第174話 稽古

 文化祭でのうちのクラスの出し物、「美女と野獣」の台本が上がった。

 放課後の教室で、キャストが全員集まっての稽古けいこが始まる。

 文化祭実行委員会の仕事の合間を縫って、主役である俺も当然参加した。

 そこにはもちろん、馬車役の文香もいる。


「小仙波君、がんばろうね」

 ヒロイン、ベル役の雨宮さんがそう言って俺に微笑みかけてくれた。

 なんの含みもない、秋の青空みたいな澄み切った笑顔だ。

 それなのに俺は、まだ雨宮さんの顔すらまともに見られない。


 こんなことで、ホントに大丈夫なんだろうか?



 この舞台に合わせてクラスメートが書き直したシナリオはこんな感じだ。


 あるところに、ベルという容姿端麗、才色兼備な少女がいた。

 ベルは誰からも愛される人気者で、国中の有力者から求婚されるも、それをことごとく断っていた。


 あるとき、友人達とピクニックに出かけたベルは、森の中で迷って、怪しげな古城に辿り着く。

 森の奥にひっそりと隠れるように建つ城。

 夜も更けていたこともあり、その城に泊まることになったベル達一行は、城の主から歓待を受けて一晩を過ごした。


 翌朝、世話になった礼を言おうと城主に対面すると、城主は世にも恐ろしい風貌ふうぼうの野獣だった。


 友人達がその容姿に驚いて逃げ去るなか、ベルは逃げずに野獣に礼を言う。

 野獣はそんなベルの態度に驚いた。

 泊めてもらった礼に何かしたいというベルに対して、野獣は城の庭の薔薇の世話をして欲しいと頼む。


 ベルはそれを快諾かいだくした。


 以来、ベルは時折古城に赴いては庭の薔薇園の手入れをする。

 なりゆき、ベルと野獣が触れ合う機会が増えた。

 相変わらずベルは野獣を恐れず、友人や家族と接するのと同じ態度で野獣に接した。


 固く閉ざされていた野獣の心が、徐々に開かれていく。

 一方で、ベルも野獣の恐ろしい風貌の下に隠された優しさにかれていった。


 しかし、ベルの両親は野獣の城に足繁く通うようになった娘を心配していた。

 娘に城には行かぬように言い含めるも、ベルはそれを聞き入れない。

 そこで両親は街の有力者に相談した。

 実は、両親はその有力者からベルを息子の嫁にもらいたいと言われていて、その方向で話を進めようとしていたのだ。


 有力者はハンターを雇って城を訪れる。

 野獣を亡き者にしようとした。


 ハンターが城の中で野獣を見つけてライフルを向ける。

 その銃弾を野獣に放った。

 銃弾は野獣の腹部を捉える。

 倒れ込む野獣。

 銃声を聞いたベルが駆け付けたとき、野獣は虫の息だった。


 ベルは、そんな野獣に愛していると言う。


 すると突然、恐ろしい野獣は美しい王子の姿になった。

 同時に、ハンターに撃たれた傷も消える。


 王子は、かつて妖女に魔法をかけられていたのだ。

 人嫌いで城に籠もっては領民もまつりごとかえりみない王子に、妖女が魔法をかけた。

 それは、自分のことを心から愛してくれる人が現れるまで、野獣の姿になるという魔法だった。


 魔法が解けて元の姿に戻った王子は、ベルと二人で城を再興し、領地を豊かにして幸せに暮らした。



 俺達の上演する「美女と野獣」はこんなふうに短くまとめられた。


 なんか、このシナリオ、俺に合わせて改変されてる気がしないでもない。


 クラスの人気者でキラキラしてる雨宮さんと俺っていう構図が、このシナリオそのものだ。



「みんな、セリフは覚えてきたでしょうね? みっちり稽古してもらうよ」

 委員長の吉岡さんが言った。

 腕まくりした吉岡さんは、メガフォンを持っていて、気合いが入りまくっている。


 そこから猛特訓が始まった。


 もちろん、俺はダメ出しの嵐を受けた。


 声が出てない。

 背筋を伸ばせ。

 雨宮さんの目を見てセリフを言え。

 セリフ回しが違う。

 もっと感情を込めて。

 へらへらするな。

 等々…………


 吉岡さんがメガフォンでする言葉の殆どは、俺に対するダメ出しだった。


 そんなふうにされるうちに頭の中が真っ白になって、覚えた筈のセリフが飛んでしまう。

 そこにいるみんなに笑われてるみたいに思えて、ついには言葉もでなくなった。


「冬麻君、次のセリフはね……」

 すると、馬車役でそこにいる文香が、こっそりとセリフを教えてくれた。

 文香、全員の全セリフを覚えてるらしくて、俺の失敗をカバーしてくれる。


「がんばって」

 小声で言う文香。

 文香のおかげで、なんとか吉岡さんにそれ以上怒られずに済んだ。


 ゲームの世界では文香を助けてる俺が、現実の世界では文香に助けられてばかりだ。



 二時間後、俺はどっと疲れて部室に戻った。

 文香の車体に乗って、搬送はんそうされるようにして帰る。

 グラウンドでは運動部が片付けをしていて、辺りは暗くなりかけていた。



「お帰りなさい」

 玄関の引き戸を開けるなり、うちの女子達がみんな声をかけてくれる。

 みんなが玄関で俺を出迎えてくれた。

 なんか、自宅のような安心感。


「ほら、小仙波はやく着替えてこい、夕飯にしよう。腹一杯食べたら、今夜も遅くまで作業してもらうぞ」

 割烹着姿の花巻先輩が言った。

 直前まで台所にいた先輩からは、味噌の良い香りがする。


 きつい稽古の後で、涙が出そうになった。


「ん? どうした?」


 先輩は、涙ぐんだ俺を見てなにかを察したのか、無言でそっと引き寄せると、そのままその大きな胸の中に抱いた。

 俺は、世界一幸せな柔らかさの中に埋もれる。


 先輩のおかげで、女子達に俺が涙を流すところ、見られずに済んだかもしれない。


「あー、先輩なにしてるんですか!」

 女子達が言って、俺から先輩を引き剥がそうとした。

 俺は、女子達に囲まれてもみくちゃにされる。


 なんか、稽古でヘトヘトになってたのが吹っ飛んだ。



 稽古はきついけど、もうちょっとだけ、頑張れる気がする。


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