第178話 ポカリスエット

 今日の放課後は、委員会のみんなで不動産屋を回った。

 地元の不動産屋が持っている空き地を、文化祭期間中だけ駐車場として借りる交渉をする。


 アイドルの佐橋杏奈ちゃんが来るし、先輩の宣伝のおかげで文化祭の規模が大きくなって、学校の駐車場だけでは来賓らいひんの車さえ到底受け入れきれなくなった。

 文化祭当日、学校の周りに車があふれて渋滞が起きる、なんて事態は絶対に避けたいのだ。


 先輩が顔を繋いでおいてくれたから、交渉はつつがなく進んだ。

 どこも俺達がお願いすると、二つ返事で貸してくれる。

 当日の交通整理を買って出てくれるところもあった。


 目的の台数分以上に駐車場を確保して、俺達は揚々ようようと部室に帰る。



「よし! 今日はみんな帰宅するがよい。久しぶりに帰って、ゆっくりしてきたまえ」

 花巻先輩が言った。

 部室に帰っても日は高い。

 グラウンドでは、まだ運動部が活動していた。


「いいんですか?」

 六角屋が訊く。


「うむ。皆の献身けんしん的な働きで、去年と比べても準備は順調に進んでいる。期日が迫ればまた徹夜作業が続く。今のうちに休んでおくがよかろう」

 先輩が親指を立てた。


「よーし、じゃあ帰ろうーっと」

 今日子が言って大きく伸びをする。


「私も、久しぶりに家族に顔を見せてきます」

 南牟礼さんが言う。


「それなら私は、『午後のお茶会』の練習に出てこようかな」

 伊織さんが言った。

 「午後のお茶会」とは、伊織さんがメインボーカルのデスメタルバンドだ。

 練習もいいけど、伊織さん、くれぐれも喉のケアを怠らないでください。

 デスボイスの出し過ぎで、その美声が枯れてしまったら大変だし。


「あんたはどうするの?」

 今日子に訊かれた。


「うん、演劇の練習に顔を出してくるよ」

 俺は答える。

 うちのクラスの教室では、出演者を中心に残ったメンバーで稽古けいこをしてるはずだ。

 俺は一応主役だけど、委員会の仕事で抜けさせてもらっている。

 だから、その仕事がないなら出ないといけないと思う。


 まあ、俺の演技が大根なのが分かって、台本が大幅に書き換えられ、俺の出番は大分少なくなってるから、帰っていいのかもしれないけど。


「それじゃあ、私も行く」

 文香が言った。

 馬車の役の文香も、歴とした出演者である。



 部室の玄関でみんなと別れて、俺と文香は教室に向かった。


 教室では、メガフォンを持った委員長の吉岡さんのげきが飛んで、熱い稽古の真っ最中だ。

 まだ、二十人くらいのクラスメートが残っていた。


 俺が文香の影に隠れてコソコソ入ろうとしたら、

「ああ、小仙波君来たのね。なら、あなたと雨宮さんのシーンを稽古しましょう」

 吉岡さんに目敏めざとく見付けられて、冷や汗をかく。


 野獣の俺がハンターに撃たれたクライマックスのシーンの稽古をした。

 腹を撃たれて倒れた俺が、ヒロイン、ベル役の雨宮さんに抱きかかえられて、愛を告げるシーンだ。



「まあ! 大変!」

 撃たれて寝転がっていた俺の頭を、雨宮さんが抱えて抱き上げる。


「カット! ほら小仙波君、雨宮さんの目を見る!」

 初っぱなから吉岡さんに注意された。


 ここに来てもまだ、正面から雨宮さんの目を見ることが出来ない。


「小仙波君、肩の力を抜いて」

 頭を抱えられたまま雨宮さんに言われた。

 俺の後頭部が雨宮さんの太股に当たっている。

 バスケット部の雨宮さんの太股は、花巻先輩や伊織さんの太股の感触とは違って、引き締まった感じがした。

 抱えてくれる腕も、伊織さんの手と違って筋肉質だ。


 吉岡さんにどやされながらも、稽古を続けた。


「それじゃあ、五分休憩!」

 二時間経って、漸く吉岡さんから休憩の時間をもらう。

 はっきりいって、委員会で花巻先輩にこき使われてるときより厳しい。



「はい、水分取って」

 教室の隅に俺が一人でいるところへ、雨宮さんがポカリスエットのペットボトルを持ってきてくれた。

 こんなふうに女子にポカリスエットを持ってきてもらえるって、男子が女子にしてもらったらジーンと来ること、二十三位くらいに入るんじゃないんだろうか?


「ありがとう」

 俺は受け取ってキャップを開ける。

 稽古中は気付かなかったけど、喉がカラカラで、飲むと砂に水が染みこむみたいに喉の中に消えていった。


「なんか、意外だな」

 雨宮さんが言う。


「な、なにが?」

 俺は訊き返した。


「うん、小仙波君って、控え目で大人しいのに、女の子の扱い、上手いなって」

 雨宮さんがそう言って微笑んだ。


「上手いって?」


「うん、さっき立ち上がるときスッと手を差し伸べてくれたり、さり気なく肩を貸してくれたり、紳士だなって。その仕草がわざとらしくないし、小仙波君って、ホントは何人も彼女がいる女たらしなんじゃないの?」

 雨宮さんがそう言って微笑む。


 何人も彼女いるどころか、俺、彼女いない歴=年齢を継続中なのに…………


 だけど、思い当たることがないでもなかった。

 幸運なことに、文化祭実行委員会に入ってから、俺は女子と触れ合う機会が多くなった。

 現実の女子と触れ合って、少しは女子のこと分かるようになったのかもしれない。

 身近に、女子に対する振る舞いが完璧な六角屋もいて、それが良い見本になってくれてることだし。


「あー、ホントに喉渇くね。もらっていい?」

 雨宮さんはそう言うと、俺の手からポカリスエットのペットボトルを奪って、そのまま飲んでしまった。


 俺が口をつけたこととか気にせずに飲んでしまう。


 そして、「はい」って言って、まだ残っているペットボトルを俺に返した。


 こんなふうに、汗をかいたあと女子とポカリスエットを回し飲みするって、男子が女子にされたらドキッとする何気ないこと、ベスト3に入ると思う。



 熱の入った稽古が終わると、もう、辺りはすっかり暗くなっていた。


 教室でみんなと別れて、文香と一緒に俺も家路につく。



 グラウンドを横切って正門の方へ歩いてたら、

「あれ? 部室に明かりがついてるよ」

 俺と並んで走行する文香が言った。


「ホントだ」

 今日はみんな自宅に帰ったはずなのに、部室の窓から煌々こうこうと明かりが漏れている。


「ちょっと見ていこうか?」

「うん」

 俺と文香は、帰る前に部室を覗いていくことにした。

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