戦闘準備、完了!

 結局、新天地に旅立ったシルヴィは、その日のうちに公爵家に連れ戻されることとなった。

 大騒ぎとなった卒業式の翌日。

 シルヴィは公爵家の自室で、侍女達にドレスを着せ付けられていた。身支度に人の手を借りるのは、日常なので慣れっこであるけれど、鏡を見ながらつぶやく。


「とんだ茶番よね」


 婚約破棄も茶番だし、それにともなう後始末も茶番だ。ついでに、敷地内の点検をすませただけで連れ戻された"スローライフのスタート"も茶番と言えば茶番かもしれない。


「――まあ、戦闘着と思えばちょうどいいわよね。このドレスも」


 侍女達総出で着せ付けられたのは、ド派手な深紅のドレスだった。

胸元は大きく開き、シルヴィのスタイルの良さを際立たせている。

 胸から腰にかけてのラインはすっきりとしていて、腰はきゅっと細い。悪役令嬢という設定柄、シルヴィはなかなかのスタイルの持ち主なのだ。

 裾に金糸で刺繍を施したスカートは、まさしく女王の風格。黒髪は、戦闘スタイルの縦ロール。上半分だけを後頭部でまとめ、ドレスと同じ赤いリボンを飾る。

 最後に、レースの扇を持てば戦闘準備の完成だ。靴の踵は高く細く、シルヴィのスタイルの良さを際立たせている。ついでに言えば、ピンヒールはけっこうな凶器でもある。


「はい、今日もとてもお美しいですよ」


 茶番という言葉には触れず、シルヴィの支度にかかっていた侍女のうち、一番年上の者がにっこりと微笑んだ。


「ありがとう。それでは行ってくるわ」


 部屋を出たシルヴィが優雅な螺旋階段を下りていくと、父がすでに待ち構えていた。

 四十代も後半だが、母ほどではないにしても実年齢より若く見える。父もまたエイディーネ学園の卒業生であり、なかなか優秀な成績で卒業したという話だ。

 父は、黒い正装を身に着け、登城するのにふさわしい身なりを整えていた。

 その側に従う母も、シルヴィのところに押しかけてきた時とは違い、青い清楚なドレスを身に着けている。ド派手な赤の娘とは対照的な雰囲気だ。


「お待たせしました、お父様、お母様」

「何、すぐに戻ってくることになるとは思っていたよ」

「早すぎますわ、お父様。せっかくのんびりする予定でしたのに」


 あくまでも貴族令嬢らしいふるまいは崩さずに、それでも唇を尖らせる。


「すぐにでも決着をつける。あの方のやり方には、我が家もいろいろと思うところがあるからね」

「私としては、シルヴィちゃんがこの家にいてくれた方が嬉しいのだけれど……」

「卒業したら、数年は好きにしていいというお話だったわよ。お母様」

「しかし、殿下があの場で婚約破棄を申し出るとは思わなかったな。しかも、カティア嬢のあやふやな証言だけで」

「殿下はカティア嬢に夢中だもの。しかたないわ」


 しかたのないという言葉のままに、シルヴィは肩をすくめる。

 公爵家も一応、王位継承権は残されているが、現在の国王には、三人の王子がいるので、公爵家に王位が回ってくる可能性は限りなく低い。


「……お前が時水晶ですべての行動を記録すると言い出した時には、何を愚かなことを口にするのだと思ったが……父を許しておくれ」

「いえ、いいのよお父様。本来、学園内は安全でなければならないんだもの。私の用心が過剰と言えば過剰だわ」

「お前の言う通り、役には立ったがね……時水晶はかなり高価な品だ。お前の稼ぎも半分以上そちらに使われただろう。なぜ散財するのかと思っていたよ」

「おかげで、農場の整備にお金が足りなくなったわ」


 シルヴィの手を取り、父はさめざめと涙を流す。見た目はわりとごついくせに涙もろい。

 だが、娘を愛してくれているのはかわりないので、シルヴィはそっとハンカチを差し出すにとどめておいた。


「いえ、本当……時水晶にすべてを記録しておいてよかったわ。今日お渡しするつもりだけれど、殿下の言い分と私の言い分、どちらが正しいのかはすぐに決着がつくでしょう」


 正直に言えば、あの場で時水晶を出してもよかった。そうしなかったのは、シルヴィがあの場ですべてを説明するのは面倒くさいと思ったからだ。

クリストファーの方は婚約破棄する気満々だったし、受け入れればそれですむと思っていた。

だが、こうして身なりを整えて王宮へ行かねばならないとなると、あの場で全部ぶちまけておいた方が楽だったかもしれない。


(……まったく、何のためにダンジョンに潜っているのかわからなかったわよね)


