第176話 デフォルト

「冬麻君! どうしよう!」

 俺を認めた文香が言う。


 取り乱した文香が超信地旋回したから、中庭には大穴が開いていた。

 V8エンジンから出る黒煙で朝の澄んだ空気がにごっている。

 空はどんよりとした黒雲で埋め尽くされていた。

 まるで、風雲急を告げるかのように。


 びっくりした委員会のみんなが縁側に出た。

 女子達はスケスケのネグリジェ姿だけど、緊急事態で今それをじっくりと鑑賞してる場合じゃない。


「どうしよう! どうしよう!」

 混乱した文香は回るのをやめなかった。


 昨日、信用金庫から大金を下ろしてきて、それを文香の中に仕舞ったことが思い出される。


 その翌朝の文香の、この慌てぶり。

 すごく、悪い予感がする。

 それは話を聞くまでもなく、答えが一つのような気がした。


 想像したくもなかったけど。



「どうしたの? 文香ちゃん! 落ち着きなさい」

 スリップ一枚の月島さんが言い聞かせようとしても、文香は全然聞く耳を持たない(月島さんはスリップ一枚な上に、その肩紐が片方、落ちていた)。


 ここは俺が行くしかないと思った。


 俺は、超信地旋回する文香の車体に飛び乗って、回る砲塔にしがみついた。

 振り落とされそうになりながらも、なんとか車長席のハッチを開ける。

 頭から突っ込むようにして文香の中に滑り込んだ。


「文香、どうしたの? とりあえず、止まろう!」

 俺が車内から呼びかける。


「何があったの? 話してみて」

 俺が必死になって言ったら、ようやく文香の回転が止まった。

 急に止まって、俺は文香の内壁に頭を打ち付ける。


「どうしたの? 何があったの?」

 俺は頭をさすりながら訊いた。


「大丈夫、何があったとしても、俺も一緒に謝ってあげるから」

 なだめるように言う俺。


「どうしたの?」


「うん、あのね…………」

 ようやく文香が口(?)を開いた。



「昨日、大切なお金を預かって、私の中に仕舞ったでしょ?」


「うん」


「それを、誰かに盗られた、とか?」

 俺は訊く。


「ううん、そういうのじゃないの」

 文香が言った。


 冷静に考えれば、文香からお金を奪うようなヤツがいるわけもない。

 対戦車ヘリにでも乗ってくれば別だけど。


「お金を預かったとき、冬麻君が、大切なお金だから一円でもなくしたらダメって言ったよね」


「ああ、うん」

 確かに俺はそう言った。


「だから私、絶対に盗られないようにって思って、センサーを張り巡らせてこのお金を警備しての。だからお金は誰にも盗られなかったんだけど、そうしてるうちに考えたの」


「何を考えたの?」


「うん、私がこうして警備してる間、その間にも為替は変動してて、このお金の価値が減っちゃうんじゃないかって思ったの。冬麻君に一円でもなくしたらダメだよっていわれてたのに、お金が減っちゃうって考えたの」


「えっ?」


「だから、減っちゃう分を増やそうと思って…………一円でも、多くなったらって思って、私…………」

 文香の声が小さくなった。


「ネットに繋いで、世界中の開いてる市場を探して…………投資したの。株とか、先物とか、仮想通貨とか、それを色々組み合わせて……」


 ああ……

 まさか文香、その投資で失敗したのか…………


 文香は以前、お年玉を増やしたこともあるし、お金を動かす方法は知っていた。

 それをまたここでやってしまったってことか……


 そう、文香はAIなのだ。


 俺が一円でもなくしたらダメって言ったその言葉を、文香は文字通りそのままに受けてしまったらしい。

 俺がもう少し言葉に気を付けるべきだった。

 一円でも、とか、そんなふうに言うべきじゃなかったんだ。



「…………それで、いくら損したの?」

 俺は、恐る恐る聞いた。


 文香がこんなに取り乱すからには、相当な金額が吹き飛んだと思われる。

 一千万円の相当額が吹き飛んだなんてことになったら、俺が文香と一緒に謝っても謝りきれない。

 文化祭が開催できないなんてことになったら、もう、この学校どころか、この地域の人達に顔向けできない。


「いくら、損したの?」

 俺は覚悟を決めて訊いた。


「えっ? 損? ううん、損したんじゃなくて…………増えちゃったの」

 文香が言う。


「は?」


「一円でも減らさないように、って、投資してたら、昨日の深夜に南米の方でデフォルトにおちいった国があったりして、その為替の混乱で市場が乱高下らんこうげして、それに上手く乗っかっちゃったから、預かってた一千万円が、増えちゃったの」


「ふ、ふ、増えたって、いくら」

 俺は別の意味で恐る恐る訊いた。


「うん、ゴメンね。倍の二千万円超えちゃった」

 文香が、てへぺろみたいに言う。


「はぁぁぁぁぁ?」

 俺は文香の車長席で絶叫した。

 狭い車内で叫んだから、自分の耳がガンガンする。


 一千万円を、一晩で二千万円に?

 あの、文香さん、俺の全財産預けるので、是非、増やしてください、お願いします!


「運が良かっただけだから」

 文香が照れながら言う。

 運が良かっただけ、とか、完全に勝ち組の発言じゃないですか。

 勝者にしか許されない物言いだ。


「こんなに増えちゃってどうしようか困って…………取り乱して、ごめんなさい」

 文香が謝った。


 とにかく、最悪な事態にならなくて良かった。

 ホッとしたけど、まだ心臓がばくばくしてる。



 俺は車長席から出てみんなに事情を説明した。


「ふはははは、剛気剛気!」

 花巻先輩が笑い飛ばす。

 空に立ちこめていた黒雲が、それで吹っ飛んだ。


「文香ちゃん、リスクがあるんだから、そんなに簡単に投資とかしたらいけないんだよ」

 月島さんが言い聞かせるようにした。

 月島さん、そう言いながらも半分安心して、足元がフラフラになっている(相変わらずスリップの肩紐が落ちてるけど)。


「文香君が倍に増やしてくれたならば、よし、各団体に配る資金も、倍の十万としよう!」

 先輩が言って、委員のみんなが「わあっ」って歓声を上げた。


 いくらなんでも、お祭り過ぎる…………


「こういう不労所得は、パッと使ってしまうに限るのだ」

 そう言ってえつる先輩。



 っていうか、女子達、何か羽織ってください。

 みんながスケスケのネグリジェでいると、刺激が強すぎます…………

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