第1話 オフライン

「もう! お兄ちゃん起きて起きて!」

 妹の百萌ももえが腰に手を当てて、ほっぺたを膨らませている。

 ぱっつんの前髪と、困りまゆの百萌。

 世界一カワイイ妹である百萌は、怒った顔もカワイイんだけど……



 寝坊した。

 完全に寝坊した。



 長年プレーしてる「クラリス・ワールドオンライン」というゲームで、同じギルドの仲間「フミカ」とオフラインで会うと約束した当日。

 待ち合わせの午前十時まであと一時間しかないのに、俺はまだ寝ぼけまなこで自分の部屋にいて、頭に盛大な寝癖ねぐせを作っている。


 昨日の夜っていうか、今日の明け方まで、何を着ていくべきか、ご飯を食べるのはどこの店にしたらいいのか、会話が途切れたとき話す話題があったほうがいいんじゃないか、とか、最後の最後までネットで調べているうちに寝落ちしてしまった。

 PCのマウスを握ったまま、机に突っ伏してよだれを垂らしていた。


「まったく! 今日、デートなんでしょ?」

 妹の百萌に起こされて、やっと事態を悟った(百萌には、フミカと会うに当たっての教えを請うときに、今日のことは話してある)。


「やばっ!」

 俺は飛び起きると、急いでシャワーを浴びて歯を磨いた。

 急ぎながら頭と体を入念に洗う。


 ネットゲームで出会った二人だけど、偶然、俺の家とフミカの家が近かったこともあって、待ち合わせ場所を近所の公園にしてあったから、まだ急げばギリギリ間に合う。

 俺から誘ったんだし、待ち合わせの時間に遅れるなんて絶対にあり得ない。


 風呂場を出て脱衣所で髪を乾かしてたら、心配した百萌が俺を見に来て、ついでにブローして髪型を整えてくれた。

 散々迷ったあげく、結局服装は、白いTシャツにカーキ色のカーゴパンツを穿いて、その上に紺のテーラードジャケットを羽織る。


 まあ、ネットで見た「彼氏にデートで着てもらいたい服ベスト20」っていう記事の、1位の服装そのままなんだけど。



冬麻とうま、朝ご飯は?」

 キッチンから母が顔を出す。

「うん、いらない」

 俺が言うと、母はちょっとムッとした顔をした。


「なんだか、テレビで多重事故のニュースやってるから、気を付けて出かけなさいね」

 母が言った。

 リビングで付けっぱなしのテレビ画面には、ここからそう遠くない国道で、何台もの車が巻き込まれる事故が起きたってニュースを流している。


「分かった、気を付ける」

 俺は素っ気なく返した。

 これから「フミカ」との初めての対面を控えている俺にとって、事故とか、そんなのどうでもいいことなのだ。



 髪も服装も整って、あとは財布とスマホを持てば、これで準備は整った。


「お兄ちゃん、がんばるのだよ」

 玄関で百萌が、顔の前に二つの握りこぶしを作って応援してくれる。


 世界一カワイイ妹である百萌は、握りこぶしまでカワイイ。


「うん、行ってくる」


 俺は普段通学に使ってる自転車に飛び乗った。

 立ちぎで、全力でペダルを漕ぐ。




 夏休み、ギラギラした太陽が照りつける住宅街を、俺は自転車で駆け抜けた。


 俺が住む街は、三石みついし重工っていう大企業の企業城下町カンパニータウンで、住宅地を抜けた先には、海沿いに延々と工場群が広がっている。

 この街の大人のほとんどは三石重工かその関連会社に勤めていて、俺の父親もそこで働いてるし、俺が通う地元高校の生徒の父兄も、もれなくその従業員だ。


 工場が落としてくれる莫大ばくだいな税金で街中どこも道路は広いし、電柱も全部地中化されていて、街並みはすっきりしている。


 俺みたいに意中の彼女に向けて自転車をぶっ飛ばすには、もってこいの街並みだ。



 それにしても、「フミカ」ってどんな子なんだろう。

 俺は、ペダルを漕ぎながら考えた。


 やっぱり、ゲーム内で使ってるキャラクターのララフィールみたいに、ちっちゃくて可愛らしい子なんだろうか?

