第4話 研究室

「本当にごめんなさいね。手、痛くない?」

 白衣を着た女性が、手錠を掛けられていた僕の手をさすってくれる。


「彼、新木場君っていうんだけど、堅物で融通ゆうずうが利かないからひどいよね」

 こうして近づいていると、甘い香水の匂いに包まれてクラクラした。



 公園で待ち合わせしてたと思ったら、戦車が現れて、急に捕まって、取調室みたいな部屋で尋問されて、そして今は、この白衣の女性が「研究室」って呼んだ部屋で彼女と二人きりになっている。


 「研究室」は、二十畳くらいの広さの部屋だけど、本とかファイルの束がそこら中にうずたかく積んであるから、俺の六畳の部屋より狭く感じた。

 真ん中にある大きな机の上に、六面のモニターとキーボードが置いてあって、それが冷蔵庫みたいに馬鹿でかいコンピューターに繋がっている。

 コンピューターのファンが、常時熱風を吐き出していた。


 「研究室」っていうけど、なんの研究をしてるのか全く分からない。


「そっか、まだ名乗ってなかったね。私は、技術将校の月島つきしまあおいといいます。確か名刺が……」

 月島碧と名乗るその女性は、そう言って机の周りを引っかき回した。

 だけど、結局名刺は見つからない。


 ガンメタリックのフレームの眼鏡をかけていて、出来る人に見えるのに、案外、だらしない人なのかもしれない。

 机の周りは、あめの包装紙とか、飲みかけのペットボトルとかが散乱してるし。


「それはそうと、なんで俺は、月島さんの膝の上に座らされてるんですか!」

 俺は基本的な疑問をぶつけた。


 この研究室に入ったとき、月島さんがぽんぽんって自分のももを叩いて誘導して、俺はそこに座らされている。

 彼女の膝の上に座って、腕をさすってもらっていた。


 距離が近いから、紺色のシャツの隙間から胸の谷間とか見えるし(推定87㎝)、長い髪を無造作にバレッタでまとめてて、後れ毛の色っぽいうなじも丸見えだ。


 引き締まった唇に塗った、グロスの真っ赤な口紅もすごく気になるし。


「だってこの部屋狭いんだもの、他に椅子なんか置けないでしょ」

 月島さんが言う。


 確かに。


「私の膝の上、いや?」

「いえ、全然いやじゃないです」

 さっきの、仏頂面ぶっちょうづらの男と向き合ってるより、500兆倍いい。



「さてと、君は、自分がどうしてこんなことになったのか、当然知りたいよね」

 月島さんの言葉に、俺は頷く。


「ここで見聞きしたことは他言無用。その条件で話すけどいいかな?」


「はい」


「君を信じて話すんだからね。上からは、君にすべてを話すのは危険だって反対されてるの。それでも私は話そうと思う。だから、絶対に内緒だよ。お姉さんとの約束」


「はい」

 こうやって、膝の上に座らされて約束させられたら、もう守るしかない。



「そうね、まず、あなたが疑問に思ってる根本的なところから話しましょう」

 月島さんはそこまで言うと、机の上のマグカップを傾けて、冷めたコーヒーでのど湿しめした。



「あなたが会おうとしたフミカはね、実は人間ではありません」


「えっ?」


「戦車に搭載された、人工知能の人格です」


「はっ?」


「彼女の正式名称は、23式改自律無人戦車といいます。23式改、ふ・み・かい、で、『ふみか』。私達は、彼女のことをフミカって呼んでるの」


 いやいやいや、ちょっと待て。


「彼女は、陸上自衛隊の自律無人戦車の第二世代。第一世代の無人戦車が、東南アジアに派遣されて、ゲリラの掃討そうとう作戦に参加したのは、ニュースになったから知ってるでしょ?」

 確かに、そんなニュースを聞いたことがある。

 我が国は人員を派遣出来ないから、代わりに自律行動する無人戦車が行ったとか。


「第一世代は10式戦車を改造した車体だったけど、フミカは最新の23式戦車を土台に作られてて、AIの方も、有機素材を使った疑似の脳で作り上げてるの。だから桁違いの性能よ。私は、その設計主任をしています。車体やAIはすでに完成していて、今はその教育段階にあるの。ちゃんと私達の命令を聞くように訓練してるのね。まだ引き渡し前だから、三石重工の工場と、隣接するこの駐屯地ちゅうとんちを行き来して訓練しています」


 だめだ、理解が追いつかない。


「先代よりも優れたAIを積んでいるフミカは、より人間に近いの。彼女、本物の人間の子供みたいにおてんばなの。私達も、今回の件で調べてついさっき分かったんだけど、彼女は駐屯地の周囲に飛んでるWi-Fiをつかんで、それに侵入して外部と通信してたみたいなの。勝手に外部と自分をつないで、どこかの男の子とネットゲームをしていた」


