライパンを揺すりながら形を整え、皿の上に取り出したらオムレツの完成。
軽く温めたパンを添えれば、ボリューム満点の朝食だ。朝からしっかり食べないと、昼までもたない。
温めたティーポットに茶葉をいれ、朝食を乗せたテーブルに置く。
「――いただきます」
両手を合わせての挨拶。これは、この世界でもきちんと踏襲されている。それは、ここがゲームの中の世界だからかもしれない。
(どこから手をつけようかしらねぇ……)
気分でミルクを入れたりレモンを入れたりするが、今日の紅茶はストレート。
チーズとベーコンをごろごろと入れたオムレツは半熟に仕上がっていて、ナイフを入れればとろりとあふれ出る。
ゆっくりと朝食をとりながら、考えを巡らせるだけで楽しい。
晴れた日にはのんびり畑を耕し、雨の日には室内で読書をしたり、ハンドメイドをしたり。気が向いたら実家に帰ってもいい。
ようやく、夢のスローライフスタートである。
(やっぱり、最初に種とか苗を植えたいかなぁ……育つまで時間がかかるもんね)
初日に確認したように、やらねばならないことはたくさんある。
ある程度育つまでは、作物を取られる心配はしなくていいだろうし、先に畑を作ってしまおう。その前に、井戸の整備だ。
朝食の片づけを終えたところで、シルヴィは庭に出た。
「――アクア、おいで」
呼び出したのは、水の精霊だ。父親に何度も殺されかけながらの修業期間中に、四大精霊全てとの契約をすませておいた。
シルヴィの精霊の使い方はいろいろとおかしいらしいが、深いことは気にしないようにしている。
『なぁに?』
呼び出されるなり、ふわりと現れたのは、シルヴィの手のひらに乗りそうな、水色のふわふわした服をまとった青い髪の少女だ。水の精霊アクアである。
「この井戸、使えるようにしてもらえるかしら。水を綺麗にして」
『りょうかーい!』
くるりとその場で一回転し、アクアは井戸の中へと姿を消す。
これで、井戸の整備は完ぺきだ。
次に向かったのは、畑だ。
「これだけ広かったら、ダンジョン産以外の作物も育てられるかもね? テッラ、来て」
『主、お呼びで?』
ふっと姿を見せたのは、土の精霊テッラだ。アクアが少女の姿なのに対し、こちらは壮年のがっしりとした体格の男性だ。
茶のローブを身にまとった彼は、アクアよりいくらか大きめだ。シルヴィの目の高さに浮かんだ彼は、その場で丁寧に一礼する。
「この土を育ててちょうだい。ダンジョン産以外の作物もよく育つように」
『承った』
農作業に関しては完全な素人であるシルヴィが気楽にスローライフを始めようとしているのは、精霊の手を借りることができるからだ。
ラスボス級のシルヴィだからこそできることである。
「何を植えようかな。人参、ジャガイモ、トウモロコシ。トマトは必須よね。あなたは何がいいと思う?」
『主の好きなものを植えればいい。それに合わせて土を育てる』
畑の中から、テッラがそう返す。畑の中をうろうろとしている土の精霊は、最初に出てきたテッラだけではない。同じ姿の精霊が畑中に散らばっている。
精霊は、全体で個であり、個でありながら全体なのである。だから、シルヴィにこたえるのが、いつも同じ精霊かどうかは判断できない。
全体で意識を共有しているから、目の前に来た相手に伝えればそれですむ。シルヴィの他にも精霊と契約している者はいるが、他の契約者と精霊の間でどんなやり取りがあったのかシルヴィは知ることがない。
(野菜だけじゃなくて、果物も欲しいわよねぇ……)
庭には、果樹も植えようか。林檎にオレンジ、レモン、イチジク、サクランボ。桃やブルーベリーもお菓子作りには欠かせない。
(やっぱり、最初に育てるのはダンジョン産の方がいいかな)
なんてシルヴィが思ったのは、ダンジョンから取ってきた種や苗から育った植物は、丈夫で育てやすく栄養価が高いという理由からだ。
それなら量産すればよさそうなものだが、何が問題なのか、地上で育てられたダンジョン産の植物は、次代につなげることができない。
一代限りなので、またダンジョンに取りにいかないといけないのだ。ダンジョン産の作物を次代に繋げる研究をしている人もいるが、今のところ成功例はない。
(こんなシステム、誰が作ったのかしらね。開発チームということじゃなく)
気にはなるが、この世界に生まれてしまった以上それはそれ、これはこれだ。
シルヴィは、自分の理想とするスローライフを満喫するだけ。
これで水と土は確保できた。
「買い物に行って、調味料とか揃えて……あとは、キッチンのカーテンをかけ替えたいな。あ、冒険者ギルドに引っ越し完了の報告もしておかないと」
シルヴィ・リーニが公爵令嬢シルヴィアーナ・メルコリーニであるということは、町の人は知らないが、冒険者を引退した後、ここでのんびり過ごすという話もちゃんと皆に話してある。
「よし、掃除をしたら町に行くか!」
両手をぱちりと打ち合わせて、自分に気合を一つ。公爵家の娘としての義務はしばし放置。
これからは、自分の好きなように生きていくのだ。
(お妃教育大変だったしね……)
王妃直々のお妃教育も大変だった。公爵家の娘なので、ある程度は事前に父から叩き込まれていたが、母は貴族の出ではない。
そのため、貴族の娘として必要なあれやこれやはすべて王妃が教えてくれた。
クリストファーがシルヴィを糾弾した場ではおろおろとうろたえ、挙句の果てに失神していた人ではあるが、あれはクリストファーの行動があまりにも愚かで動揺していたのだろう、たぶん。
あれでも平時には落ち着いて行動できるのである。
(食材は、家から持ってきたけど、調味料は足りないわよねぇ……)
当座の食料は昨日実家から持ち出したが、足りない調味料もあるし、街の様子も見たい。
掃除をしたら町に出かけよう。アツアツの屋台のホットドッグが食べたい気分だ。
そうと決まれば、あとはやるべきことをすませるだけ。といっても、一瞬なのであるが。
清掃魔術も身に着けているので、掃除も一瞬ですませることができるが、今回はあえて自分の手を動かす。
自分の手を動かすことで、室内の点検も兼ねているのだ。この農場を買い取った時に、一度全部点検しているが念のためである。
だが、掃除を終えて町に出ようとしたところで、家の扉が叩かれた。
「シルヴィアーナ・メルコリーニ」
扉を開いた先にいたのは、昨日まで未来の義弟となるはずだった男性だった。
わかりやすくいえば、元婚約者、クリストファー王太子の弟、第二王子のエドガーである。
シルヴィは黙ってそのまま扉を閉じた。
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