 それとも、ああいうキャラクターを使ってるけど、逆に背が高くてスタイルがいい、お姉さんタイプの女性だとか。


 直接聞くのは失礼だから聞いてなくて、俺はフミカの年齢も知らない。

 話題が合うから同年代くらいだとは思うけど、正直、年齢はおろか性別だって分からない。

 声とかしゃべり方で女性って思ってても、チャットの声なんてボイスチェンジャーでいくらでも変えられるし、もしかしたら男かもしれない。


 だけど俺は、相手がネカマでもいいと思っている。


 今まで、ゲーム内で色んなクエストに出かけて、幾多いくたのギルド戦もくぐり抜けて、時に、拠点で夜明けまで時間を忘れて語り合ったり、悩み事を聞いてもらったり、逆にこっちが悩みを聞いたり、フミカとはたくさんの時間を共有してきた。

 その結果、ゲーム内で結婚までした。


 たとえフミカがネカマだとしても心は通じ合っている。

 恋人同士にはなれなくても、良い友達になれるんじゃないかと思う。


 俺は、そんなことを考えながらペダルを漕いだ。


 それにしても、道々やけにパトカーや救急車のサイレンがうるさい。

 これも、出掛けに見たニュースの多重事故のせいだろうか?


 初めての二人の対面に、水を差さないといいんだけど……




 全力でペダルを漕いだおかげで、待ち合わせの十時五分前に約束の公園に着いた。

 駐輪場に自転車を止めて、すぐにトイレに駆け込む。

 男子トイレのひびが入った鏡を見ながら髪を直した。

 まだ軽く寝癖が残ってるから、必死に押さえつける。

 汗拭きシートで顔と首を拭いて、制汗スプレーをかけた。


 鏡に映る俺は、イケメンじゃないけど清潔感はあると思う。

 清潔感が大事だって、ネットにも書いてあったし。



 身なりを整えて、待ち合わせた噴水の前に立った。


 辺りを見渡しても、まだ、それらしい女子はいない。

 この公園にはいくつかベンチがあって、木陰のベンチでサラリーマンっぽいオジサンが一人涼んでいる以外、人影はなかった。


 あんまりキョロキョロしてると、不審に思われるだろうか。

 そうかといって、あんまりスマホばっかり見てると、スマホばっかり見てるヤツって思われるかもしれない。

 そんなふうに考えながらフミカを待った。



 公園に掲げられた時計の長針が動いて、ちょうど十時になったときだ。



 突然、地響きがして、それがこっちに向かってきた。

 連続的な地響きは、足元から内臓を揺らすように上がってくる。

 ダンプカーとか、ショベルカーみたいな重機が、こっちに迫ってるみたいだった。

 だけどここは公園であって、工事現場ではない。


 振動の方向で、公園の木々が次々になぎ倒された。

 木々がしなってメキメキと折れる。


 木陰で休んでいたサラリーマンが、鞄を置いたまま逃げた。

 振動のあとを追うように、パトカーのサイレンも聞こえた。

 無数のサイレンが重なって大合唱している。


 そして、木々の植え込みから出て来たのは、鋼鉄の長い砲身を生やした深緑色の戦車だった。

 キュルキュルとキャタピラを回転させながら、巨大な鉄の塊である戦車が、俺がいる噴水に向けて突っ込んで来る。


 公園の木々や遊具を巻き込みながら走った戦車は、俺の目の前でピタリと停まった。

 遅れて土埃つちぼこりが舞って、視界が悪くなる。


 あまりのことで動けなかった。

 俺は、なにが起こったのか分からず固まっている。

 戦車があと数センチ進んでたら、俺はその鋼鉄のボディーに踏み潰されてたと思う。



「トーマ君、はじめまして」

 戦車から声が聞こえた。


「私です、フミカです」

 声は確実に戦車から響いてくる。


「待った?」


 えっと、オフラインのフミカは、戦車兵かなんかなんだろうか?

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