第106話 友情
ケイが隠れる倉庫の横を、文香が走り抜けていく。
俺はケイの中にいて見えないけど、エンジンの音と振動で、それが文香だって分かった。
なにしろ、いつも登下校時にそれを聞いているのだ。
ケイは一旦、文香をやり過ごす。
「よし、これでフミカの後ろが取れそうだね」
ケイが言った。
「せっかく本気を出してくれたのに残念だけれど、やっぱりあなたの彼女より私の方が上かな」
自信たっぷりに言うケイ。
だから、文香は俺の彼女じゃないんだってば…………
文香をやり過ごしたところで、すかさずケイが倉庫から出た。
倉庫の壁や塀で見えない位置から、ケイは走行音を追ってすでに文香に砲口を向けている。
道路に出て文香の背後を捉えたケイ。
だけど、様子が変だった。
文香の120㎜滑腔砲がこっちを向いている。
こっちに気付かず通り過ぎたはずの文香が、砲塔を回して後ろを狙っていた。
そう認識した瞬間、砲口から炎が吹き出す。
ゴツンと骨に響く音がして、文香の砲弾がケイの右側面のセンサーを撃ち抜いた。
同時に、ケイの砲弾も発射されて、頭の中で
文香の方も、ケイの砲弾で砲塔左のセンサーが飛ばされた。
相打ちで双方の演習弾が一つずつヒットする。
この勝負は、車体各所に取り付けられたセンサーを三つを壊すか、エンジン部分のセンサーを一つ壊すとそこで決まる。
「やるじゃない」
ケイが言った。
砲撃してすぐ、ケイは道路を渡った反対側の路地に逃げ込む。
「足跡が残ってたんだから、当たり前です!」
文香が言った。
後で聞いたところによると、ケイが倉庫に入るとき、その入り口で踏んだ小石が割れていて、その新しい切断面を見た文香が瞬時に判断して、倉庫にケイが隠れてるって見抜いたらしい。
文香はわざと後ろを取られたふりをして、ケイを倉庫からおびき出したのだ。
戦いの中の文香は、いつものふわふわした文香じゃなかった。
そのあと、市街地の建物を壁に使った文香とケイの攻防が続く。
追う側と追われる側の立場が何度も変わった。
二輌は、ときに建物を壊しながら追いかけっこをする。
ケイの中で振り回されながら、俺は中のパイプや取っ手に手足を突っ張って、どうにか体を支えた。
「ほらほら、子羊ちゃん、こっちだよ」
ケイは楽しんでるみたいだった。
「からかわないでください!」
文香が怒った声を出す。
でも、ケイのモニターに映る文香のきびきびした動きを見てると、文香のほうも目をキラキラさせてこの戦いを楽しんでるんじゃないかって思う。
攻守が何回も変わって、ケイが文香に追いかけられるターンになった。
中で相当振り回された俺は、かなり酔ってきた。
このままだと、昼に食べたものを出してしまいそう。
「トーマ、歯を食いしばってて、舌噛むよ」
突然ケイが言った。
そう言ったと思ったら、ケイの車体が空を飛ぶ。
一瞬、体が重力から完全に解放されたのを感じた。
市街地の下り坂道のところで、ケイが勢いをつけたまま飛んだのだ。
そういうことは、もっと早く言って欲しかった。
ケイが10メートルくらい飛んで着地したとき、俺は思いっきり舌を噛む。
口の中で鉄の味が広がった。
着地のショックでサスペンションが底につく。
ギイイと鉄が
ケイの車体が左右に振られる。
滑る車体をなんとか立て直そうとするケイ。
振り回される車内のモニターの中で俺は見た。
ケイより更に高く飛んだ文香が、砲口をこっちに向けているのを。
空中でつんのめり気味に車体前部を沈ませた文香の射角が、しっかりとケイを捉えている。
俺は、戦車って空を飛べるんだな、とか、瞬時にそんなことを考えた。
文香はそのまま、空から120㎜砲を放つ。
空を飛んだままでも、文香は狙いを外さなかった。
文香が放った模擬弾が、ケイのエンジン部分のセンサーに当たる。
ゴツッ、っと、骨を砕くような音がした。
遅れて文香が空から降ってきてアスファルトの上に着地する。
親方、空から女の子が……とか言ってる場合じゃなかった。
40トンの車体が空から降ってくる振動は、すぐ横に雷が落ちたみたいな音と衝撃だ。
着地してバウンドすると、文香はくるくる回転しながら道路を滑っていく。
50メートルくらい滑って、ようやく街路樹に当たって止まった。
ピピーーーー!
