第8話 新人教師

 テレビでの始業式が終わると、教室ではそのまま授業が始まった。

 担任の真田は国語科の教師で、引き続き教壇で現代文の授業を始める。


 同じ教室に戦車がいるっていう状況に教室全体がそわそわしながらも、授業はいつも通り進んだ。

 真田が教科書を開いて朗読を始める。



「あの、冬麻君……」

 授業が始まってしばらくたった頃、文香が小声で話しかけてきた。

 砲塔の上の、センサーが詰まった円筒形の箱がこっちを向いている。


「なに?」

 文香、授業中に話しかけてくるなんて、結構大胆だ。


「あの…………教科書、見せてくれる?」

 文香は、恥ずかしそうに言った。


「あっ、うん」

 そうか、文香は転入してきたばかりだった。


 人間の転校生ならその辺も気遣ってたはずなのに、そこまで気が回らなかった。

 真田の朗読を聞きながら、文香は教科書がなくて戸惑ってたんだろう。


 俺は、教科書を文香がいる側の机の端に置いて、そっちに向けて開いた。

 文香は、俺の側のサスペンションを沈ませて、反対に逆側を上げて、こっちに車体を傾けた。

 砲塔が俺の方に迫る。

 砲塔の上にあるカメラのレンズがズームして、教科書をとらえた。


「ありがとう」

「ううん」


 いや俺、なにやってるんだ…………

 戦車に向けて教科書見せてるとか、はたから見ると、かなり奇妙な光景なんじゃないだろうか。

 いや、間違いなく奇妙だ。


 真田が教科書を読み進めて、俺がページをめくるたび、文香はズームを微調整していた。

 そのモーター音が聞こえる。


 文香は、1ページ1ページ、食い入るように読んでいた。

 人間の俺達より、真面目に授業受けてるんじゃないかと思う。


 そのおかげで、俺もいつもみたいに授業中居眠りしてるわけにいかなかった。

 俺まで真面目に授業を受けることになる。



 新学期初日で、授業は午前中の二時間だけで終わった。


 終わった瞬間、俺は、校舎に戻って職員室に急いだ。

 職員室で、月島さんを捕まえなきゃと思ったのだ。


 月島さんに訊きたいことがたくさんある。



 職員室に入って見渡すと、そこに月島さんの姿はない。

 近くにいた他の先生に訊いたら、月島さんはコンピューター室にいるって教えてくれた。

 俺は校舎の四階にあるコンピューター室まで階段を駆け上がる。




 月島さんは、数十台のパソコンが並ぶコンピューター室の中で、教員用のパソコンに向かっていた。


 引き戸を開けて入ってきた僕を一瞥いちべつすると、ガンメタリックのメガネの縁を指で上げる。


「こんにちは」

 月島さんは、今日も紺のシャツに黒いタイトスカート、そして黒いストッキングを穿いている。

 足元も黒のハイヒールだ。

 だけど、自衛隊の駐屯地にいたときみたいな白衣は着てなかった。


「どう? 文香は元気でやってる?」

 月島さんが俺に訊く。

 この前バレッタで無造作にまとめていた髪を今は下ろしていて、艶やかな黒髪は胸まで届くくらい長かった。


「これ、一体、どういうことなんですか?」

 僕は、全部をすっ飛ばして前置きなしで訊く。


「そうだね。君にはあとでちゃんと話そうと思ってたんだけれど」

 月島さんがモニターの電源を切って、こっちに向き直った。

 俺は、近くにあった椅子を月島さんの前に置いて座る。



「君が帰ったあの後ね。文香が、自分も学校に通いたいって言い出して聞かなかったの。訓練も演習も拒否して、格納庫に立てこもっちゃったの。文香が見せた、初めての反抗期ね」

 戦車にも、反抗期とかあるのか。


「彼女はゲーム内であなたから話を聞いていて、ずっと学校にあこがれてたみたいなのね。それが、あなたと実際に会ったことで、その感情に火がついて我慢できなくなったみたい。私の命令も一切聞かなくなっちゃったの」

 確かに、俺はゲーム内でずっと学校の話をしていた。

 面白おかしく学校での出来事をしゃべった。

 それ以外の話ができないってこともあるんだけど。


「格納庫から追い出そうにも、彼女は陸上自衛隊最強の戦車だし、打つ手がなかったの。彼女には莫大な開発費がかかってるから、破壊するわけにもいかないしね。そのままだと開発スケジュールが遅れて、この計画自体が問題視されそうだった。それは絶対に避けたかった」

 あのあと、駐屯地の中でそんな大事件が起きてたのか……


「それで、文香の要求に答えることにしたの。彼女を学校に通わせることにした。彼女が望んだ、あなたと同じこの高校にね」

 やっぱり、この学校を選んだのは偶然じゃなかったんだ。


「それを実現するためには苦労したよ。私も、関係各方面に頭下げまくってさ。もう、一生分頭を下げたね。だから私、来世では、一回も人に頭下げないで済むような、お姫様とかに生まれ変わると思う」

 月島さんが言って自嘲じちょうする。

 その笑顔が素敵なら素敵なほど、苦労がうかがえた。


「一年C組のあの教室は、うちの工兵部隊が建てたんだよ。どう? 快適でしょ?」

「まあ、はい」

 夏休み後半からの僅かな時間であんな建物が出来たのは、そういうわけか。


「文香だけ学校に通わせるのは心配だし、そばで付き添うために、私もこんな身分になったわけだよ。私、一度は教師やってみたかったんだよね。結構、それっぽいでしょ? でも安心して、文香のすべてのコードを一人で書いたのは私だし、プログラミングに関してはプロだから、ちゃんと教えられるよ。手取り足取り、教えてあげる。どう? 私、男子生徒の間で人気出そうかな?」

 月島さんが怪しげな眼差しで言った。


「出ると思いますけど…………」

 いや、確実に出る。

 こんな、セクシーな感じの先生、うちの学校にいないし。


「向こうでたくましいお兄さん達に囲まれてたけど、若くてカワイイ男の子もいいよね」

 っていうか、手を出しちゃダメだろ……


「だから、私が自衛官だってことは内緒だよ」

「はい」

 ウインクしながら誓わされたら、もう守るしかない。



「ねえ冬麻君」

 ふざけた口ぶりだった月島さんが、真顔になった。


「ゲームの中であなたと文香は旧知の間柄だし、クラスで文香のこと、色々と面倒見てあげてね」

 散々頭を下げたって言ってた月島さんが、僕に対しても頭を下げた。

 深く深く、頭を下げる。


 月島さんは、本当に、母親みたいに文香のこと思ってるのかもしれない。



「それから……」

 月島さんがなにか言いかけたところで、「月島先生、ちょっといいですか?」と、それまでプログラミングの授業を受け持っていた他の教師が入ってきた。

 これからの授業のことで打ち合わせがあるらしい。


 俺は、礼をして教室を出るしかなかった。



 月島さん、なにを言おうとしてたんだろう。

 とにかく俺は、一旦、教室に戻る。

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