第47話 ぼたん鍋

「さあ、そろそういい頃だ」

 お婆さんが言った。


 囲炉裏いろりにかけた鉄鍋の中で、猪肉ししにくや白菜、えのきや焼き豆腐が煮えている。

 猪肉の脂身が溶けた鍋は、ぐつぐつと赤味噌のいい匂いを漂わせていた。

 お婆さんが、炭火でじっくりと煮込んでくれた夕飯のぼたん鍋だ。


 風呂から上がった俺達は、浴衣の上に半纏はんてんを羽織って、囲炉裏を囲んでいた。

 さっきから、みんなグーグーとお腹を鳴らしている。

 俺の隣に座った伊織さんが、顔を真っ赤にして恥ずかしがるのがカワイイ。


「ほら冬麻、気が利かないわね。あんたがみんなによそいなさいよ」

 湯気を立てている鍋を前に今日子が言った。


 いや、なんで俺が……


「私達の裸を見た罰でしょ」

 当たり前のように言う今日子。


「いや、あれはそっちが勝手に立ち上がったんだし」

 いわゆるラッキースケベというやつだ。

 確かに、そのあと思わず凝視ぎょうししちゃったのはあるけど。

 まばたき一回もしなかったけど。


「まあ、いいではないか。減るものではなし」

 花巻先輩が言った。


「小仙波君は、私の裸なんか見慣れてるしね」

 月島さんが言う。

 月島さん、みんなの前で誤解を与えるようなことは言わないでください。


「ごめんね、小仙波君。変なもの見せちゃって」

 伊織さんが言った。


 自分の裸を「変なもの」とかいう伊織さんを、小一時間説教したい。

 きつく叱りたい。


 とはいえ、俺はみんなにぼたん鍋のいいところをよそって回った(なぜか、六角屋の分もよそってやる)。

 だけど、これは別に罰としてじゃなくて、普段お世話になっているみんなに対しての感謝としてよそったのだ。


「うん、おいしい!」

 みんな、口々に言った。


 猪の肉は、赤身は肉々しくて臭みもないし、脂身はプリプリで甘かった。

 肉だけじゃなくて、味噌と油の旨みをたっぷり吸った白菜がまたおいしい。

 シャキシャキした食感のえのきとか、肉厚のシイタケも旨かった。

 お婆さんは、ぼたん鍋の他に、五目ご飯とか、ヤマメの塩焼きとかも用意してくれていて、どっちも美味だ。


「この猪、お婆さんが捕まえたんですか?」

 伊織さんが訊いた。


「まさか、猟師から仕入れたんだよ。亭主が存命の頃の友人の猟師が、時々ここに顔を出すからね。あんた達が来るって聞いて、いいところを頼んでおいた」

 お婆さんがそう言って、深いしわをさらに深くする。


 やっぱり、このお婆さん、話し方はぶっきらぼうだけどいい人だ。


「ここは、お一人で?」

 月島さんが訊いた。


「ああ、亭主が死んでからはね。息子も娘も、街で暮らしてるよ。ここをたたんで山を下りたらどうかって言われるけど、体が元気なうちは続けるつもりさ。客はほとんどいないけどね」


