第259話 魔法

 朝ご飯を食べた後、早朝の街を文香に乗って飛ばした。

 我が校にライブをしに来てくれるアイドルの佐橋杏奈ちゃんを迎えに行く。


 休日で早朝にも関わらず、道々、人通りが多かった。

 これから文化祭に向かおうとする人とか、文化祭期間中に商店街で行われるセール目当ての人とかが行き交っている。

 朝からみんな楽しそうだった。

 こんなざわざわした雰囲気が嫌いではない。


 まあ、文化祭実行委員になるまでは、俺はそんな街の雰囲気を嫌って、背を向けてたわけだけど。


 エアコンが効いた文香の中は快適だった。

 もう乗り慣れている、この文香の車長席。

 初めて乗ったとき耳を塞いだくらいの走行音が、今はもう気にならなくなっていた。

 蝉の声がうるさくないのと一緒で、もう、騒音には聞こえない。

 目の前のモニターがぶれるくらいの大きな振動も、マッサージみたいで心地良かった。

 ここに座ってオイルの匂いを嗅ぐと、すごく安心する。

 文香の中は、何があっても守られるっていう絶対的な安心感があった。


「初めての文化祭、楽しい?」

 走りながら俺は文香に訊く。


「うん! すっごく楽しい」

 文香が弾んだ声で答えた。

 あまりに無邪気に言うから、思わず吹き出してしまう。


「冬麻君、演劇、がんばってね」

「ああ、うん」

 それを考えると、頭が痛い。


「来年は、文香も何か出演する方で参加できるといいね」

 伊織さんみたいにライブをするとか、まあ、花巻先輩みたいにミスコン……ってことはないかもしれないけど。


「今年の文化祭は今日で終わっちゃうけど、様子が分かったから来年はもっと楽しめるよ。来年は俺達も三年になるから、より積極的に運営に関わっていかないといけないと思う」


「うん、そうだね。来年も楽しみだね」

 文香が言う。

 なんか、そう言った時の文香は、トーンが一段落ちた気がした。



 そのまま街を抜けて、杏奈ちゃんの車が降りる高速道路のインターの所まで迎えに行くはずだったんだけど、インターに続く道で、なぜか渋滞が始まっていた。

 進むにつれ、どんどんそれが酷くなっていく。

 最後には、一メートル進むのに十分くらいかかるようになった。


 道路の両側に車が駐車してあって道路を塞いでいる。

 酷い所になると、二重に駐車してあったりして、完全に通行を妨害していた。

 休日で、なおかつ早朝だから、普段、ここがこんなに渋滞することはない。


 全国から集まって来た杏奈ちゃんのファンのうち、マナーが悪い人達がインターの出待ちをしてるんだと思う。

 杏奈ちゃんの人気がすごいのは分かってたけど、まさか、ここまでとは考えてなかった。


「冬麻君、撃っていい?」

 文香が訊く。

 すると、俺のすぐ脇にある自動装填装置が動いて、砲身に弾が込められる。


「ダメ! 絶対にダメ!」

 そんなことしたら文化祭が中止になるのはもちろん、それどころじゃなくて、月島さんが責任取らされるだろうし、そうなると文香の開発も止まってしまう。

 学校にも通えなくなる。


 まあ、気持ちは解らないでもないけど。


「じゃあ、踏みつぶしてってもいい?」

 文香が重ねて訊いた。

 文香なら、この渋滞を踏み潰しながらインターまで辿り着ける。


「もっとダメだから!」

 なんか文香、過激になってる気がする。

 これは、周囲の女子達の影響だと思う。

 文香の周囲にいる女子達の顔を思い浮かべれば、さもありないって感じだ。


 とにかく、このままだと身動きとれない。


「とりあえず、『部室』に連絡を入れよう」

 ここは本部に頼んで指示を仰ごうと思った。

 月島さんに頼んで自衛隊のヘリを出してもらうとか、警察に動いてもらうとか、向こうで何かしらのアイディアを出してくれると思う。



「なんだ、どうしたのだ?」

 文香がかけた電話には花巻先輩が出た。

 俺が電話口で事情を説明する。


「なるほど、よし分かった。こちらで対策をしよう」

 先輩が自信たっぷりに言った。

 こういうトラブルに対応する能力は、花巻先輩の右に出る者はいない。


「少しそこで待っていたまえ」

 先輩はそう言うと、電話の向こうで二言三言指示を出した。


 やっぱり、自衛隊にヘリを頼むとか、警察に頼んで交通整理してもらうとかするんだろうか?


 そんなふうに考えて文香の中で待ってたら、すぐに渋滞の車が少し動き始めた。

 路側帯に停まっていた車が、徐々に、目に見えて減っていく。


 すると、あれほどいた車が十五分もしないうちに一台もいなくなって、最後には杏奈ちゃんが乗っている黒塗りのワゴンだけが取り残された。


 道は、いつもの休日の早朝と同じでガラガラだ。



 花巻先輩、一体、どんな魔法を使ったんだろう?

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