第197話 鬼の霍乱
長い長い夜が明けた。
遠い山々の間から差し込んだ陽光が校舎を照らしていて、ガラス窓の照り返しが眩しい。
昨晩、この一帯に起きた停電は夜明け前に復旧して、もう今は電気が供給されている。
コンビニの看板には明かりがともってるし、信号も動いていて、いつもの朝のように新聞配達のバイクが走り回っていた。
グラウンドの真ん中では燃え尽きたキャンプファイアの
レジャーシートの上でおにぎりや豚汁を食べていた生徒達はもうそこにはいない。
みんな明け方まで作業して、各々の教室や部室に戻って、授業が始まる時間までの短い睡眠を取ってるんだろう。
「どう? 小仙波君、異常はなかった?」
廊下で反対から歩いて来た伊織さんに訊かれた。
「うん、こっちはなにもなかった」
俺は答える。
「そう、それじゃあもう大丈夫かな。そろそろ戻ろうか」
「うん」
伊織さんと肩を並べて廊下を歩いた。
俺達文化祭実行委員会は、手分けして校内の見回りをしている。
停電の混乱でなにかおかしなことがあったら、すぐにそれに対応しないといけないから、チェックしていたのだ。
生徒会の役員でもある伊織さんはその指揮を執っていた。
こういうふうに人の上に立って凜とした表情を見せる伊織さんは、やっぱり素敵だ。
見回りを終えた委員のみんながグラウンドに集まって来る。
今日子に六角屋に南牟礼さん、文香に月島さん。
徹夜してるせいか、みんなの顔に少し疲れが出ている。
表情が見えるわけでもないのに、さっきまでずっと発電を続けていた文香まで、なんだか疲れてるように見えた。
「あれ? 花巻先輩は?」
今日子が訊く。
「えっ?」
そこにいたみんなが、辺りを見回した。
同じように見回りに出ていた花巻先輩の姿がない。
「もう少し待ってみようか」
六角屋が言った。
六角屋が言うとおり少し待ってみたけど、先輩が顔を出すことはなかった。
「スマホ鳴らしてみるね」
今日子が言って、スカートから自分のスマートフォンを取り出す。
だけど、先輩のスマートフォンに電話はかかっても、それが繋がることはなかった。
ただ空しく呼び出し音だけが聞こえる。
なんか、嫌な予感がした。
いつもの、存在感の塊みたいな先輩がこんなふうに急にいなくなると、なにかあったんじゃないかって不安になる。
「みんなで手分けして探しましょう」
月島さんが言って、俺達は校内に散った。
急に、深夜の月島さんとの会話が思い出される。
停電が、近くの変電所へのテロ攻撃で引き起こされたかもしれないっていう月島さんの話。
そうだとしたら、テロリストがこの学校に逃げ込んでいたりしてもおかしくはない。
もしかして、先輩がそれに出くわしたとか。
正義感の強い先輩のことだから、校内に不審者がいたら当然立ち向かうだろう。
そこで先輩の身になにかあったとしたら…………
先輩を探して校内を走り回る俺達の足音が、まだ静かな廊下に響いた。
俺はさっきまでの眠気も忘れて必死に探した。
各教室を回って、校舎を
もしかしたらと思って、男子トイレの中も調べた。
教室では、掃除用具入れやロッカーの中まで調べる。
こんなとこにいるはずもないのに……
散々探し回って、応接室のドアを開けたときだ。
応接室のガラスの
ソファーの上に寝転がっている先輩を見付けた。
先輩がソファーの肘掛けに左頬をつけて横向きになっている。
よかった、急いで顔を近付けてみると、ちゃんと寝息を立てていた。
朝焼けに照らされた
急に力が抜けて、俺は応接室の床にぺたりと座り込んだ。
しばらく寝顔を見てると、先輩がぱちぱちと瞬きする。
「先輩、こんなところで寝てないで、部室の布団で寝ましょう」
俺は床に座ったまま先輩に話しかけた。
「…………ん、ううん」
先輩が悩ましい声を出す。
「ああ、小仙波か……」
そう言いながらソファーに上体を起こす先輩。
「少し休むつもりでここに横になって、どうやらそのまま眠ってしまったらしい」
先輩がそう言って破顔した。
無理もないと思った。
先輩、ただでさえ文化祭の準備の指揮で忙しかったところで、この停電騒ぎだ。
徹夜続きで、ずっと張り詰めてて、ふとした瞬間に眠ってしまったんだろう。
先輩だって一人の人間なのだ。
「小仙波よ、もしかして、そこでしばらくそうして私の寝顔を見ていたのか?」
先輩が訊いた。
「はい、まあ……」
「くっ、なんたる
俺を睨み付けて言う先輩。
「どういう責任の取り方ですか! っていうか、ここのところみんなで部室で雑魚寝してるんだから、先輩の寝顔なんて何度も見てるじゃないですか」
「それは、皆がいる状況だからだろう。このように一対一で顔を近付けて舐め取るような視線で見られたら、もう、私の
「過言です!」
思いっきり突っ込んでしまった。
舐め取るような視線って、俺、そんな嫌らしい目で見てないし!
それにしても、先輩が照れるところ、初めて見た気がする。
頬を赤らめて、ちょっと顎を引いて上目遣いになってる先輩。
こんなこと言ったら怒られるから言わないけど、花巻先輩のこと可愛いとか思ってしまった。
「ともかく、一度部室に戻りましょう。そこで寝てください」
「ああ、分かった」
そう言って立ち上がろうとした先輩が、ちょっとふらついた。
寝起きだし、疲れが溜まっていて足取りがおぼつかなかったんだと思う。
「先輩、俺がおんぶしましょうか?」
「おんぶか、うーむ」
先輩が眉を寄せた。
「おんぶして運んでもらってもいいのだが、それでは私の胸の立派なものが、小仙波の背中に当たるだろう。いや、当たるどころか、押しつけられるだろう。押しつぶされるだろう。その感触に小仙波は耐えられるだろうか?」
あの先輩、顔が真っ赤になるようなこと言わないでください……
「それじゃあ、肩を貸しますか?」
俺は訊く。
「いや、それよりいい運搬方法があるだろう」
「えっ?」
「お姫様抱っこだ」
ああ…………
お姫様抱っこって、俺にとっては伝説級の女性の運搬方法、あの、お姫様抱っこのことか。
「小仙波の腕力ではお姫様抱っこは無理であるか?」
「いえ!」
たとえ腕がもげようとも、全力でお姫様抱っこします!
「うむ、よろしい」
先輩がそう言って俺に体を預ける。
俺が先輩の膝の裏と背中に手を差し込むと、先輩が俺の首に手を回してきた。
想像してたのより軽い。
持ち上げてみてそう思った。
こんな軽い体の、どこにあんなパワーが詰まってるのが不思議だった。
「小仙波、私をお姫様抱っこしたのは、君が初めてだぞ」
先輩が言う。
花巻先輩を初めてお姫様抱っこした男、っていう称号が得られて、なんだか誇らしい。
っていうか、おんぶ程じゃないにしても、先輩の大きなものが俺の胸におしつけられてるんですが…………
「うむ。お姫様抱っこというのは、中々、よいものであるな」
歩きながら、先輩が機嫌良さそうにふんふんと鼻歌交じりに言う。
「小仙波よ、これから時々こうして君にお姫様抱っこさせようと思うから、覚悟しておくように」
先輩は俺の目を見てそんなことを言った。
「はい」
そういうことなら、よろこんで。
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