 料理は美味しいし、温泉は最高だし、これで他の部屋も使えれば、もっとお客も取れるんだろうけど。



「ところで先生、あんたは飲めるのかい?」

 お婆さんがお猪口ちょこを傾ける素振りをした。


「はい、たしなむ程度に」

 月島さんが答える。


 たしなむ程度って…………嘘つき。


「実は、私もよわい二十歳にして未だ女子高生を続けておりまして、飲めるのです」

 花巻先輩が胸を張って言った。


「それじゃあ、つき合ってもらおうか」

 お婆さんが奥からにごり酒と焼酎のびんを持ってくる。


「おお、望むところです」

 花巻先輩も、月島さんも、目がキラキラ光った。


 お婆さんが座って囲炉裏ばたの宴に加わる。

 これから、大人達の酒宴が始まるらしい。


「ほら小仙波、女将おかみ手酌てじゃくをさせるつもりか? 注いで差し上げろ」

 花巻先輩に言われた。

 俺は、お婆さんのコップに焼酎のお湯割りを作って渡す。


「小仙波君、花巻さんのコップ空いてるよ」

 今度は月島さんに言われた。

 俺は花巻先輩にもお湯割りを作る。


 たぶん俺は、この調子で先輩や月島さんに使われるらしい。

 だけど、花巻先輩も月島さんも、酔うとすぐ服を脱ごうとするし、俺に対してのボディータッチが酷くなるからまあいいか。


 囲炉裏がある部屋の前に停まった文香が、窓からこっちを見ていて、その120㎜滑腔砲がこっちを向いているのは、ちょっと気になるけど。



 酒宴は夜遅くまで続いた。



 午前一時を回って部屋に戻ると、布団が敷いてある。

 お婆さんがいつのまにか敷いてくれたらしい。


 入り口からすぐに二組、その奥に座卓や荷物が片付けてあって、反対側に三組の布団が敷いてあった。

 そして、広縁ひろえんのテーブルや椅子を片付けて、そこにも一組敷いてある。

 狭い部屋に、なんとか人数分の布団を敷いたって感じだ。



「まさか、この私が飲み負けるとはな」

 真っ赤な顔の花巻先輩が言った。


「ホントに、あのお婆さん、山姥やまんばかなんかじゃないの」

 俺に完全に体を預けている月島さんも言う(なんか当たってます)。


 俺が肩を貸してどうにか部屋まで連れてきた二人は、入り口からすぐの二組の布団にそれぞれ倒れ込んだ。

 すると、意識を失ったみたいにすぐに寝入ってしまった(花巻先輩の胸元がはだけてて、月島さんのパンツが見えそうだったから、浴衣を直しておく)。


 二人とも泥のように眠ってしまって、もう朝まで起きそうにない。



「誰がどこに寝る?」

 今日子が訊いた。



 うん、それは重要な問題だ。



 先輩達が眠ってしまって、残る布団は、入り口から奥側に三組並んでいる布団と、広縁の一組。


 もちろん、一番避けないといけないのは広縁の布団だ。

 みんなが同じ部屋で寝てるから、そこだけは疎外感がハンパない。


 そして、一番理想的なのは、三組並んだ真ん中の布団だ。

 そこなら、どちらかに伊織さんが寝る可能性がある。

 広縁に六角屋が寝れば、俺は、伊織さんと今日子に挟まれ、頭の方には花巻先輩と月島さんが寝ていることになる。

 女子に囲まれてハーレム状態で眠るとか、こんなチャンス、もう俺には二度と訪れないかもしれない。


 相当良い夢が見られるに違いない。


「恥ずかしいんだけど、私、寝相が悪いから、みんなに迷惑かけそうなの。だから、私が広縁でいいよ」

 伊織さんが言った。


「いえ、寝相が悪いとか、そんなの関係ありません!」

 俺は言う。

 思わず声が大きくなってしまった。


 伊織さんが広縁に寝て、さらに六角屋が真ん中に寝たら、俺の隣りに女子がいないっていうパターンも出来るじゃないか。


「それじゃあ、じゃんけんで決めよう。一番負けた人が広縁ね」

 今日子が言った。


「そうだね」

 六角屋も伊織さんも頷く。



 じゃんけんか……

 でも、広縁が当たる可能性は四分の一だし、余程運がない限り大丈夫だろう、って…………



 最初のじゃんけんでグーを出した俺が、パーを出したみんなに負けた。



 それを見た今日子が笑う。


「あんたって、子供の頃から最初にグーを出すよね」


「そんな、それを知っててずるいじゃないか!」


「ずるいってなによ。じゃんけんはじゃんけん、文句なしだからね」

 今日子が言って舌を出す。


 結局、じゃんけんで六角屋が真ん中の布団になった。

 両脇に伊織さんと今日子を置いて、頭に花巻先輩と月島さんを置いて眠る。


 六角屋が、「小仙波、悪いな」みたいな目で俺を見た。


「紳士的な六角屋君が隣なら男子と一緒でも安全だよね」

 今日子が言って、伊織さんが微笑む。


「冬麻、広縁から一歩でも出たら、部屋から追い出すからね」

 今日子が重ねた。


 どうしてこうなった…………


 俺は、広縁に隔離されるように眠る。

 仕方なく、失意の中で眠りについた。



 だけど、翌朝目が覚めたとき、俺は、なぜか伊織さんと抱き合っていたんだ。

 なぜか。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る