 馬車に乗り込み、王宮を目指しながらシルヴィは遠い目になった。

 時水晶とは、ゲームにおいてはセーブアイテムとして使われていたアイテムだ。ゲーム内では、普通に戦闘していれば、入手はさほど苦労しなかった。

 だが、生まれ変わったこの世界では違い、魔物が落とす魔石――水晶――から魔道具として作らねばならない。


 魔物が倒された時に落とす宝石を、魔石と呼ぶのだが、種類はいろいろだ。ダイヤモンド、ルビー、サファイア、エメラルド等。それらの中に水晶も含まれる。

 鉱山で産出される宝石と違うのは、加工することでエネルギー源としたり、魔道具として使うことができるということだ。


 時水晶は、使用者の周囲の状況を記録することができる。

ただ、時水晶の名が示す通り、無色透明の水晶からしか作ることができず、加工には手間がかかるため、非常に高価な品であった。

 公爵家の令嬢であるシルヴィのお小遣いでも足りず、せっせとダンジョンに潜っていたのは、スローライフを始めるための資金を用意するというだけではなく、時水晶を入手するための費用を作るためといった面もあった。


 王宮に到着するなり、メルコリーニ公爵家の面々は、王家の人々が待ち構えている広間に案内された。

 広間に待っていたのは、王と王妃、そしてクリストファーとその弟であるエドガーだ。 末の王子は今は他国に留学中なので、この場にはいない。帰国後に聖エイディーネ学園に編入することになっている。


 クリストファーとエドガーは、よく似た兄弟だった。顔立ちは似ているのだが、受ける印象はまるで違う。

クリストファーはよく言えば貴公子、悪く言えば軟弱そうな雰囲気だ。それと引き換えエドガーは、武人気質とでもいうべきか、強そうな雰囲気を漂わせている。

 身に着けている品は、上質のものであったけれど、兄ほど身なりにも気を使わないらしい。兄と同じハシバミ色の髪は、手櫛でさっと整えただけのようだ。

シルヴィをにらみつけている彼の目つきは非常に悪いものであるが、事情が事情なのでこれはしかたないだろう。

学園にいる間、友人達にはもっとにこやかに接していたのを知っている。


(……同級生なのに、エドガー殿下とは接点がなかったわよね)


 エドガーはシルヴィと同じ年、クリストファーは二歳年長である。二歳年長なのに学園にいるカティアと接点があったのは、卒業後もカティアに会うために『将来有望な後輩を指導する』という名目でせっせと通っていたからだ。


(自主訓練に来る卒業生もいるというのに、クリストファー殿下はデートのためだったものね)


 そんなことを思いながら、ちらりとクリストファーの方に目を向ける。彼は傲然とこちらを見返してきた。


「シルヴィアーナ・メルコリーニ、参上いたしました」


 父と母が挨拶したあと、シルヴィもその場で頭を垂れる。そんなシルヴィに向かい、クリストファーはふんと鼻を鳴らした。


「今さら、謝罪に来ても遅いんだぞ。お前との婚約は破棄すると決めたのだからな」


 王が口を開くより先に、クリストファーが喧嘩をふっかけてきた。


(……この状況で、よくもまあそんなことを言えるわよね)


 売られた喧嘩は倍額で買うのがシルヴィの信条だ。


「まあ、わたくし、てっきり破談の書類に署名するために呼ばれたと思っておりましたのに。違いますの? 殿下との縁談、喜んでなかったことにさせていただきますと申し上げたでしょうに」


 手にした扇を、ぱちりと開いてまた閉じる。ちらりとクリストファーを見る目は、完全にシルヴィ優位であった。


「な、なっ……」


 何も言えなくなってしまったのか、クリストファーが口をぱくぱくとさせる。シルヴィは、扇の陰で、わざとらしくため息をついた。

 せっかく夢のスローライフ第一歩だったというのに、クリストファーのせいで台無しだ。


「……兄上」


 なだめるようにエドガーがクリストファーの腕に手をかけて引き戻す。それから彼はシルヴィをにらみつけた。


「シルヴィアーナ・メルコリーニ。王家に対する敬意はどうした?」


 その発言にシルヴィはかちんと来た。

 シルヴィと並んでいる父と母も、今の王子達の発言には相当怒りを覚えたらしい。父が拳を握りしめたのが視界の隅に映った。


(――徹底的にお返しはしておかないと)


 戦闘準備、完了。

 シルヴィは広げた扇の陰に顔を隠した。

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