第179話 邪魔

 「部室」に灯りがついている。

 真っ暗なグラウンドの片隅かたすみで、窓から煌々こうこうと光が漏れていた。


「誰か、まだ残ってるのかな?」

 文香が砲塔上のセンサーのカメラを向ける。

 だけど、生け垣とカーテンが邪魔して、中は見えないらしい。


「ちょっと見ていこうか?」


「うん」


 帰る前に二人で確認することにした。

 用心のため、文香がエンジンを止めてバッテリー走行にして静かに近付く。



「あれ?」


 灯りのついた部室を中庭の縁側から覗いてみると、そこには書類に目を通している花巻先輩がいた。

 先輩、風呂上がりなのか頭にタオルをまいていて、Tシャツに短パンっていうラフな格好だ。

 居間のちゃぶ台の上には書類が山のように積んであって、先輩は難しい顔でそれに目を通していた。

 普段は何事に対しても動じないって感じの先輩が、眉間に深い皺を寄せている。


 委員のみんなを帰しておいて、先輩はまだ作業中なんだろうか?



「お疲れ様です」

 俺は玄関に回って先輩に声をかけた。


「おお、小仙波。どうした?」

 先輩が書類から目を上げる。

 先輩の眉間から、さっきまでの深い皺がすっと消えた。


 居間に上がると、中は先輩から香るシャンプーの良い匂いで満たされている。


「小仙波はまだ残っていたのか?」


「はい、舞台の稽古けいこに今まで掛かって、帰ろうとしたら、ここの灯りがついていたので寄ってみました」


「ふむ、そうか。深夜までよく頑張るな」

 先輩がそう言って破顔する。

 その笑顔で、稽古の疲れが吹っ飛んだ気がした。


「先輩は、お仕事ですか?」


「いや、ちょっと気になる点があって書類を洗っていたのだ。別に今日でなくても良かったのだが、気になったときに済ませてしまうのが私の性分しょうぶんだからな」

 先輩が自嘲じちょうするように言う。


 それにしては、さっきの顔は深刻そうだったけど。


「先輩は家に帰らなくていいんですか?」

 続けて訊いた。

 他のメンバーは、今頃家でくつろいでるか寝てるだろう。


「ははは、今や部室ここが私の家のようなものだ。家に帰るより、ここにいる方が落ち着く上に、気が休まるのだ。故に、気遣いはいらん」

 先輩がそう言いながら、胡坐あぐらをかいていた足をちゃぶ台の下に投げ出した。

 先輩のそんなお茶目な仕草が、ちょっと可愛い。


「それに、私は天涯孤独てんがいこどくの身だしな」

 先輩がポロっとそんなことを言った。


 ん?

 どういう意味なんだ?


「それより小仙波よ」


「はい?」


「今から帰っても遅くなるだろう。今日はここに泊まっていったらどうだ?」

 先輩が訊く。


「簡単なものでよければ、夕飯もすぐに用意できるが」


「え? でも……」

 それはマズいんじゃないでしょうか?


 そうなると当然、俺はこの部室で先輩と二人っきりで泊まることになる。

 今までも先輩と寝床を共にしたことはあったけど、それは他のみんなも一緒でのことだ。


 先輩と二人だけって、俺、まだ心の準備が出来てないし……


「なに、文香君がいるではないか」

 先輩が言った。

 俺の心の中は先輩にあっさりと見透かされてるらしい。


 ああ、そういえば文香が中庭で待っていて、縁側の窓からこっちを覗いている。

 たぶん、俺達の会話も聞いていた。


「私が小仙波を襲おうとしても、文香君がそれを許さない。全力で阻止するだろう。流石の私も、文香君のあの大砲には敵いそうもない」

 先輩がそう言って笑い飛ばす。


 いや先輩、襲う気だったんですか…………



「それじゃあ、お世話になります」

 俺は頭を下げた。

 確かに先輩が言うとおり、これから家に帰って夕飯を食べて風呂に入ってとかしてたら、殆ど寝られずにすぐ登校することになる。

 このままここに泊まれば少しはゆっくり出来る。


「うむ、それでは少し待っていろ」

 先輩がそう言って席を立った。

 エプロンをつけて台所に向かう先輩。


 待っていると、すぐに良い匂い漂ってきた。

 俺は、居間のちゃぶ台から台所でてきぱきと支度をする先輩を見て、これが俺と先輩の新婚家庭だったら、って、しばらく妄想した。


 そんなこと絶対にありえないけど。


 ものの五分十分で豪華な夕食のお膳が出来上がる。

 カボチャの煮物に、豚の角煮、ニラ玉に、わかめの中華サラダ。


「私の夕飯の残り物だが、味は保証するぞ」

 言われなくても、先輩に料理の上手さは身に染みて分かっている。


「いただきます」

 手を合わせてから、まず、豚の角煮に箸をつけた。

 噛むまでもなく口の中で肉の繊維ほどけるくらい柔らかい。

 ゼラチン質の部分が甘くて舌がとろけた。


「どうだ? 旨いか?」


「はい、美味しいです」

 それはお世辞などではなく。


 遅い夕飯でお腹がペコペコだったこともあって、俺はご飯を三杯もお代わりした。


「風呂に入ってくるがいい。その間に片付けて、ここに布団を敷いておこう」

 ちゃぶ台の上を片付けながら先輩が言う。


「布団はぴったりとくっつけて並べるが、いいな?」

 先輩、俺をからかって楽しんでいた。



 先輩の言葉に甘えて、風呂に入るためにシャツのボタンに手を掛けたときだ。


「冬麻君、ごめんね」

 文香が砲身で器用に縁側のガラス窓を開けて、砲口を部屋の中に突っ込んで来た。


「どうしたの?」


「うん、今連絡があって、私、行かなくちゃならなくなったの。すぐに迎えの車が来るって」

 文香が消え入りそうな声で言う。


「行くって、急に何があったの?」


「分からない…………分かっても、言えないんだろうけど」

 文香が車体を細かく震わせながら答えた。

 それって、軍事機密というヤツか。


 しばらくすると、校門の辺りが騒がしくなった。

 高機動車に先導されたトレーラーがグラウンドに乗り入れられる。

 文香を運ぶときに使う73式特大型セミトレーラだ。


 高機動車から数人の自衛隊員の人が降りてきて、文香をトレーラーに載せた。

 文香がその荷台に収まって、チェーンで固定される。


「それじゃあ、行ってくるね」

 文香はそう言うと、そのままトレーラーが走り出した。

 来たときと同じように、トレーラーは高機動車に先導されて、真夜中の街に消えていった。


 一体どういうことなのか、事情を聞こうとして月島さんに電話したけど、繋がらなかった。

 多分、メールや他の連絡方法をとっても無駄だろう。


 こうやって文香が急に連れ出されることは前にもあった。

 その度に、文香は車体に生々しい傷跡や弾痕を残して帰って来た。


 今度もなにかあるんだろうか?


 こんなことが文化祭の最中になければいいって、心から思う。

 それで文香が文化祭に出られないなんてことになったら、可哀相すぎる。

 この一年、文香が文化祭実行委員会の委員としてどれだけ頑張っていたか分からない。


 その辺は、後で月島さんにちゃんと言っておいたほうがいいかもしれない。

 言ったところで、月島さんにどうにか出来る問題じゃないのかもしれないけど。



「ふう、行ってしまったな」

 俺と一緒にトレーラーのポジションランプを見送りながら花巻先輩が言った。


 あっ。


 文香がいなくなって、今夜、この部室には俺と花巻先輩だけだ。

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