伝説のくそゲーの世界に転生しました

 シルヴィアーナ・メルコリーニ。

 彼女がメルコリーニ公爵家令嬢として生まれたのは十八年前。だが、彼女にはその前、おそらく二十代後半まで生きていた記憶がある。

 大講堂から、転送陣――思った場所に一瞬にして移動することのできる魔術――を使って一気に寮の自室に帰還したシルヴィアーナは、ベッドの下からトランクを引っ張り出した。もう、出ていく支度は完全に終わっている。


「やー、長かったわぁ……本当に、長かったわぁ……私、よく我慢できたわぁ……!」


 聖エイディーネ学園に入学して六年。

 その間、あの王太子とペア扱いされるのは本当に苦痛だった。

 クリストファーと婚約が決まったのは、八歳の時。今から十年前だ。

 王太子の婚約者だからと、常に立ち居振る舞いに注意しなければならず、何かひとつミスをすれば、常に上げ足を取られ続けた。大講堂ではそのあたりの不満が思いきり出ていた気もするがまあいいだろう。


 二年前にクリストファーが卒業したあとも、『王太子殿下の婚約者』として、うかつな行動をとるわけにもいかない。余計な噂にならないよう、男子生徒とは一対一で話すことすらなかった。

 一年前、カティアが編入してきてからは、事態はますます悪化した。

 クリストファーとカティアが顔を合わせたのは、入学式当日のことだ。入学式で、学園生活の基本的な注意事項を伝達するからとカティアも入学式に参加することになっていた。

 カティアの何がクリストファーをそんなに引き付けたのかは不明だが、卒業したあとは学園によりつかなかったクリストファーが、『後輩を指導する』の名目でしょっちゅう学園を訪れるようになったのだから、よほど彼女に惹かれたのだろう。


(……その間、私は放置プレイをくらっていたけどね!)


 カティアが現れて以降、それまではそれなりに礼儀正しくお付き合いしていたクリストファーは、シルヴィアーナのことなど忘れ去ってしまったようだった。

 月に一度のお茶会など忘れ去られたし、王宮に伺候した時すれ違っても、おざなりな挨拶で終了。

 本来シルヴィアーナと過ごすはずの時間をカティアと使っていたのだから、よほどのぼせ上っているのだろう。シルヴィアーナの面目は、丸つぶれである。


(……まさか、『恋して☆ダンジョン』の世界に生まれるとは思ってなかったわよね)


 長年慣れ親しんだ、学園の制服を脱ぎ捨てながら感慨にふける。

『恋して☆ダンジョン』とは、前世のシルヴィアーナも存在くらいは知っていたゲームである。

 人気があったといえばあったかもしれない。

有名だったかと問われれば有名だったかもしれない。


 ――ネタゲームとして。


 ダンジョン踏破型RPGに、学園恋愛シミュレーションゲームを組み合わせるという無茶苦茶ぶりからして謎仕様だ。冒険をさせたいのか恋愛をさせたいのか、ターゲット層すら分からない。

 おそらく、開発チームはやけくそだったのだろうというのがネット上の見解。

 というのも、このゲームのリリース直後、会社が倒産してしまったのである。給料未払いが続く中、やけになった開発チームが、開発力の限界に挑んだのではないかというのがもっぱらの噂だ。



(悪役令嬢に転生した以上、いつかは婚約破棄されるのは確定だったけど、もうちょっと婚約者を尊重してくれてもよかったと思うのよね)


 シルヴィアーナと言えば、いわゆる『悪役令嬢』である。どのルートにも現れ、主人公であるカティアを徹底的にいびる役であった。


 おまけに、メルコリーニ家は、聖エイディーネ学園の乗っ取りを企んだり、裏社会で暗躍していたりと、この家はどこに向かおうとしているのかという謎仕様設定であった。


 一言で言うなら、『恋して☆ダンジョン』はクソゲーなのである。それも伝説級の。


 前世のシルヴィアーナは特にやりこんでいたわけでもなかったが、全キャラルート、一通りクリアしてみた。一番のお気に入りがクリストファーであったのは、消去したい記憶だ。


