第221話 説得
今日子がステージに立った。
羽織っていたパーカーを脱いで、アイスブルーのワンピース姿になっている今日子。
ステージに立った今日子に、もう、迷いはなかった。
すっと背筋が伸びて胸を張り、堂々としている。
今日子は、杏奈ちゃんに似てるだけじゃなくて、そのオーラまで身にまとったみたいだった。
グラウンドの隅にいた文香が、今日子に照明の代わりに砲塔上のライトを当てる。
「えっ! 杏奈ちゃん?」
グラウンドに集まったファンの中からそんな声が飛んだ。
それを皮切りに、周囲にざわめきが走る。
夜のグラウンドが、上へ下への大騒ぎになるのには数秒もかからなかった。
一千人規模の群衆がステージに押し寄せて、今日子を見上げる。
そこで大歓声が上がった。
逆に、ぽかんと口を開けたまま、目の前の光景が信じられないって感じで固まってる人もいる。
自分達が愛してやまない
「みなさん」
ざわめきがグラウンドをぐるっと一周したあたりで、今日子が切り出した。
その声は、まさしくテレビとかで聞く佐橋杏奈ちゃんの声そのものだ。
今更ながら、このボイスチェンジャーを作った坂村さんの技術に驚く(引き替えに、俺は坂村さんに一日自由にされちゃうわけだけど)。
「みなさん、聞いてください」
今日子が続けた。
今日子の言葉で、ざわめきがピタッと収まる。
あれほど騒いでいた群衆が水を打ったように静かになった。
ホントに、炭酸の泡が弾ける音が聞こえるんじゃないかってくらい静かになる。
「みなさん。驚かせてごめんなさい。私は、この学校の文化祭で行うライブのリハーサルのために、ここに来ていました」
今日子が、落ち着いた声でゆっくりと言った。
集まったファンは自然とその声に聞き入る。
今のところ、誰もそれが偽物の杏奈ちゃんだって疑ってないみたいだ。
「そのリハーサルの最中に、皆さんがこうして学校の周りに並んでるのを知りました。大騒ぎになってるのを聞きました。ですがお願いします。どうか、当日まで並ばないでください」
今日子が、ちょっとだけ表情を曇らせた。
それだけで見てるこっちの心がキュンとなる。
杏奈ちゃんのファンじゃない俺がキュンとしてるんだから、ファンはもう、心臓爆発するくらいキュンとしてるのかもしれない。
今日子は、ちゃんと杏奈ちゃんになりきる演技をしている。
「こうして、数日前から私のライブのために並んでくださるのは、本当に嬉しいです。熱心に応援してくださる皆さんには、感謝の言葉もありません。だけど、こうして並んでると、この学校の方々や、周辺に住む皆さんに迷惑がかかってしまいます。ここの文化祭は、本来この学校の生徒さんのための行事で、この街の人達が楽しみにしているお祭りでもあります。それが、皆さんが並ぶことで騒ぎになってしまうと、佐橋杏奈なんて呼ばなければよかったってことになってしまいます。このままだと、当日私のステージができなくなってしまうかもしれません」
そこで計算したみたいに今日子の目が
いくらなんでも、演技上手すぎだ。
女子って、みんなこんな感じで自然に演技が出来てしまうんだろうか?
それとも、今日子が特別なのか。
「皆さん、お願いです。解散してください。そしてそれを、他のファンのみなさんにも伝えてください。当日まで並ぶようなことはしないでって、伝えてください。どうか、よろしくお願いします」
今日子がそこで頭を下げた。
腰を90度以上に曲げて、深々と頭を下げる。
すると、
「分かったよ!」
って、どこからともなく声が上がった。
「頭を上げて!」
「すぐ帰るよ!」
「ごめん!」
ファンから口々にそんな声が上がる。
そして、今日子に向けて温かい拍手が送られた。
ここまできても、まだファンの誰も、それが偽物の杏奈ちゃんだって分からないようだった。
「ありがとう。本当にごめんなさい。みんな、夜遅いけど、気を付けて帰ってください。文化祭当日に会いましょう!」
顔をあげた今日子がそう言って手を振る。
まもなくして、グラウンドの隅の方から徐々に人が引き始めた。
みんな無言で整然とグラウンドから出ていく。
狭くなった校門のところでも、押し合いへし合いの混乱もなくスムーズだった。
あれだけいた人が、潮が引くみたいにいなくなる。
なんだか、よくできたタイムラプスの映像をみてるみたいだった。
これが佐橋杏奈ちゃんの力なんだろうか。
日本一のアイドルには、日本一のファンがついている。
杏奈ちゃんのファン、すごく調教…………いや、訓練されていた。
文香が照明代わりのライトを消す。
今日子がステージ裏に戻ってきた。
「うむ、でかしたぞ源!」
花巻先輩が今日子の肩をポンと叩く。
「ありがとうございます」
今日子はそう言うと、花巻先輩の方へ倒れかかった。
先輩がそれを受け止めて支える。
今日子、ステージ上では堂々としてたように見えて、かなり気を張ってたらしい。
それから解放されて急に力が抜けたのだ。
「この度胸なら、文化祭の司会も心配ないな」
先輩が今日子を抱き留めたまま、その背中をさすった。
「はい、頑張ります」
緊張から解放された今日子が、自然に頬を緩める。
「それにしても、先輩、本当に杏奈ちゃんに似てますね」
南牟礼さんが改めて言った。
「本人の代わりに、文化祭のステージに立ってもいいくらいじゃない?」
伊織さんが言う。
「杏奈ちゃんの事務所の人の目に触れたら、スカウトされちゃかも」
六角屋が言った。
「そうかな?」
今日子、まんざらでもないみたいだ。
なんだか、今日子がもてはやされて悔しい気がしないでもない。
俺は、今日子と小さい頃からずっと一緒にいて、それなのにその可愛さに気付かなかった馬鹿、みたいじゃないか。
俺は人を見る目がない間抜けみたいだ。
「俺は、いつもの今日子の方がいいと思うけど」
だから俺は言った。
「えっ?」
今日子が、きょとんとした顔をする。
「確かに杏奈ちゃんには似てる、完璧に似てるけど、いつもの今日子の方が今日子らしいし、可愛いと思う」
俺は続けた。
言ってから、マズいと思った。
今日子に向けて、可愛いとか、自然に口にしてしまっている。
「か、かか、可愛いとかっ!」
今日子が顔を真っ赤にした。
夜の暗闇の中でも、それが分かるくらい。
「ばーか!」
今日子が言う。
「もう、馬鹿馬鹿!」
そう言いながら、俺の腹を殴る今日子。
殴られながら、やっぱりこういう今日子の方がいいって思った。
今日子に殴られる俺を見ながら、六角屋が複雑な顔をしている。
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