第258話 紳士協定

 この、がたついた障子一枚開ければ、そこには天国が待っている。


 この障子一枚挟んだ向こうでは、花巻先輩に伊織さん、今日子、南牟礼さん、坂村さん、叶さん、そして月島さんと篠岡さんっていう、これだけの女子が寝ているのだ。

 部屋いっぱいに敷いた布団の上で、みんなが思い思いに雑魚寝をしている。


 この障子を開けて中に飛び込めば、そこは女子達の肉布団になっている。

 つまり、天国になっている。


 だけど、飛び込んだらもちろん、俺の人生はそこで終わる。

 比喩的な意味じゃなくて、今日子あたりにぶっ飛ばされて、ホントに人生を終えてしまうかもしれない。


 部屋から追い出されて縁側に布団を敷いて寝ていた俺は、障子に手を掛けてそんなことを考えている。

 こんなふうに一晩中、悶々もんもんとしていて、ついに夜が明けてしまった。



 辺りはすっかり明るくなっていて、校庭の木々のせみも騒々しく鳴き始めている。

 文化祭二日目も快晴で、今日も暑くなりそうだった。



 それにしても、なぜ、六角屋は許されたんだろう。

 縁側に追い出されたのは俺だけで、六角屋はこの障子の向こうで女子達といっしょに一晩寝ていた。

 一人、幸せを享受きょうじゅしていた。

 あいつだけハーレム状態だ。


 確かに俺は女子の気持ちが分からない奴だけど、こんな差別は酷いと思う。

 俺だけ追い出されたのはあんまりだと思う。


 こうなったら、青春の思い出に開けてしまおうか。

 そこで短い半生が終わったとしても、それでいいじゃないか。

 この先の人生、これ以上の幸せがあるとも思えない。

 なんて、俺はそんな刹那せつな的な気持ちで障子に手を掛けている。

 今まさに指に力を込めて、その扉を開けようとしていた。



 ところが。



「冬麻君」

 そんな俺の背後から、声を掛けてくる人がいた。

 誰あろう、縁側と網戸一枚挟んだ中庭にいる文香だ。


「冬麻君、みんな寝てるんだから、起こしたらダメだよ」

 文香がゆっくりとした口調で俺をさとすように言う。


「女の子ばかりの部屋に忍び込むなんて、ダメなんだよ」

 マジ気味なトーンで文香に言われた。


 それで俺は目が覚める。

 障子に掛けてた手を放した。


 ある意味、文香が俺を死のふちから蘇らせてくれたのだ。

 このまま開けてたら大変なことになるところだった。


 っていうか、声を掛けながら120ミリ滑腔砲かっこうほうの砲口を向けられてれば、もう、文香に従うしかないんだけど。

 砲口が俺の頭にぴったりと標準を合わせてたら、逆らいようがなかったんだけど。



 早朝からそんなことしてたら、目の前の障子がガラッと向こうから開いた。


「やあ、小仙波、おはよう!」

 開けたのは花巻先輩だった。

 灰色のスエットの上下の先輩が立っている(残念ながらネグリジェじゃなかった)。

 先輩、昨晩、鱈腹たらふく飲んだのに、二日酔いの「ふ」の字も見せてなかった。

 朝から目がぱっちりと開いていて、声もはっきりしている。


「早起きとは感心だな」

 先輩が俺に微笑んだ。


「い、いえ…………」


 言えない。

 今まさに寝ている女子の部屋に飛び込もうとして起きてたなんて、言えない。


「一人だけ縁側に追いやってすまなかったな」


「そうですよ。六角屋はいいのに、俺だけ追い出すなんて酷いです」

 俺はねてるみたいに言った。


「まあ、そういうな」

 先輩はそう言って盛大に笑う。


「これは我らの紳士協定なのだ」


「はい?」


「考えてもみろ、小仙波が同じ部屋で寝ていたら、誰もが君の横で寝たいと狙って、夜の間、ずっとその場所の取り合いになること必至だからな。そんなことになったら、皆、寝不足になってしまう。今日も朝から忙しいのだから、寝不足なんかになったら大変だろう? だから、仕方なくその元凶である小仙波を追い出したのだ」

 先輩が言う。


「君を追い出したのは、我らが暗黙のうちに結んだ紳士協定だったのだ」

 そう言って、優しい目で俺を見る花巻先輩。


「えっと、意味が分かりませんけど…………」

 女子達が俺を取り合うとか、先輩、何を言ってるんだろう?

 花巻先輩は、普段から変なことばっかり言うけれど、今のは飛ばしすぎだと思う。

 今までで一番おかしな発言だと思う。


「さあ、それでは朝食を食べたら文香君と共に佐橋さんを迎えに行ってくれ」

 先輩はそう言って大きく伸びをした。


「佐橋杏奈ちゃんを迎えに、ですか?」


「うむ、今日は全国から人が集まってくる。安全の為にも彼女の車に護衛が必要だろう。文香君くらいそれに相応しい人物はいないからな」

 先輩が文香に向けて親指を立てた。


「はい! お任せください。ミサイルなら五発まで同時に打ち落とせます」

 文香が言う。

 いや、いくらなんでもそんなことしてくる人はいないと思う。


 とにかく、文化祭二日目は、こんなふうに始まった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る