第6話 新学期

「お兄ちゃん、ご飯だよ!」

 階下から、妹の百萌の声が聞こえる。


 非情なことに、俺の家にも九月二日の朝は来た。

 自由だった昨日までの俺にさようなら。

 俺は、ギリギリまでベッドの上でしていた自由への抵抗をあきらめて起き上がる。

 自室のカーテンを開けた。


 窓から、朝のまぶしい光が差し込んでくる。

 雲一つなくて、九月になっても、まだ、かなり暑くなりそうだ。


 そう思って窓の外を見てたら、隣の家の前に、引っ越し業者のトラックが止まってるのに気付いた。

 朝早くから、数台のトラックが隣の家の前で待っている。

 空き屋だった隣の家に、誰か引っ越してくるんだろうか。


「こら! お兄ちゃん、ご飯だってば!」

 階段を上がってきた百萌が、ノックもせずに俺の部屋のドアを開けた。

 百萌のほうは、もう制服に着替えて髪も整えている。


 俺の二度寝を阻止そししようと、ベッドの前に仁王立ちする百萌。


 可愛すぎる罰として、とりあえず百萌を突っついておいた。

「ふええ」

 百萌がカワイイ声で鳴く。


 二学期初日の朝は、こんな感じで始まった。




 百萌と一頻りじゃれ合ってたせいで初日から遅刻しそうになった俺は、ギリギリで教室に飛び込む。


 だけどあれ、なぜだろう、そこに俺の机はなかった。


 っていうか、俺の机だけじゃなくて、クラス丸々一つ分、机と椅子がなくなっている。

 俺がいる1年C組の教室が、もぬけのからになっているのだ。


 机と椅子だけじゃなくて、みんなのロッカーの中身も全部なくなっている。

 壁の掲示物も一枚もない。


 まだ、夢でも見てるんだろうか?



「遅いぞ冬麻!」

 後ろから声が聞こえて振り向くと、廊下に今日子がいる。


「掲示板の張り紙見てないの? うちのクラスは新学期から教室が替わったよ」

 腕組みした今日子が言った。

 久しぶりに見る、夏服セーラー服の今日子だ。


「教室にいないから来てみれば、やっぱりこっちにいたのね」

 俺の行動は今日子の予想の範囲らしい。

 だけど普通、学校の掲示板なんか見ないし。


「なんで教室替わったの?」

 新学期になって教室が替わるなんて初めての経験だ。

 休み前にはそんな話してなかったし。


「さあ、知らない。ほら、新しい教室はこっちだよ」

 今日子がすたすた歩いていく。


 従うのはくやしいけど仕方ない。

 俺はそのあとに付いていった。



 するとどうだろう、今日子は、なぜか下駄箱の方に向かった。

 そのまま、上履きを靴に履き替えて外に出る。

 俺も慌てて靴を履いた。


 今日子、外に出てどこに行くんだろう?


 もしかして、このまま学校を抜け出そうとか、俺を人気のない場所に連れ出そうとか、そんなことでも考えてるのか?


