第182話 デリカシー

 文香がいなくなって一週間がたった。

 相変わらず、電話は通じないしメールやSNSに反応はない。

 もしかしたらと思って「クラリス・ワールドオンライン」にログインしてみたけど、そこに文香が入ったり、なにか痕跡こんせきを残してることもなかった。


 あれ以来、文香とも月島さんとも、まったく連絡がとれない。



 文香がいなくなって、教室はぽっかりと穴が開いたような感覚だった。

 口にはしないけど、クラスメートの誰もがいつも文香がいた窓側の席を見て、しばし、何かを考えている。

 あれだけ大きな車体で、教室で圧倒的な存在感を持っていた文香なんだから当たり前なんだけど、その車体以上に文香の存在が大きかったことに、今更ながら気付いた。

 いつも休み時間は数人が入れ替わり立ち替わり文香に寄り添ってたし、勉強を教えてもらったり、砲身にぶら下がって遊んだりしてた。


 文香は、いつのまにかうちのクラスの中で頼れるお姉さん、って感じになっていたのだ。



 教室だけじゃなくて、放課後の部室でもそれは同じだった。


 委員のみんなも、文化祭の準備をしながら、ふと、いつも文香がいた中庭に目を向けてしまう。

 分からないことがあると、ついそっちを向いて訊こうとした。

 ことあるごとに文香の車体にほっぺたすりすりしてた機械フェチの伊織さんも、なんだか寂しそうだ。


 俺もみんなも、その分、委員会の仕事に夢中になって、余計なことを考えないようにしてるようだった。

 居間のちゃぶ台で顔を付き合わせて、黙々と作業をする。



 っていうか…………


「あの、皆さん。すみませんが、いい加減、ブラジャーとパンツを堂々と干すのはやめてくれませんか? ここに男子もいるんですよ」

 俺は前から気になってたことを抗議した。


 俺の目の前には、女子達のブラジャーとパンツがぶら下がっている。

 洗濯ばさみで洗濯物ハンガーに付けられて、たわわに実った葡萄ぶどうみたいにぶら下がっていた。


 部室に泊まることが多くなってここで洗濯をするから、居間にはTシャツやタオル、靴下に混じって、女子達のパンツやブラジャーがそのまま干してあるのだ。

 以前からここに花巻先輩のパンツやブラジャーが干してあることはあったけど、今は伊織さんの分も含めて委員の女子全員分あるのだ(ちなみに今日の伊織さんのブラジャーとパンツの色はミントグリーン)。


「確かに、ちょっと気になる感じかな」

 六角屋も苦笑いしながら言った。


「だって、最近雨が多くて外に干すわけにはいかないんだもん。仕方ないじゃない」

 今日子が言って口を尖らせる。


 今日子が言うとおり、梅雨時に入って雨が多いのはあった。

 今日もしとしと雨が降ってて、まとわりつくような湿気が鬱陶うっとうしいし。


「っていうか、あんたと六角屋君のパンツだって干してあるじゃない。男女平等でしょ? 女子だけ干しちゃダメなんて不公平だよ」

 今日子が俺を指差して言い返してくる。


「俺達のパンツはちゃんとTシャツとかタオルの間に隠して、見えないように工夫してます」

 男子はちゃんと干すとき女子の目に触れないよう、気を遣っているのだ。


「いいわよ別に、そんなこと気を遣わないで堂々と干したって」


「まったく、デリカシーがないっていうか……」

 俺は大袈裟に肩をすくめて見せる。


 今日子は昔からこうだった。

 細かいことを気にしないし、思ったことをずけずけと言う。

 別に、その言葉の裏に悪意があるわけじゃないからいいんだけど。


「っていうかあんた、私達女子の下着を性的な目で見てるの?」

 今日子がジト目で訊く。


「いや、それは…………」

 今日子だけじゃなくて、伊織さんと南牟礼さんもジト目で俺を見ていた。


「それは、ちょっとは性的な目で見ちゃうかもしれないけど、でも仕方ないじゃないか! 俺達は思春期の男子なんだし!」

 俺は反論した。

 すると、六角屋が俺まで巻き込むな、みたいな顔をしてそっぽを向いた。


 おい、裏切るんじゃない。


「私は、あんたのパンツなんか見たって1㎜も心が動かないけどね」

 今日子がそう言って舌を出した。


「セクシーなパンツなら分かりますけど、六角屋先輩も小仙波先輩も普通のボクサーパンツですもんね」

 南牟礼さんが言う。


 南牟礼さん、ちゃんと見てるじゃないか…………


「私は感情が動くぞ。大いに動く! 六角屋のパンツも小仙波のパンツも、常にエロ目線で見ている! 舐めるようなねっとりとした視線を送っている」

 花巻先輩が言った。


 先輩が噛んでくると、話がややこしくなる。


 それにしてもなんて不毛な論議で時間を潰してるんだ…………

 この世界には、他に解決しないといけない問題が山積さんせきしているというのに。


「小仙波君は優しいね。文香ちゃんがいなくなって、みんな、なんとなく沈んでたから、わざとそんな話題を振って盛り上げてくれようとしたんでしょ?」

 伊織さんが言った。

 伊織さん、俺に梅雨の雨雲を吹っ飛ばすような笑顔をくれる。


「ま、まあ。そんなところです」

 ホントは、ただ気になってたから訊いただけなんだけど。


「アホらし」

 今日子から完全にさげすんだ目で見られた。



「…………」


 俺達が馬鹿話してるところで、最初に異変に気付いたのは、ちゃぶ台の上のボールペンだった。

 連続的な細かい振動で揺れたボールペンが、コロコロ転がって畳の上に落ちる。

 同時に、遠くから聞き慣れた低い音が聞こえてきた。

 音に合わせて古い部室の建物がミシミシ揺れる。


 間違いない。


 これは文香のV8エンジンの音だ。

 それが真っ直ぐこっちに近付いてくる。


 なにも言わずにみんなが外に出た。

 俺は、靴も履かずに裸足で飛び出してしまう。

 前触れもなく、文香が帰ってきたのだ。


「ただいま」


 するとそこには、変わり果てた姿の文香がいた。

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