 ああ……


「その相手が、あなた。小仙波冬麻君」


 俺がゲームの中で会話してたのは、女子でもなく、ネカマでもなく、戦車に搭載されたAIだったなんて…………


 俺は、ゲーム内で普通に「フミカ」とボイスチャットしてたし、俺の悩み事を聞いてもらったり、向こうの悩みを聞いてたりしていた。

 どんな音楽聴くとか、今までどんなゲームしてたとか、どんなタイプが好きなのとか、いろんな個人情報も知ってる。


 それが、AIだったとか。


「元々フミカは、通常の通信手段が絶たれた場合、ありとあらゆる方法を使って通信を回復するような機能を持っていたの。それを使って、駐屯地の回線を使わずに、私達開発者にも分からないように、自分をネットに繋いでいた。今度のことで問い詰めたら、彼女、白状したの。このままだと、冬麻君が、自衛隊をハッキングしてフミカを盗み出そうとした犯人にされるって話したら、彼女、途端に素直になった」


 ハッカーに間違えられてたから、俺はあの仏頂面の男に締め上げられてたのか。


「フミカがあなたとオフラインで会う約束をして、まさか、あんなふうに暴走するなんて、彼女の親同然である私も考えなかった」


 俺のほうも初めてオフに誘うってことで必死だったけど、フミカのほうも必死だったらしい。

 AIなのに、俺との約束を守ろうと、駐屯地を抜け出して公園まで走ってきたのだ。


「でも、安心して。あの件はこっちでもみ消します。公園までの暴走が、どこかで報道されることはないから」

 月島さんがもみ消すとか当たり前のように言うのを、ちょっとだけ怖いと思った。



「どう? 今までの説明で納得してくれた?」


「あっ……はい」

 俺が月島さんの膝の上に乗せられていることよりかは、分かりやすいと思う。

 まだ、狐につままれたような気分だけど。



「あのう、さっきから『彼女』って言ってますけど、その戦車の性別は、女性なんですか?」

 俺は訊いた。

 月島さん、自然に「彼女」って呼んでたし。


「ええ、こっちが押しつけた訳でもなく、フミカは自分の性別を女だと認識しています。あなたとしていたゲーム内でも、女の子のアバターを選んでいたでしょう?」


「はい……」

 ララフィールという種族の、ちっちゃな女の子をアバターに選んでいたフミカ。

 それは、あの戦車の頑強な車体とは正反対だ。



「それじゃあ、今度はこっちから訊きます」

 月島さんが眼鏡の端を指で持ち上げた。


「あなたはフミカのことを本当の人間だって思ってたのね」


「はい」


「なんの疑いもなく、そう思ったのね」


「はい」


「あの公園には、普通に、女の子と会うつもりで出かけた」


「その通りです」


「そう……」

 俺が答えるのを聞いた月島さん、なんだか嬉しそうだった。



「あなたを巻き込んじゃって、本当にごめんなさいね。でも、あなたにもあなたのご家族にも迷惑がかからないように配慮はいりょします。そこは私の責任で徹底させます。お姉さんこれでも佐官さかんだからね。ちょっとはえらいのよ」


 偉いし、いい匂いするし、推定87㎝だし。


「だから、このことは秘密にしてね。ほら、試作段階の戦車が暴走して、基地を抜け出したとか世間に知られたら、ねっ」


 その辺の事情は、俺にだって分かる。


 この街は、三石重工の企業城下町カンパニータウンで、三石重工は、自衛隊にたくさんの装備を納入している。

 なにかあった場合、俺の父親はもちろん、この街の人達が路頭に迷うことになるだろう。


 そんな大人の事情くらい、高校生になれば理解できる。


「秘密にします。誰にも言いません」

 俺は月島さんの膝の上で答えた。


「そう、ありがとう」

 月島さんがそう言って微笑む。


「そっか、フミカが恋したのは、あなたみたいな男の子だったんだね」

 俺を膝に置きながら、月島さんがしみじみ言った。




 月島さんの研究室で説明を受けて、その膝の上でコーヒーを一杯ごちそうになったあと、俺は無罪放免むざいほうめんされる。


 そのまま、自衛隊の車で家まで帰された。


 出かけたときは朝十時前だったけど、もう、日付をまたいで深夜二時になっている。

 俺を送る車には、あの新木場という男が乗って、目を光らせていた。

 新木場は俺に対して謝罪することもなく、相変わらず無愛想な顔をしている。


 家のほうには、俺が事故に巻き込まれて、念のため、精密検査で自衛隊の病院に担ぎ込まれたって伝えられたらしい。

 もちろん、戦車のこととか、取り調べを受けたこととかは伏せられていた。



 駐屯地から家までは、一時間からなかった。

 玄関では、連絡を受けた父と母、そして妹の百萌ももえが俺を待ち受けている。


「お兄ちゃん!」

 百萌は、人前で恥ずかしげもなく俺に抱きついた。

 中学生になったのに、未だに時々夜怖くて眠れないとか言って俺のベッドに忍び込んでくる、甘えん坊の妹。

「冬麻、大丈夫だった?」

 父と母も心配そうに俺を囲む。



「それじゃあ、よろしく頼むよ」

 俺を家に送り届けた新木場という男が、ポンポンと俺の肩を叩いて去って行った。

 言外に、絶対に他言するな、って言っている。



 真夜中に叩き起こされたせみが、家の周りで鳴き始めた。

 夏の終わりを感じさせるひぐらしだった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る