第98話 1万メートル


 僕と篠岡さんが乗ったF-3Cが、飛行甲板のカタパルトに乗った。

 作業員が主脚のローンチバーをカタパルトにセットする。

 甲板の一部が立ち上がって、ジェットエンジンの排気を受け止めるディフレクターになった。

 俺のすぐ後ろでは、双発のジェットエンジンが耳をつんざく轟音ごうおんを発している。

 全身の産毛が逆立つような音がした。

 パイロットの篠岡さんと同じ防音性能が高いヘルメットを被せてもらってるのに、それがあんまり役に立たない。



「それじゃあ、発艦するけど、覚悟はいいかな?」

 ヘルメットの中にあるヘッドセットから、篠岡さんの声が聞こえた。


 篠岡さんは俺の前の座席に座っている。

 俺より背が低いから、篠岡さんを見下ろす形になっていた。

 狭いコックピットの中では、機械の無機質な匂いに交じって、篠岡さんから甘いフルーツの匂いが香る。


「どう? いける?」

「はい、お願いします」

 俺は答える。

 どれくらい大きな声を出したらいいのか分からなくて、かなり大声になっちゃったかもしれない。


「よし! ヘッドレストに頭をくっつけて、踏ん張っててね」

 篠岡さんが言った。


「はい!」

 俺は、言われたとおり頭をヘッドレストに押しつけて、足を踏ん張った。

 渡された深緑色の耐Gスーツに身を包んで、口に酸素マスクを付けている俺。

 

 篠岡さんは頷くと、手で外の作業員に合図を出した。


 機体の周囲にいた作業員が散る。

 最後まで残っていた黄色い作業服の人が、こっちに手を振った。


 エンジンの音がさらに大きくなる。

 吹け上がったエンジン音で内臓がかき回された。

 その状態で、ラダーとフラップを動かして、最後のチェックをする篠岡さん。


「よし! いくよ! 3、2、1……」


 で、俺はシートに押しつけられた。

 体がシートにめり込んだ。

 比喩ひゆでなく、ホントに体とシートが一体化していた。


 それもそうだろう、電磁カタパルトで、瞬時に時速300㎞まで加速するのだ。


 身構えてたのに、俺は、あごを上げて目をいた無様な格好になった。

 思わず声が出て、短い悲鳴を上げたかもしれい。


 F-3は、90メートルの滑走路を一瞬で駆け抜けると、そのまま空に身を投げた。

 一瞬、海に突っ込むんじゃないかって冷や冷やしたけど、揚力ようりょくを得た機体は上へ上へと空へ加速していく。



「小仙波君、大丈夫? 気絶してない?」

 篠岡さんの声が聞こえた。


「はい、なんとか」

 俺は、つぶれた声で答える。


「おしっこも漏らしてないよね」

「……はい」


 いや、たとえ漏らしてたとしても、そんなこと言えないし。



 轟音の中、機体は滑らかに上昇していった。

 真っ青な海面がどんどん遠ざかっていく。

 ちょっと余裕が出来て振り向くと、さっきまで俺がいた空母「あかぎ」は、もう、米粒くらいになっていた。


 機体は、すぐに雲を突き抜ける。

 真っ青な海から飛び立ったと思ったら、どこまで真っ青な空に迎えられた。

 雲を抜けてさらに上昇する機体。


 このまま宇宙まで飛んでいきそうな機体は、やがて水平になった。

 俺は、ガチガチに固まっていた体からようやく力を抜く。


 気が付くと360度全周が雲の絨毯じゅうたんの中にいた。

 やっと、景色を見る余裕も出てきた。



「皆様、当機は空母『あかぎ』を発艦しまして、ただいま水平飛行に入りました。ですがお客様、座席ベルトはつけたままでお願いします」

 篠岡さんが旅客機のアナウンスみたいに言う。

 けっこう、お茶目な人らしい。


「どう? すごい迫力だったでしょ?」

 篠岡さんが訊いた。

「はい!」

 思わず、子供みたいに声を弾ませてしまう。


「やっぱ、カタパルトってロマンだよね。ガ○ダム乗りが叫びながら発艦するのも分かるよ」

 篠岡さんがしみじみ言った。


 あ。

 この人も、伊織さんみたいな重度のフェチを持った人なのかもしれない……



「あのう……訊いていいですか?」

 ちょっと落ち着いて、俺の方から質問する。


「うん、私に答えられることなら」


「篠岡さんは、どうして、パイロットになったんですか?」


「ああ、なるほど」

 篠岡さんのヘルメットの頭が頷いていた。


 たぶん、頻繁ひんぱんに訊かれることなんだろう。


「私の母も自衛官をしてたのね」

「はい」

「それで、母は昔、君もさっき乗った『あかぎ』の艦長をしてたの」

「えっ? そうなんですか!」


 そういえば、空母の艦長を女性がしてるって話、聞いたことがある。

 それが、篠岡さんのお母さんだったってことか。


「その、母の影響かな、私がパイロットになったのは。母は海の上にいることも多くて、子供の頃は寂しい思いもしたけれど、彼女、格好良かったからね。気づいたら、そのあとを追ってた、って感じかな。母の背中に憧れたってとこ。ありがちな話だけどね」

 照れながら言う篠岡さん。


 お母さんが空母の艦長で、その娘さんがパイロットか。

 その意思を継いだってことか。


「女がパイロットしてるのは、おかしい?」

 篠岡さんが訊いた。

「いえ、そんなことないです」

 俺は首を振る。


「そうだよね。私の兄は専業主夫してるし。四人の子供の子育てで、大忙しらしいし、もう、どんな職業も、女も男も関係ないよね」


「はい、そうですね」


 へえ、篠岡さん、専業主夫のお兄さんがいるんだ。

 それはちょっと興味深い。



「じゃあ、今度はお姉さんから質問」

 篠岡さんが話を変える。


「君は、彼女いるの?」

 いきなり訊かれた。


「いえ」

 俺は即答してしまう。

 即答できてしまう自分が情けないけど、事実、いないし。

 彼女いない歴=年齢だし。


「ふうん」

 篠岡さんが言う。

 なんの、「ふうん」なんだろう?


「それじゃあ、私が立候補しちゃおうかなぁ」

「はい?」


「だってほら、近年パイロットにも女性が増えたとはいえ、周りはまだまおじさんばっかりだし、君みたいなピチピチの男の子と知り合いになるチャンスはないしさ。それに、君、重要人物らしいし」

 いや、ピチピチの男の子って……


「どう? 試しに一度くらい、デートしてみない? お姉さん、そんはさせないよ」

 篠岡さんが言った。 

 篠岡さん、案外砕けた人なのか?


「君が嫌だったら、友達紹介してくれてもいいし」


 いや、1万メートル上空でナンパしないでください…………



 戦闘機に乗った空の旅は、そんなふうに篠岡さんが話しかけてくれたおかげで、怖くなかった。

 もしかしたら篠岡さんは、俺を混乱させないために、わざと多弁になってくれたのかもしれない。



 そうして、しばらく空の旅を楽しんだ俺。


「それじゃあ、ちょっとこれから、スタンドに寄ってくから」

 俺がこの機に慣れたところで篠岡さんが言う。


「この子、大食らいだしね」


 確かに、太平洋上にいた空母から発艦したとはいえ、このままアメリカまで一気に飛んでいけるとは思えなかった。


 だけど、スタンド?

 どこかに降りるの?


 こんな、海の真ん中で?

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