第104話 人質

 月島さんの合図で、文香とケイの一対一の模擬戦が始まった。

 抜けるような快晴の空の下、真剣勝負が始まる。


 広大な演習場に遠く離れて配置された二輌。

 文香は、枯れた川のくぼみに潜んで息を殺していた。

 ちょうど文香の砲塔が隠れるくらいの、堀みたいなくぼみの中にいる。


 俺は、文香の車長席に座って、モニターに映るカメラの映像を眺めていた。

 相手に発見されないよう、エンジンもモーターも止めてエアコンを切ってるから、少し寒い。


 モニターから見る周囲は、岩や低木が点在してるだけの砂漠だった。

 低い丘や起伏きふくはあるけど、見通しはいい。

 乾燥していて動くとすぐに砂埃が立つから、こっちに向かってくるものがあればすぐに分かりそうだ。


「冬麻君、どっちから来ると思う?」

 文香が訊いた。

「うーん、そうだなぁ……」


 こうやって二人で戦いに挑んでいると、一緒にゲームをしてるときのことを思い出す。

 俺達が主にやっていた「クラリス・ワールドオンライン」に限らず、一緒にプレーするFPSなんかでも、いつも俺がオーダー役で、文香は俺の指示を忠実にこなしてくれていた。


「ちょっと、あなた達」

 俺達の会話に、月島さんが割り込んでくる。


「これは文香とケイの一対一の勝負なんだから、文香が冬麻君の意見を訊くのは禁止です。文香は自分の判断で戦いなさい。冬麻君も、助言したら駄目だよ」

 無線から月島さんの声が聞こえた。


「二人とも分かった?」

 教師みたいに言う月島さん。

 いや、一応教師なんだけど。


「はい」

「はい」

 俺と文香が答える。


 俺に出来るのは、この車長席にいて文香を見守るだけになった。



 くぼみに潜んで、しばらくなにもない膠着こうちゃく状態が続く。


 するとようやく、遠くに砂埃が上がるのがカメラに映った。

 地面を通じて、微かな振動も伝わってくる。


 は、大胆に姿をさらして砂漠の上を走って来た。

 角張った砂漠色の車体。

 間違いない、ケイが砂漠を走っている。

 文香もそれを確実に捉えていた。


 まだ向こうはこちらに気付いてないみたいだ。


 けれど、堀に隠れてる文香はこのままだと砲塔が回せないし、射角がとれない。

 向こうもそれを承知で、大胆に車体を晒してるのかもしれない。


 文香がどうするのかと見守ってたら、文香はじっとしたまま前をゆくケイをやり過ごした。

 ケイが走り去ってもなお、動かずにそこにとどまる。


 ゲームの中ではいつもタンク役で、敵のタゲを取るために自分から前面に立つ文香が、隠れて隠れて、芋砂いもすなみたいな動きをした。


 ケイが十分に離れてセンサーから消えたところで、文香はエンジンをかけずにモーターだけで動いて、ケイが進んだ方向と真反対の方向へ走り出す。

 なるべく砂埃を立てないよう、ゆっくりと。


 そして文香は静かに堀を抜けると、今度は岩陰に隠れた。

 岩陰に隠れて再び前をゆくケイをやり過ごしたら、今度は演習場の中にあるダミーの市街地に入る。


 そこは、市街戦の演習用に再現された誰も住んでいない街並みだ。

 張りぼてみたいな建物が無数に並んでいる。

 文香は通りを中程まで進むと、建物の影に車体を隠した。

 ビルとビルの隙間にスペースを見付けて、そこに滑り込む。


 そこでも文香はじっとしていた。

 文香が隠れた位置から100メートル先をケイが通るっていうニアミスがあって、十分に狙えたはずなのに、文香は撃とうとしない。

 ケイが遠くに行くまで待って、急いで反対方向に逃げた。



 そんな感じで、一対一の戦闘は、中々始まらなかった。

 アドバイスしたいけど、俺が口を出すのは禁止されてるし。



「はい、ここでひとまず、中断!」

 しびれを切らしたように、無線から月島さんの声が聞こえた。


 二輌とも、朝いた場所に戻るよう言われる。



「文香、どうしたの?」

 二輌が並んだところで、月島さんが訊いた。

「隠れてるばかりじゃない。戦わないと、これは模擬戦なんだから」

「…………」

 文香は黙ったまま答えない。


「フミカ、あなたって、そんな意気地なしなの?」

 さらにケイが言った。


「…………」


「午前中の訓練を見てたけれど、あなたは私と同等の性能はあるし、本気でくれば、私を越えるはずだよ」

 ケイが続ける。


「…………」


「思いっきり私にぶつかってきなさいよ!」

 ケイが文香に詰め寄った。


「ここまで言われて、悔しくないの?」


 なんか、スポ根モノみたいだ。

 運動部の部長と、新入生って感じ。



「まあまあ……」

 俺は、ハッチを開けて車長席から降りた。

 文香とケイの間に割って入る(40トンもある戦車と戦車の間に入るのは、ちょっと勇気が必要だったけど)。


 このままケイに責められたら、文香が可哀相だ。


 俺は文香の性格をよく解っている。

 慣れない環境に、ちょっと戸惑ってるだけだ。

 陽キャの塊みたいなケイにどう接したらいいのか、それにも戸惑っている。

 だからここは、ケイにも長い目で見てやって欲しかった。


 だけどケイは納得してないみたいだ。


「トーマ、ちょっといい?」

 ケイが俺を呼び寄せた。


「はい、いいですけど」

 呼ばれて俺はケイに近づいた。


 文香からちょっと離れたところに連れて行かれる。


「今から私に協力して?」

 ケイが小さな声で言った(正確には、スピーカーから小さな声を出した)。


「協力? ですか?」


「うん、ちょっとそこのハッチの中を見てほしいの」

 ケイが言って、車体前部にあるハッチが開く。

 普通の戦車ならドライバーが座る席があるところだ。


「ハッチの中ですね」

 俺は、言われたとおりハッチの中に頭を突っ込んだ。


「もうちょっと奥の方」


 言われるまま、俺は奥を見るために体を入れる。


 すると、そこで突然、ケイがバックした。

 突然動かれて、俺はハッチの中に転がり落ちる。

 下にシートがあったから痛くはなかったけど、体がすっぽりとケイの車内に入ってしまった。


 すかさずバタンとハッチ閉まる。

 ロックが掛かって開かなくなった。


 俺はケイの車内に閉じ込められる。


「私は無人戦車なんだけど、戦場での兵士の救出用に一名だけ収容出来るスペースがあるの。だから、トーマはそこで大人しくしててね」

 戦車内のスピーカーからケイの声が聞こえた。


「大人しくって……」

 ケイの中も、配線や配管、様々な機器が剥き出しで、文香の中と変わらなかった。

 でも、文香が俺のために備えてるような快適装備はない。

 カメラの映像で外が見える小さなモニターがあるだけだ。


「シートベルト着けてて、そうしないと怪我するよ」

 ケイに言われて、俺は、慌ててシートベルトを着けた。



「ほら、フミカ! あなたのパートナーは私が預かったよ。取り返したかったら、かかってきなさい! 私と戦いなさい!」

 ケイがフミカに向けて言う、そんな声が聞こえた。


 なるほど、俺は人質にされたのだ。


「本気を出さないと、このままあなたのパートナーもらっちゃうよ!」

 言ったが早いか、ケイが文香から逃げるように全速力で走り出した。


 リアカメラからの映像で、文香が追いかけてくるのが見える。

 排気口から黒煙を吐き出して、全速力で追いかけてきた。

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