第272話 異変
部室を出て、すぐにうちのクラスの教室に駆け付けると、そこは、上へ下への大騒ぎになっていた。
演劇に関わるメンバーを中心に最後の準備で大忙し。
いろんな指示や怒号が飛び交っていた。
出演者は最後まで台本を
裏方担当も、大道具の大半はもうすでに講堂に運び込んであるんだけど、直前に運ぶ小道具や衣装のチェック、稽古で壊れた箇所の修復なんかでてんてこ舞いだ。
「あっ、小仙波君、来たのね」
教室の真ん中でみんなに指示を送っていた委員長の吉岡さんが、俺に気付いて手招きする。
吉岡さん、制服の袖をまくり上げて、鉢巻き代わりにタオルを頭に絞めていた。
椅子の上に立って、高いところからみんなを見下ろしている。
「良かった。小仙波君が逃げずにここに来たことは、評価します」
吉岡さんが言った。
それは、俺も逃げられるなら逃げたかったけど、ここまで来て逃げるわけにはいかない。
そんなことしたらもう、
それに、俺の中では舞台に立つ覚悟が決まっていた。
どんな結果になろうとも、もう、思いっきりやってみようって気持ちになっている。
半分、
こんなふうに思えるようになったのは、文化祭実行委員として一年活動してきた成果だと思う。
花巻先輩の下でいろんなことを経験するうちに、物事に積極的に取り組むのもいいものだ、って、そんな気持ちになっていた。
この一年で俺も、ちょっとは俺も成長出来たのかもしれない。
「実行委員の仕事は、もういいんだね?」
吉岡さんが厳しい顔で俺に確認した。
「ああ、うん」
花巻先輩から、こっちのことは任せておけって言ってもらった。
「それじゃあ、ここからはうちの舞台に集中してね」
吉岡さんが俺を指さす。
「うん、分かった」
俺が答えると、吉岡さんが親指を立てた。
「さあ、すぐにメイクをしてもらって」
俺はそのままメイク担当の女子に託される。
教室の壁側の席がメイクスペースになっていて、辺り一面に鏡が置いてあった。
そこで、数人の女子が出演者を並べてメイクをしている。
メイクって言っても、俺は他の出演者と違って野獣のメイクだから、顔に毛の束をペタペタと貼り付けられた。
鏡を見てると、顔のほとんどが隠れて、毛むくじゃらになっていく。
鼻も口も全部覆われて動物の意匠になって、長い髭も生やされた。
体の方は、俺の貧弱な体を野獣っぽく見せるために、アメフトの防具みたいな胸当てや肩パットを着せられて、その上からさらに衣装を着る。
足や腕に、ぱんぱんに綿を詰めた。
完成してみると、メイクって言うより、俺が「野獣」の着ぐるみの中に入るって表現した方が近いかもしれない感じになる。
これで俺が舞台に出ていっても、前もって知ってる人以外、俺とは気付かないだろう。
家族や知り合いだって分からないんじゃないだろうか。
それは、良かったと思う反面、ちょっとだけ、悔しい気もした。
「すごい、小仙波君、『野獣』似合ってるよ」
同じようにメイクが終わったヒロイン、ベル役の雨宮さんが俺を見て言う。
雨宮さんは、舞台用に目鼻立ちがはっきりしたメイクをして、ブラウスにスカートっていう、最初のシーンの衣装を着ていた。
ただでさえ目立つ雨宮さんが、付け
「たくましくって、ホントに『野獣』って感じ」
雨宮さんが俺を見ながら、ウンウンと頷く。
雨宮さんはそう言ってくれるけど、中身の俺は「野獣」っていうよりミジンコクラスだ。
「小仙波君、頑張ろうね」
雨宮さんが両手で俺の手を握った。
「……う、うん」
俺は、公演直前だっていうのに裏返った情けない声を出してしまう。
「小仙波……くん……がんば……ろう……」
雨宮さん、そう言ったと思ったら、いきなり、俺に寄りかかってきた。
いや、えっと、こんな大勢の前では、ちょっとマズいんじゃないだろうか。
役作りにしても、こんな所で抱き合うのはまずいと思う。
雨宮さん、役に入りすぎだ。
「がんば……ろう……ねっ……」
雨宮さんが無防備に寄りかかってくるから、俺は抱きかかえて支えた。
雨宮さん、周りの目も気にせずに全体重を俺に掛けてくる。
だから、マズいです、って……
でもあれ?
んっ?
なんか、熱い。
抱きかかえた雨宮さんの体が、びっくりするくらい熱くなっている。
俺の肩にもたれた頭も、腕も、胸も、熱くて赤く火照っていた。
雨宮さん、とんでもない熱を出している。
「雨宮さん! 雨宮さん!」
雨宮さんはぐったりとして、俺にしなだれかかる。
「雨宮さん! 雨宮さん!」
異変に気づいて、クラスのみんなが俺と雨宮さんの周りに集まってきた。
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