第198話 居眠り

「こら冬麻、起きなさい!」

 頭の上から今日子の声がした。


 体を起こすと、今日子がいる。

 腕組みした今日子が俺を見下ろして眉を寄せていた。


「ああ、授業終わったんだ……」

 授業中居眠りしてて、そのまま授業が終わったらしい。

 昨晩の停電騒ぎでずっと起きてて、その分の眠気がどっと襲ってきて耐えられなかったのだ。


 机に突っ伏して寝てたから、枕にしてた手がしびれて感覚がなくなっている。


「授業終わったんだ…………じゃ、ないわよ!」

 今日子が俺を睨み付けた。


「えっ?」


「あんた、一時間目から五時間目まで、ずっと寝てたんだよ」


「は?」


「もう帰りのホームルームも終わったの!」


「えええっ!」


 びっくりして立ち上がったら、机の引き出しのところで思いっきり膝を打ってしまった。


 そういえば、窓の外の風景がおかしい。

 空に見える太陽が西に傾こうとしてて、影が俺の後ろに向かって伸びていた。

 明らかに、今は午後だ。


 今日、朝ごはんのあと部室からそのままこの教室に登校して、一時間目の授業が始まったところまでは覚えている。

 でも、それ以降の記憶がなくて、気付いたらこうして今日子に起こされていた。

 当然、一時間目が終わって起こされたと思ったのだ。


 それがまさか、朝からずっと寝てたとか…………


「まったく、授業中どころかお弁当の時間もずっと寝てるんだから。各教科の先生達も苦笑いしてたよ。文香ちゃんが起こそうとしたんだけど、先生達、寝かせておいてあげろって、そのままにしておいてくれたんだよ」

 今日子が言って、隣りにいる文香が砲身を上下に振って頷いた。


「ああ、そうなんだ……」


 この文化祭準備期間は、どの先生も生徒に甘いから良かった。

 普段だったらこっぴどく叱られてたところだ。

 普段から授業中居眠りをする俺だけど、ここまでのは始めてだった。

 いくら疲れてるとはいえ、自分でもひどいと思う。



「もう、口元によだれついてるよ」

 今日子がそう言って俺の口元を自分のハンカチでぬぐう。

 こちょこちょされて、口の周りがくすぐったかった。

 今日子のハンカチからはライムみたいな柑橘系の香りがする。


「ほら、おでこに腕のあとついてるし、前髪にくせついちゃってるから」

 今日子はお節介にも俺の髪を手櫛で直そうとした。


「自分でやるから」

 俺はそう言って今日子の手を取る。


「いいから、任せない」

 今日子が反対に俺の手を取った。


 そんなやりとりを今日子としてたら、


「おっ、また夫婦喧嘩か?」

 クラスメイトの一人に茶化される。


 一瞬で頭の天辺から爪先まで真っ赤になった。


「そんなんじゃないって!」

「そんなんじゃないって!」


 俺と今日子の声がぴったり揃ってしまう。

 それで周りにいたクラスメイトや文香に余計に笑われた。


 だけど、夫婦って……


「ほら、あんたがしっかりしないから、恥かいたじゃない」

 今日子が口を尖らせる。


「ごめん」


 俺は思わず謝ってしまった。

 今日子に言い返そうとしたんだけど、その顔を見てたら言葉がしぼんだ。


 この前、六角屋が今日子に告白するって言ったこと、こんなときに急に思い出してしまった。


 もし、六角屋から告白されたとして、今日子はそれを受けるんだろうか?

 そんなことを考えてしまったのだ。


「分かればよろしい」

 口喧嘩で勝って得意げな今日子。


 俺は、このまま何もしないで六角屋が今日子に告白するのを黙って見てるべきなんだろうか。

 そんなことも考えた。



「さあ、行くよ。部室でみんな待ってるし」

 今日子が俺の手を引く。


「ああ、うん」

 俺は今日子に引っ張られるようにして教室を出た。


 こんなふうに今日子に手を引かれるのは、子供のときからまったく変わっていない。



 今日子と文香と連れ立って部室に向かった。

 校内はいよいよ賑やかになっている。

 各教室は出店や出展の装飾がほとんど終わって目に鮮やかだし、校門から校舎までの通路には出店の屋台が連なって、夏祭りの参道みたいだ。

 聞こえてくるバントの演奏は数日前より上手く聞こえるし、合唱の声も揃っている。

 廊下にフリフリ衣装のメイドさんが歩いてるかと思えば、腹から臓物が飛び出したゾンビとすれ違った。


「なんか、非日常の異世界に来たみたいだね」

 そんな光景を見ながら文香が言う。


 いや、戦車の文香と一緒にこうして歩いてること自体、非日常なんだけど。



 そうやって並んで歩いてたら、


「あの、文化祭の実行委員長さんがいるところって、どこですか?」

 紺のパーカーを着たミニスカートの女子に話し掛けられた。


 その女子は、パーカーのフードを深く被って、顔を隠すようにしている。

 手をパーカーのポケットに突っ込んでうつむき加減だ。

 この暑い時期に、よくこんなパーカー着てられるなって思った。


「ああ、それなら私達も今から行くので、一緒に行きますか?」

 今日子が訊いた。

 その女子はちょうど今日子と同じくらいの背丈で、体型も似ている。


 ところが、フードの女子はそれに答えないで、

「あれ、私がいる」

 そんなふうに言った。


 フードの下からチラッと見えたその顔は、人気絶頂のアイドル、佐橋杏奈ちゃんその人だった。

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