第96話 空の旅

 こたつに寝転がってだらだらしながら着ていたスエットを着替えた。

 月島さんは身一つでくればいいって言ってたけど、一応、二、三日分の着替えとか、歯磨きセットとか、旅行に持っていくようなものを急いでリュックサックに詰めた。


 なにしろ俺は、これからアメリカに行く……らしいのだ。



 うちの屋根の上でヘリコプターがホバリングしてるし、急がないといけない。

 ホバリングしてるのは、深緑と茶色の迷彩塗装が施された、陸上自衛隊のUH-60JAだ(アメリカのUH-60ブラックホークを独自改良して、ライセンス生産してる機体)。


 迎えに来た自衛隊の人は、具体的にアメリカのどこへ行くとか、そこでなにをするのかとか、詳しいことを教えてはくれなかった。

 だけど、月島さんが関わってることだし、俺を危険な場所に連れて行ったり、危険な目に遭わせたりすることはないと思う。


 たぶん。



 息子がどこかに連れ去られようとしてるのに、両親とも危機感はないみたいだった。

 月島さんから、父の会社経由で連絡があったようで、話は通ったらしい。

 俺はパスポートも持ってないけど、そんなことも関係ないらしい。


「お兄ちゃん、頑張って」

 妹の百萌が言った。

 俺は頷く。


 まあ、なにを頑張ったらいいのか、見当も付かないんだけど。



 準備が済んだ俺が庭に出ると、自衛隊の人が、ヘリコプターから垂れ下がったワイヤーの先についているハーネスを、俺の体に通してくれた。

 リュックサックは腹に抱える。

 そして俺は、降下してきた自衛隊の人に抱かれるようにして、空へ上がった。


 足が地を離れてぶらぶらする。

 するするとワイヤーが巻き上げられて、地面があっという間に遠くなった。


 足元で百萌が大きく手を振ってるのが見える。

 ヘリコプターの風圧で前髪が持ち上がって、おでこが露わになる百萌。

 世界一可愛い妹である百萌は、そのおでこまで可愛いかった。


 俺はそのまま、ヘリコプターに収容される。


 自衛隊の人が俺をヘリコプターのシートに座らせた。

 そして、シートベルトを締めてくれる。

 ヘッドセットみたいなのを渡されたから、それを耳につけた。


「それじゃあ、出発しますよ」

 パイロットの声が聞こえる。

 俺が頷くと、ヘリコプターはゆっくりと前進し始めた。


 なんか、すごいVIPになった気分だ。



 新春の街を、俺はヘリコプターに乗って一っ飛び。

 まだ正月三箇日さんがにちの街は、空から見ても、のんびりとしてるように見えた。

 閉まってる店も多いし、道路にもあまり車がいなくて静かだ。


 古式ゆかしく凧揚たこあげをしてる人がいて、その凧が随分下に見えた。



 そのまま空の散歩を楽しんで、30分くらいしただろうか。

 ヘリコプターの鼻先に、富士山が見えてくる。

 真っ白な雪の衣を羽織った、美しい富士山だ。

 それがどんどん大きくなった。


 確か、富士山のふもとには、アメリカ軍の基地や、自衛隊の駐屯地、演習場があるはずだ。


 やがて、眼下に滑走路や飛行機の格納庫のような建物が見えてきた。

 小さな管制塔みたいな建物もある。

 柵に囲まれたその施設は、自衛隊か米軍の施設なんだろう。


 ヘリコプターが高度を落として、滑走路の端の駐機場みたいなところに着陸した。


 シートベルトが外されて、俺はヘリコプターが降りる。

 降りた途端、まだヘリのローターが回ってるあいだに、地上で待ち構えていた他の自衛隊員が俺の腕をとった。

 ローターの爆音の中、目と指の仕草で、「こっち」って合図する。


 そこに待っていたのは、垂直離着陸機V22オスプレイだった。

 飛行機の羽根の両側に、大きな三枚羽根のプロペラを備えた機体が停まっている。

 陸上自衛隊のカラーで、深緑と茶色の迷彩色に塗装された機体。


 こんなに近くで初めて見た、って、俺が感心してる暇もなく、自衛隊員に手を引かれた俺は、そのオスプレイに乗せられる。


 機体内部は、無数に走る配線や骨組みが剥き出しで、まるで機械の体内に飲み込まれたみたいだった。

 機体両側の壁に沿って跳ね上げ式の椅子が並んでいて、俺はその一つに座らされる。

 正面に小さな丸窓がある、外が見える席だった。


 俺が乗ってすぐ、機体は地上を離れる。

 大きなプロペラを斜めにして少し滑走路を走ったと思ったら、そのまま嘘みたいにふわりと空に浮かんだ。

 そして、プロペラを横に向けて水平飛行に移る。


 時速400㎞で、窓から見える雲が流れていく。



 もう、どこに連れて行かれるんだろうとか、そんなこと、どうでもよくなった。


 考えるのも馬鹿らしくなって、いろんな乗り物に乗れる旅行を楽しもう、とか、俺はそんなことを考えている。


 そのうち、機体は陸を抜けた。

 いだ海の上を飛ぶ。


 まさか、このオスプレイでアメリカまで行くとか、ないよね。


 確かにこの機体はヘリコプターよりは航続距離が長そうだけど、このままアメリカまで飛んでいけるような機体ではないと思う。


 斜め前の席に俺を案内した自衛隊の人が一人座ってるけど、事情を訊けるような雰囲気じゃなかった。

 もしかしたら、この隊員の人も、詳しいことは聞いていないのかもしれない。

 パイロットも、この案内の人も、みんな、この少年は一体何者なんだって、不思議に思ってるのかも。



 何もない海の上を延々と飛んで、その代わり映えのしない風景に、段々、眠くなってきた頃だ。


 海の上に、何かが見えた。


 凪いだ青い海の上を、白波を引いて走る何かがある。


 船だった。

 何隻かの船が、船団を組んで海上を航行している。

 それも、ただの船ではなかった。

 軍艦だ。


 駆逐艦や巡洋艦、そして、空母の姿も見える。

 空母を中心に艦隊を組んでいた。


 小さな窓に張りついて、子供みたいに眼下の艦船を眺める俺。

 すると、オスプレイのローターが徐々に上を向いて、速度が落ちる。


 どうやらこの機体は、空母の飛行甲板に着艦するらしい。

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