 まあ、そういうのも悪くない。


 でも、新学期一日目からとか、それは早すぎるんじゃないだろうか。

 積極的すぎる。

 しかし、思春期の乙女だし、幼なじみの俺に突然異性を感じちゃったとか、そういうこともあるかもしれない。

 それで我慢できなかったのかも。


 それならしょうがない。


 俺がそんなふうに考えながら今日子の後ろを歩いてたら、目の前に知らない建物が見えてきた。

 以前、サブグラウンドがあった校舎裏の場所に、初めて見る大きな建物が建っている。


 体育館と同じかそれよりも広い、カマボコ型の建物。

 飛行機の格納庫とか倉庫って感じで、実用性重視の飾り気がない灰色の建屋だ。


「こんなのいつのまに出来たの? これが、教室?」

 俺は今日子に訊いた。


「うん、そうみたいなんだけど……」

 普段は何事に対しても歯切れが良い今日子が、戸惑ってるみたいに言う。



 中に入ると、そこは柱が一本もない、だだっ広い一つの空間になっていた。

 両側に窓があって、前には教壇きょうだんや教卓、黒板があるから、一応、教室の体裁ていさいは整っている。

 後ろには、ロッカーと掃除用具入れもあった。

 出入り口は、黒板側とロッカー側に一つずつ。

 黒板側が、なぜか大きなシャッターになっていた。

 屋根が高くて、剥き出しの骨組みがそのまま見える。


 その空間の真ん中に、クラスの人数四十人分の机が置いてあった。

 でも、四十人で使う教室にしては広すぎてスカスカだ。


「どうなってんの?」

 俺が訊くと、今日子は肩をすくめて、「分かんない」とでも言いたげな微妙な顔をした。


 クラスメートは、戸惑いながらも自分の席に着いている。


 俺も、窓側の一番後ろの自分の席に座った。

 窓側っていっても、部屋が広すぎて、机から窓まで十メートルくらいある。



 みんながあれこれガヤガヤ話してると、始業のチャイムが鳴った。

 少し遅れて、担任の真田が後ろのドアから教室に入って来る。


 しわがよったスーツのパンツにポロシャツっていう、いつもの冴えない服装の真田。

 三十代中盤の独身で、彼女なし。

 それなりに融通ゆうずうがきいて話も分かるから、ある程度生徒達にはしたわれている。

 熱血ではないけど、生徒のことはちゃんと考えてくれる感じ。


「おう、みんな、無事帰って来てなによりだ」

 新学期最初の挨拶あいさつで、真田はそんなふうに言った。


「先生! この教室、どういうことですか!」

 さっそく、委員長が手を挙げて訊いた。


 校則の条文を守って、長い髪をきっちりと後ろで縛っている委員長。

 セーラー服のスカートも、ちゃんと膝下まで届く丈にしている。


「そうだな、ちょっと訳あってこっちに移った。まあ、新しくなったし、広くなったんだからいいじゃないか」

 真田が答えたけど、委員長は納得してないみたいだった。

 委員長だけじゃなくて、俺達も納得していない。


「それより、みんなに報告することがある」

 真田は話をぶった切る。


「新学期から、うちのクラスに新しい生徒を迎えることになった」


 んっ? 転校生?

 二学期からとか、中途半端な。


「それじゃあ、入ってきなさい」

 真田が教室の外に呼びかけた。


 すると、モーターが回る音がして、教室前方にあるシャッターが徐々に開いていった。


 シャッターの向こうに、なにかとてつもない大きさの鉄の塊がある。

 その存在感は、シャッターの向こうからあふれ出していた。


 シャッターが開ききるやいなや、それがゆっくりと前進する。

 その振動で、教室の机や椅子がガタガタと揺れた。

 振動で、何人かの筆箱が床に落ちる。

 この建物の骨組みである鉄骨も、ギシギシと悲鳴を上げた。


 それは、一定のスピードで、床板をゆがませながら進んだ。

 天井からほこりが降ってくる。

 鉄と鉄がれ合う音で、みんなが耳をふさいだ。

 びっくりして、椅子から立ち上がって逃げようとするクラスメートもいる。


 深緑と茶色で迷彩塗装された、鉄の塊。

 圧倒的な力の象徴しょうちょう


 そう、間違いない。

 それは俺が公園で見たあの戦車だ。


 戦車は教室を揺らしながら教卓の脇まで進んで、そこで右側の履帯りたいだけ動かして方向転換した。

 車体がくるっと俺達の方を向いて、戦車と俺達は対峙たいじする。

 砲塔がこっちを向いてるから、当然、その砲身も俺達を向いた。

 砲身の先っぽの深淵しんえんは、絶対に覗いてはいけない深淵だ。


 教室は大騒ぎになった。


「はい、静かにー!」

 真田が大声で言ったけど、教室が静かになるまでには十分くらい掛かる。


 なんとか静かになったタイミングで、真田は黒板に文字を書いた。


 たぶん、名前だと思われる四文字を書く。


「今日からここで一緒に勉強することになった、『三石みついし文香ふみか』君だ。みんな、仲良くしてやってくれよな」

 真田が戦車を紹介しながら、真顔でそんなことを言った。

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