そこでホイッスルが鳴った。
いや、スピーカーからホイッスルの音が聞こえる。
「勝負あり! 勝者文香!」
月島さんの声がした。
ケイのエンジン部分のセンサーに模擬弾を当てた文香の完勝。
そこで勝負がついた。
「あーあ、負けちゃった」
先に着地していたケイが、ゆっくりと文香に近づいてくる。
ケイは文香の鼻先で停車した。
俺を閉じ込めていたハッチのロックが解かれる。
俺はハッチを開けてケイから外に出た。
「文香!」
思わず文香に駆け寄る。
大ジャンプをした文香が心配だった。
着地のあんな大きな音、今まで聞いたこともなかったし。
幸い、外からはどこも壊れてないように見えた。
激しい戦闘で装甲は傷だらけになってたけど、大きく破損した箇所はないみたいだ。
「冬麻君、大丈夫だった?」
自分のことを置いて、俺を心配する文香。
「うん、シートベルト締めてたし、彼女も中で俺のこと丁寧に扱ってくれてたから」
ちょっと舌は噛んだけど。
「そう、良かった」
安心したように力が抜けて、文香の履帯がぺたんこになった。
文香は地べたに体を投げ出したみたいになる。
ちゃんと受け答えも出来て、AIのほうも無事なようだ。
「冬麻君、私以外の戦車に乗ったの初めてでしょ? どうだった?」
突然、文香がそんなことを訊いた。
ん?
なんでそんなこと訊くんだろう?
ケイの乗り心地なんて、なんで気にするんだ?
あれ?
これってもしかして、文香が焼き餅を焼いてるんだろうか?
俺が他の戦車に乗ったことへの
「乗り心地は良かったけど……」
そう言いかけて俺は止める。
ここは、慎重に言葉を選ばないといけない。
女子に対する言葉遣いに気を付けろって、普段から六角屋に口うるさく言われてるし。
「乗り心地は良かったけど、俺には文香の乗り心地が一番だから」
考えすぎて、なんか、恥ずかしいセリフを言ってしまった。
言ったあと気付いて自分でも分かるほど顔が真っ赤になる。
「ホントに?」
「うん」
「嬉しい……」
言うなり文香が超信地旋回した。
ヒュー、って、ケイが口笛を鳴らす(もちろん、スピーカーからそういう音を出しただけ)。
だけど、あんな激しい戦闘をしながら、文香は俺が他の戦車に乗ったこととか、そんなこと考えてたのか。
まったく、女心は解らない。
「ケイも文香もがんばったね。お疲れさん。戻ってきなさい」
無線から優しく言う月島さんの声が聞こえた。
無事訓練ができて、月島さんも安心してるんだろう。
「フミカ、あんたやっぱりやるね」
ケイが言った。
ケイとフミカが正面で向き合う。
「ううん、ケイちゃんこそ。こんな強い相手に会ったの初めて」
文香が言う。
「次は負けないぞ」
「うん、私も、もっと強くなる!」
なんだこの、少年漫画の主人公とライバルが河原で殴り合った後みたいな会話。
「トーマを人質に取ったりしてゴメンな」
「ううん、私こそ、最初、いい加減な態度で演習してごめんなさい」
河原で殴り合った同士らしく、二人はすっかり仲良くなっている。
「いっぱい戦ったから、隅々まで念入りに整備してもらおう。うちの格納庫に良いオイルがあるんだよ。フミカ、行こう」
ケイが文香を誘った。
「うん!」
文香が嬉しそうに返事をする。
二輌は並んで走って行った。
友情を深め合ったあとの清々しい光景だ。
砂漠の中で夕日を背に走る文香とケイの姿は、すごく綺麗だった。
両方とも
俺は、そんな二人を見送る。
って、あれ。
俺、砂漠の真ん中に置き去りにされたんですけど。
あの、どちらか乗せてってください。
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