第132話 プリント
俺にとって幸せなバレンタインデーが終わって、数日が経った頃だった。
帰りのホームルームの最後に、担任の真田が一枚のプリントをクラスメート全員に配る。
また面倒な宿題でも出されたのかとプリントを見ると、「進路について」って書いてあった。
「よし、みんなプリント行き渡ったな。そのプリントにあるように、自分が今の段階でどんな進路を考えてるのか、プリントの質問欄に記入して一週間以内に提出しなさい」
真田が言うと、「えー」とか、「面倒くさーい」とか、そこここから否定的な声が上がる。
「はい、静かに。もうすぐみんなも二年生になる。これまでにも何回か進路指導はしてきたが、二年にもなると、もう具体的にその進路に向かって動き出さないといけない時期になる。というか、もう、動き始めてる者はとっくに動いてるぞ。真面目に記入して、忘れず提出するように」
真田に言われて、一瞬、教室が静かになった。
「進路」っていう言葉を突きつけられて、それを考えないわけにはいかないから、みんな現実に戻ったんだろう。
それは、俺も同じだった。
「ほう、『進路』とな」
部室に帰って花巻先輩にプリントを見せると、先輩は遠い目をした。
委員会のメンバーの他に、職員会議を抜け出した月島さんと、生徒会から連絡のために部室に来た伊織さんも部室にいて、コタツに入ってとりあえずお茶にする。
今日のおやつは、苺大福だ。
ねっとりとした上品なこしあんが、酸味が強い苺を受け止めていて美味しい。
「みんなはもう、進路を決めてるの?」
苺大福を頬張りながら月島さんが訊いた。
「僕は決めてますよ」
六角屋が言う。
「へえ、六角屋君は何になりたいの?」
「僕は、女子校の教師か、女子寮の寮父になりたいと思っています」
六角屋が、自信たっぷりに胸を張って言う。
「寄宿舎がある女子校の教師になって寮長になれたら、両方実現できて最高なんですが」
目的が分かりやすすぎるし、動機が不純すぎる…………
「僕は、あまねく女子達のために何かをしてあげたいんです。たくさんの女子の役に立てる職業って考えたら、そうなるでしょう?」
至って真面目な感じで言う六角屋。
確かに、動機は不純に見えるけど、六角屋は女子の気持ちが分かるし、女子のことなら全力になるから、適任って気がしないでもない。
ここまで徹底してると、一本筋が通ってる感じじさえした。
「まあ、六角屋君らしいよね」
月島さんが言って笑う。
「それじゃあ、源さんはは?」
月島さんが今日子に振った。
「私は、大学に進学して、一流企業に勤めて、キャリアウーマンとしてバリバリ働こうと思ってます」
今日子が目元をきりっとさせて言う。
「具体的には? どこの大学とか、どんな業種とか決めてるの」
「えっ? えっと、その辺は、まだ、決めてないっていうか…………」
今日子の語尾が小さくなった。
きっと今日子は、バリバリ働くっていうイメージだけで言ってるんだと思う。
幼なじみだから分かるけど、勢いでぐいぐい進んでいく感じが今日子らしい。
「伊織さんは?」
月島さんが訊いて、俺は耳を大きくする。
「私は、大学を出て、叔父が頭取を務める銀行に就職して…………って父に言われています」
さすがはお嬢様の伊織さん。
進路まできっちりしている。
「でも私は、父のいいなりになりたくはありません」
伊織さんが、その凛々しい顔ではっきりと言った。
「私、エンジニアになりたいんです。機械が好きだし、文香ちゃんを作るようなエンジニアになりたいと思っています。だから、大学もそっちの方面に進む予定です」
伊織さんがキラキラした目で言う。
固い意志を持った人の目だ。
「だから、父を説得します」
こんな目で言われたら、伊織さんのお父さんも納得するかもしれない。
でも、ちょっと待て。
目の前にいる月島さんの正体は、本当は文香の開発責任者だ。
文香のAIのコードを一人で書いちゃうような人で、技術将校として、たくさんの技術者を従えている。
超が付くほどのエンジニアだ。
伊織さんがそれを目指してるってことは、この可憐な伊織さんが、いつか、月島さんみたいになっちゃうんだろうか?
それはちょっと困る気がする。
少なくとも、部屋を片付けられないところとか、家の中をスリップ一枚で歩き回るところとか、酔うとキス魔になるところとかは似ないでほしい。
「先輩は、どうなんですか?」
六角屋が花巻先輩に訊いた。
「私にそれを訊くのか。それを愚問と言うのであろう。私の進路は無論、女子高生だ。一生女子高生。このまま、この女子高生という身分で、毎年『祭』の運営をするのが私の進路である。夢は、子供と同じ高校に通い、親子で文化祭に参加することである」
お、おう…………
先輩の筋の通り方は、六角屋なんてもんじゃなかった。
「で、小仙波君は?」
月島さんの質問が俺に回ってくる。
みんなが俺の方を向いた。
「えっと……あの……」
俺は何も答えられない。
この文化祭実行委員会に入ったり、文香が隣りに引っ越して来たり、同じクラスになったり、いろんなことが起こったから、毎日それに振り回されていて、進路を考えてる暇なんてなかった。
いや、それにかまけて、何も考えないようにしてただけなのかもしれない。
「冬麻は何にも考えてないよね」
俺の代わりに今日子が答える。
図星だから、言い返せない。
「ふうん、何もなかったら、いっそのこと、私のお
月島さんが言う。
「小仙波君の一人くらい、食わせていく自信あるし。君みたいな可愛い男の子が家にいたら、先生、仕事にも張りが出るし」
「ダメです!」
なぜか、月島さん以外の女子全員が声を合わせて否定した。
「文香ちゃんは?」
中庭にいる文香に、今日子が訊く。
「私? 私は……」
少し間があって、
「私は、こうやってみんなが平和におやつを食べたり、お話をしたりする場所を守ることかな。そのために、もっと強くならないと」
文香が言った。
この中で、文香が一番、真面目に進路を考えてる気がした。
文香の答えに月島さんが目を細めてるのを、俺は見逃さなかった。
俺も、これを機会に進路のこと真剣に考えないとって思う。
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