第97話 パイロット

 オスプレイのローターが、斜め上を向いた。

 徐々に速度が落ちて、ヘリコプターに乗ってたときみたいな、機体がふわりと空に浮いた不思議な感覚を味わう。


 眼下には、空母を中心にした船団があった。

 空母の他に、駆逐艦クラスの船が二隻に、巡洋艦クラスの船が一隻、計四隻の艦隊。

 それが、いだ海の上に白波を引きながら滑っていた。


 艦隊の中心にいる空母は、前方に伸びた飛行甲板の他に、斜めに長いアングルドデッキデッキを備えた本格的な空母だ。

 右舷うげんにビルのような艦橋かんきょうを備えていて、堂々たる姿をしていた。


 空から見るその形に見覚えがある。


 多分これは、海上自衛隊の空母「あかぎ」だ。

 ニュースとかで見たことがある。

 その甲板には、日の丸をつけた戦闘機、F-35Cが五機、整然と並んでいた。



 このオスプレイは、今からその「あかぎ」の飛行甲板に着艦するらしい。



 高度が落ちた機体が、ゆっくりと甲板に迫った。

 近づくにつれ、その甲板の広さに圧倒される。

 空から見てたときは海に浮かんだ木っ端みたいだったのが、視界いっぱいに広がって、大きな島に見えてきた。

 海の上に、広い、真っ平らな地面が存在している。


 艦の周囲のキャットウォークから、乗組員がこっちを見上げていた。

 たくさんの人が働く、一つの街みたいな艦船だ。


 そんな中を、完全にローターを上に向けたオスプレイが降りて、すっと、さり気なく着艦した。

 見事な着艦で、自動車で段差を乗り越えたくらいの僅かなショックもなかった。


 着艦した機体に、空母の乗組員が近付いてくる。


 オスプレイの機内では、俺の向かいに座っていた自衛隊の人が立ち上がって、シートベルトを外してくれた。


「さあ、降りて。あとはここの人が面倒見てくれるから」

 そう言われて、後部のハッチが開く。

 俺は、広大な飛行甲板に降り立った。


 降りた途端、生臭い潮の匂いでむせそうになる。

 ここが陸じゃなくて、海の上っていう証拠だ。


 それにしても、甲板は広かった。

 こんな大地が風を切って海の上を進んでいるのは、なんだか不思議な気がする。


「君、こっちだ」

 周囲を見渡してたら、乗組員の一人が声を掛けてきた。

 水色の作業服を着た三十台前半くらいの男性だ。

 ガッチリとした体格で日焼けしていて、いかにも海の男、って感じの人だった。


 俺は、その人に甲板の上の構造物である艦橋に導かれる。

 艦橋には、無数のアンテナやレーダーが装備されていた。

 近接火器のファランクスや、対空ミサイルのSeaRAMも載っていて、これが軍艦だって再確認する。


 艦橋の重い鉄のハッチを開けて中に入った。


 中の廊下は真っ白で、真新しいペンキの匂いがした。

 壁や天井に配線やパイプが縦横無尽じゅうおうむじんに走っていてごちゃごちゃしてるのに、どこもピカピカでちり一つなく掃除されてるから、整然としている。


 空母の中に入るなんて初めてだし、見る物全てに興味が引かれるけど、案内役の人が急いでるみたいだったし、俺も急いだ。


 廊下を少し歩いたあと、鉄の狭い階段を降りる。

 俺が連れて行かれたのは、甲板の下にある飛行機の格納庫のようなところだった。

 格納庫は広くて、先が霞むくらいずっと向こうまで続いている。

 学校の体育館が、縦に幾つも繋がった感じだ。

 そこに、艦載機の戦闘機やヘリコプターがぎっしり収まっている。


 艦載機を整備する人達を横目に奥へ進んでいくと、格納庫と甲板を繋ぐエレベーターのところに、一機の戦闘機が停まっていた。


 そして、その横にパイロットらしい自衛隊員が立っている。



「彼女が君を運んでくれるパイロットの篠岡しのおか二尉にいだよ」

 案内の人が紹介してくれた。


「『しのおかかえん』です」

 パイロットスーツの自衛官が僕に笑いかけた。

 髪をポニーテールにした、女性パイロットだ。


 年齢は、二十代中盤くらい。

 身長が僕より低くて華奢な感じで、目元が優しい。

 微笑むと、頬に笑窪えくぼができる人だった。


 名字の「しのおか」は篠岡だとして、名前の「かえん」って、どんな字を書くんだろう。

 俺がそんなことを考えてたら、

「かえんは、花の園って書きます。花園はなぞのって書いて、花園かえんね」

 その人が説明してくれた。

 たぶん、同じように訊かれることがあって、説明しなれてるんだと思う。


 でも、ちょっと待って、今、この人が僕を運ぶって説明されたけど、もしかして……


 その女性の後ろにある戦闘機に目が行く。


 ジェットエンジンを二発積んだ戦闘機。

 直線的なカクカクっとしたボディに、折りたたまれた三角形の翼。

 機首は、刀の切っ先みたいに鋭く尖っている。


 確かこれ、国産の戦闘機F-3だと思う。

 その艦載機バージョンだから、F-3 Cか。


 まさかだとは思うけど、まさか、俺、これに乗るの?


「そう、この機体は復座だから、君は後ろに乗ってね。このままアメリカまで一っ飛びだよ」

 篠岡さんが言った。


「よかったら、君が前に乗って操縦してくれてもいいけどね」

 篠岡さんが続けて、チャーミングなウインクをする。

 たぶん、パイロットジョークだ。


「こんなふうに人を運ぶ任務なんて、お姉さん初めてだよ。一体君は、どんな重要人物なの?」


「いえ……」

 ただの男子高校生です。


「まあいいや、安心して。お姉さん、責任持って君を安全に送り届けるから」

 篠岡さん、優しい目元をしてるのに、その目の奥に、うちに秘めた信念みたいなものが見えて凜々しかった。

 月島さんといい、伊織さんといい、花巻先輩といい、今日子といい、俺が知り合う女性は、どうしてこう、カッコイイんだろう。


「よろしくお願いします」

 俺は、わけが分からないまま頭を下げた。


「これからすぐに立つけど、大丈夫?」


「えっと…………はい」

 俺は答える。

 答えたものの、戦闘機なんて乗ったことないし、本当に大丈夫なのかは乗ってみないと分からない。


「それじゃあ、耐Gスーツがあるからそっちで着替えてきてね。その前にトイレに行ってくるといいよ。おむつがあるから、空の上で漏らされても大丈夫なんだけどね」

 篠岡さんが悪戯っぽく言った。


 いや、漏らさないし……


 それにしても、ちょっと前までコタツに横たわって駅伝見てたと思ったら、数時間後に最新鋭戦闘機に乗せられるって、むこうに着いたら、月島さんを問い詰めようと思う。

 こっぴどく。

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