 そんなシルヴィアーナが覚醒したのは、八歳の誕生日を迎えた当日のことだった。

 前世では日本という国で育ち、ブラック企業に就職したのち、社畜として毎日日付が変わるまできりきり働かされた。


 心の癒しは、ハンドメイドにいそしんだりお菓子を作ったりすること。

わずかな休みの日に、ちまちま針を動かして小物を作ったり、ペンチやニッパーを握って、アクセサリーパーツを組み合わせてアクセサリーを作ったり。出来上がった品は、ハンドメイドの品を扱うサイトで販売していた。

 趣味のお菓子作りにいそしむこともあったし、作り置きの料理を大量に仕込むこともあった。


 だが、仕事はブラック。過労死ぎりぎりのとこで働き続け、たぶん仕事の帰りに事故かなんかで死んだのだろう。

死んでしまったものはしかたがないので、前世のことについてはあまり考えないようにしている。


 ゲームの世界に生まれ変わったことについて、シルヴィアーナは切り替えが早かった。

おそらく、余人が思う以上に切り替えが早かった。

『悪役令嬢に生まれ変わってしまったのはしかたない。よし、それならば、悪役令嬢を引退したあと好きなことをしよう!』

 と、記憶が戻った当日に決意したのだから、なかなかの猛者である。


(在学中に、S級冒険者までクリアしていてよかったわよね。さすがラスボス)


 普通に学生生活を送ってもよかったのだが、シルヴィアーナとしては在学中にできる限り稼いでおきたかった。

 前世では、いつか祖母の残した古民家で、姉とカフェを経営するのが夢だった。

 自分達で育てた野菜で作った料理やお菓子を提供するカフェに、ハンドメイド小物を売るスペースを併設する。


 いつかスローライフを実現することを目標に、社畜生活を送っていたのである。

 記憶の蘇ったシルヴィアーナは、まず、自分の身体を徹底的に確認することにした。


 とある条件を満たすと、シルヴィアーナがラスボスとしてプレイヤーパーティーの前に降臨する展開もある。

 五人パーティーでも苦戦するほど強いらしい――というのは、SNS上に流れてきた画像で知ったこと。


 妙にごつごつした棘が生えていたり、黒くばっさばさな翼を背負ったりしたシルヴィアーナは、まさしくラスボスにふさわしい貫禄だった。


 その分、能力値も高かったのである。


 さすが、人類を引退した女とプレイヤー達をおののかせただけのことはある。

 あまりの派手さにラスボススチルを思い返した瞬間はげんなりしたが、 自分の能力値が高いということが判明したら、あとはそれを強化するだけ。


 幸い、メルコリーニ公爵家は、公爵が優秀な成績で学園を卒業したということもあり、シルヴィアーナの素質に気づいたあとは、公爵自ら訓練してくれた。

 あまりにも訓練が過酷で、何度か死にかけたが、そのたびに引きずり戻されたのは、母親が超有能回復魔術の使い手だったからだ。

 学園に入学するのと同時に、偽名で冒険者としての活動を開始。そして、先ほどの婚約破棄にいたるわけである。


(それにしても、いいタイミングで転送陣を発動できたわよね。昨日のうちに転送陣を描いておいてよかった)


 シルヴィアーナが、大講堂、衆人環視の前から一瞬にして姿を消したのは、転送陣を発動したからだった。

 瞬間的にあらかじめ定めたところに移動することのできる転送陣は、遠方との行き来に非常に効果を発揮する。

 だが、陣を描くのも発動するのも、かなり多量の魔力を必要とするため、使える者はさほど多くない。


「無事に婚約破棄できたおかげで……のんびりスローライフ!」


 実のところ、公爵家の令嬢というのもなかなかブラックである。

 おまけに冒険者としてのシルヴィアーナも有能であったことから、日々の勤務はかなりの長時間にわたっていた。

 だが、それも今日までで終了である。家族には事前に話をしてあるし、このまま出かけてしまって問題ない。


 ――それに、いつ帰ってきても問題ないのである。


 なにせ、転送陣はいくらでも用意することができるのだから。


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