第37話 ミエザの学園

「アリス、君にマケドニアにまで来てもらったのは、旧交を温めることだけが目的ではないのだ。実は君に頼みがあってのことなのだ。息子のアレクサンドロスには、もう会ったか?」

「ええ、レスボス島で危機一髪の所に駆けつけてくださったのが殿下でした」

「あれは傑物だ。あのような息子を授けてくれたことを私は神々に感謝しておる。しかしだ。そのことよりも、アリス、アリストテレス、君という人物がいるこの時代に私の息子が生まれるように計らってくれたことにこそ、私は神に感謝しているのだよ」

「ピリポスさま……」

「アリス、音に聞く君の教養と知性が、息子アレクサンドロスを、マケドニア王国の繁栄に相応しい人物に育ててくれることを余は望んでおるのだ。頼む、息子アレクサンドロスの家庭教師になってはくれないだろうか?」

「ピリポスさま。もったいなき御言葉です。その役目、お引き受けしたく存じます。……」

 ピリポス二世の頼みを即諾した後で、アリストテレスは、しばらくの間、こめかみに指を当てて熟考した。

「どうした? アリストテレス」

「……。そうですね。ただ、一点、申し上げたいことがあります」

「何だ?」

「覇者とは孤独なものです。だからこそ王の周りには、ただ媚びへつらうような佞臣や、裏で悪事や私利私欲に走る奸臣を置くのではなく、王国の繁栄のために王者を支える真の友こそが必要だと考えます。そこで、そういった人物を育てるために学園の設立を具申いたします。そこで、未来のアレクサンドロス大王の莫逆の友になり得るような<親友>にして<真友>の育成を、このアリストテレスに任せていただきたいのです」

「なんと、すばらしい発想だ。余は自分の息子に最高の教育を受けさせることしか考えていなかった。わかった。早速、学園設立の準備にとりかかろう」

 かくして、マケドニア王国の首都ペラの郊外にミエザの学園が創設されることになったのである。 


 アリストテレスが設立したミエザの学園の特徴は、マケドニア全土から貴族・平民の別なく、そしてさらに、マケドニア人のみならず在留外国人、そしてあらゆる年齢の人間に受験試験を与え、多種多様な人材を募った点である。

 このような人材募集の様態こそが、後のアレクサンドロス大王の世界帝国構想を先取りするものであった。その思想的背景となったのだが<融合主義>である。

 融合主義とは、たとえば、アレクサンドロス大王は、その征服地に自分の名に因んだ<アレクサンドレイア>と名付けた都市を建設し、そこを軍の拠点として現地を統治するための基盤とした。あるいは、マケドニアと支配先との融合のために、アレクサンドロス自身が、自らが滅亡させたペルシア帝国の大王ダレイオス三世の娘を妻とし、部下達にはペルシア人との結婚を奨励した。そして、ペルシア風の行政制度やペルシア風の礼式を採用し、さらには、ペルシア人を官僚として採用しさえしたのだ。ちなみに、融合主義は行政面のみならず文化面にも認められ、そうしたギリシア文明とオリエントの文明の融合の結果、<ヘレニズム>と呼ばれる新たな文明が誕生することになったのである。

 将来のアレクサンドロス大王のマケドニア帝国における<融合主義>を可能にしたのは、大王の宮廷の中核となる人材を養成したミエザ学園の性質が、年齢、身分、国や人種の枠を取り払っていたことに起因しており、すなわち、<マケドニア絶対主義>的な思考を除去するようなミエザ学園での教育の結果なのである。


 ここにミエザ学園の合格者名簿がある。

 年齢に着目してみると、フィロタスは、王太子よりも十五歳年長で、彼はピリポス二世の重臣だったパルメニオンの長男で、同じ齢のクラテロスと共に、アレクサンドロスの側仕えを王太子の幼少時より務めていた。また、王太子より十一歳年長のプトレマイオスの名もあった。彼はマケドニア貴族ラゴスの息子であった。

 これに対して最年少合格者は八歳のカッサンドロスであった。彼もまた、ピリポス二世に仕えていたマケドニアの重臣アンティパトロスの長男で、アンティパトロスは、ギリシア諸国との外交やマケドニアの内政面で王を補佐した文官であった。そしてアンティパトロスはカッサンドロスに幼少時から英才教育を施していたのだった。

 そして合格者の中には、王太子とほぼ同じ年齢のマケドニアの貴族の子弟の名が多く認められた。

 王太子よりも二、三歳年長の貴族オロンテスの子のペルディッカスと弟のアルケタス、王国西部のエオルダイアの貴族クラテロスの子ペイトン、彼は王太子の一つ年下であった。

 そして着目すべきは、マケドニア貴族アミュンタスの子のヘファイスティオンで、彼はアレクサンドロスと同年齢の幼馴染であり、ヘファイスティオンにはアレクサンドロスの影武者としての役割が与えられていた。

 そしてマケドニアの在留外国人の入園生としては、王国の宮廷道化師で、テッサリア人のアガクレスの子であり、マケドニアの首都ペラで生まれたリュシマコス、彼は王太子の四歳年長であった。

  そしてネアルコスはリュシマコスと同い年で、出身地はクレタ島のラト、少年時代から家族と共にマケドニアのアンフィポリスに住んでいた。

 レオンナトスは、アレクサンドロスと同い年である。彼は、マケドニア王国に面していた小国リュンケスティスの王家の人物アンテアスの子として、父がマケドニアの人質となっていた際に首都ペラで生まれた。レオンナトスは、ヘファイスティオンと同じようにアレクサンドロスと同年齢の幼馴染であった。

 ラオメドンとエリギュイオスの兄弟は、王太子と兄が同年齢、弟が一つ下で、レスボス島のミュティレネ出身であった。この二人兄弟は島でアリストテレスの身の回りの世話をしていた少年達であった。この二人は性質が全く異なり、弟は武官、兄の方は文官向きであった。

 アリストテレスは文官向きの合格者に着目してみるとことにした。

 エウメネスは王太子よりも六歳年長で、ケルソネソス半島の都市国家カルディアの出身の外国人で、成績は文官向きのだったのだが、武の成績も秀でていた。

 そして、ハルパロスは文、特に数学関連の成績が際立っており、将来は財政官に育てると面白そうであった。

 かくのごとく、ミエザの学園には、未来のアレクサンドロス三世の宮廷を支えることになる様々な人材が集まってきていたのである。

 

 ――後にアレクサンドロス三世は述懐している。

「私は父ピリポスから生を得た。しかし、私は、高貴かつ知的に生きることをアリストテレス先生から学び、そして師はさらに私に友さえも与えてくれたのだ」と。

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